「激闘&栄光」掲示板

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[25500] Re:[25499] 横浜のロゴ 投稿者:相模次郎 投稿日:2016/05/24(Tue) 22:50

皆さん、こんばんは。非公式記録員さん、最近の掲示板は貴方様の独壇場ですね。凄いなあといつも感心しています。

> 実は私、グレーに角ゴシックのところで、何と横浜を忘れていました(汗)。ただし、同校の場合、80年代くらいまでは、完全な角ゴシックだったのですが、現在は「O(オー)」の文字が丸みを帯びたものとなっています。

永川投手で優勝した時や、愛甲・川戸投手で優勝した時の写真を見てみました。今と少しずつ書体は違いますが、やっぱり「O(オー)」の文字は丸みを帯びていますよ。左右は直線ですが、上下は真円というか、角ゴシックには当たらないと思います。

少なくとも、慶応や桐蔭学園の「O(オー)」みたいに「□」ではないです。

[25499] 横浜のロゴ 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/24(Tue) 20:21

皆さん、こんにちは。

実は私、グレーに角ゴシックのところで、何と横浜を忘れていました(汗)。ただし、同校の場合、80年代くらいまでは、完全な角ゴシックだったのですが、現在は「O(オー)」の文字が丸みを帯びたものとなっています。これも、西条と同様に、同校以外ではお目にかかれない、独特なものではないかと思うのですが、こうなった経緯や逸話など、どなたかご存じの方はいらっしゃいますでしょうか。

[25498] 一方、松山商業は 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/05/24(Tue) 09:30

皆さま、おはようございます。連続投稿失礼します。

高松商業を慶應とするなら、松山商業は単にユニフォームの配色だけでなく、そのOB人脈から見ても早稲田に見立てるのが相応しい。特に復活早慶戦で登板し、その後巨人で活躍、阪神の監督も務めた藤本定義、阪神の初代監督の後、早大監督も務めた森茂雄、嘉義農林を準優勝に導いた近藤兵太郎、戦後も夏の甲子園準優勝、後に近鉄でも活躍した水口栄二など、早大に進んだ松山商業OBには非常に輝かしい実績があります。

高校球界の「ミニ早慶戦」の中でもっとも格上なのは、実は松山商業vs高松商業ではないかと思った次第です。

[25497] 真のライバルは 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/05/24(Tue) 08:57

皆さま、管理人さま、非公式記録員さま、おはようございます。

松山商業を早稲田に例え、対する慶應は今治西か西条か、実績面では甲乙付け難いですが、松山商業にとっての「真の慶應」はやはり高松商業でしょう。特に戦前は愛媛県内では敵なしの強さを誇った松山商業にとって、甲子園出場への最大の難関は高松商業でした。昭和51年以降、北四国大会から一県一代表へ移行した後も、心のライバルとして意識しあっている筈で、今春の高松商業の活躍にもっとも刺激を受けているのは松山商業ではないかと思います。

そう言えば高松商業のロゴは角ゴシック、伝統的に慶大に進んで活躍したOBも多いことから、慶應に例えるのがピッタリくるのです。

[25496] Re:[25495] ○○の早慶戦 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/24(Tue) 02:39

皆さん、こんばんは。

挙げていただいた例の中では、済々黌-熊本工が、臙脂とグレーということで、最もそれらしいということになるでしょうか。ただし、熊本工の漢字というのもひっかりますが・・・。松山商-西条も、西条が角ゴシックであれば該当するんでしょうが、この字体は同校以外にお目にかかったことはないですね。どなたか、同校のロゴに詳しい方はいらっしゃいますか?

[25495] Re:[25494] ○○の早慶戦 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/05/24(Tue) 01:09

管理人さま、皆さま、非公式記録員さま、こんばんは。

>各地の看板カードをなす両校のユニフォームが早慶をイメージさせる例は、先日に挙げた松山商-今治西以外に、過去現在を問わずどのくらいあるんでしょうかね。後日思いついたものでは、鳥取西-米子東がありました。高岡商-富山商も、富山商が角ゴシックを使用していた時代があったとのことで、この際含めましょうか。

角ゴシックにこだわると、???というケースも多々あると思います。表記が黒の今治西や富山商は辛うじて良しとしても、グリーンを基調にした米子東は余りにも慶應のイメージからは程遠いと思いますよ。
ということで、片方が臙脂色基調の同都道府県の伝統校ライバルとしては、福岡県北九州市の東筑vs小倉、熊本県の済々黌vs熊本工業、沖縄県の那覇vs首里、和歌山県の桐蔭vs向陽、愛媛県の松山商業vs西条、宮城県の仙台二vs仙台一などが思い浮かびました。

> また、ユニフォームは関係なしで、○○の早慶戦を列挙していただける方がいても、大いに歓迎です。

そう言われると天邪鬼の私は、徹底的にユニフォームにこだわりたくなりますが(笑)、ユニフォームの色調、デザインという面でもっとも早慶戦を彷彿とさせるライバル対決は、千葉県の拓大紅陵vs銚子商業に尽きると思います。共に千葉県で一時代を築いた学校同士ですが、最も活躍した時代にズレがあるため、「千葉の早慶戦」というイメージはありません。しかしながら第77回選手権千葉大会(1995年)の決勝で対戦した時の両校のユニフォーム姿は、細部に目をつぶれば、全面的に早慶戦の雰囲気が漂っていました。

[25494] ○○の早慶戦 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/23(Mon) 20:40

皆さん、こんばんは。

秋田のユニフォームが慶応に見立てられるのは後付けであるとのご意見、これは私も同感ですね。ただ、この点も含めて、各地の看板カードをなす両校のユニフォームが早慶をイメージさせる例は、先日に挙げた松山商-今治西以外に、過去現在を問わずどのくらいあるんでしょうかね。後日思いついたものでは、鳥取西-米子東がありました。高岡商-富山商も、富山商が角ゴシックを使用していた時代があったとのことで、この際含めましょうか。

また、ユニフォームは関係なしで、○○の早慶戦を列挙していただける方がいても、大いに歓迎です。

[25493] 春季関東大会準々決勝横浜対千葉黎明 投稿者:横浜太郎 投稿日:2016/05/23(Mon) 13:33

皆さんこんにちわ。
関東大会も中盤、続々プロ注目の投手も登場しています。東海大市原望洋の島投手は150キロを連発、前評判道りのピッチングをしました。そして本日、横浜の藤平君がついに登場しました。
一回戦の健大高崎戦は、エースの石川君の好投で接線をものにしました。そして望洋戦も7回までは一点差の接線。8回に一挙に6点を挙げて8対1のコールド勝ちを手にしました。注目の藤平君は1失点の8奪三振、5回には150キロを出すなど、結果的には抑えていましたが、四死球が多くコントロールの安定性が欠ける場面も多かったように思います。制球力の精度を上げることが今後の課題のように思います。
横高はこれでベスト4進出。

[25492] Re:[25491] 「慶應スタイル」 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/05/23(Mon) 08:22

皆さん、こんばんは。

> 慶応スタイルのユニフォームというのは、グレー地やストッキングもさることながら、何より角ゴシックだと思いますね。そもそも、この話題を提供したのは、先日に挙げた秋田の角ゴシックが慶応に見立てられ、早稲田カラーの秋田商との対戦が、地元では早慶戦に例えられる風潮があるという話を聞いた記憶に端を発したものでした。私も、最初は「何で秋田のユニフォームが慶応スタイルなんだ?」と思いましたからね。ちなみに、秋田のユニフォームは純白ですし、ストッキングも慶応とはまるで違います。

秋田高校と秋田商業と同様の対立軸としては、静岡高校vs静岡商業が挙げられます。こちらは毎年、原則として4月29日に定期戦が行われ、自他共に認める静岡の早慶戦ですが、両校のユニフォームに早慶をイメージさせる要素は少ないです。(強いて言うなら静岡商業が色を除けば早稲田大学調のデザインではありますが)

こうして見ると、秋田高校のユニフォームに慶應を重ねて見る見方は周囲が秋田商業との対比の中で出来上がった話で、当の秋田高校は慶應をイメージしてユニフォームをデザインしたわけではないのでしょうね。

秋田高校のユニフォームは高校野球ではもっともオーソドックスなスタイルですから、これを慶應型と言われると、全国に何百校も慶應スタイルの学校が溢れているということにもなりそうです。

[25491] Re:[25490] 「黄金のカード」 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/22(Sun) 02:09

皆さん、こんばんは。

慶応スタイルのユニフォームというのは、グレー地やストッキングもさることながら、何より角ゴシックだと思いますね。そもそも、この話題を提供したのは、先日に挙げた秋田の角ゴシックが慶応に見立てられ、早稲田カラーの秋田商との対戦が、地元では早慶戦に例えられる風潮があるという話を聞いた記憶に端を発したものでした。私も、最初は「何で秋田のユニフォームが慶応スタイルなんだ?」と思いましたからね。ちなみに、秋田のユニフォームは純白ですし、ストッキングも慶応とはまるで違います。

そう言えば、多数派の早稲田スタイルにしたところで、アンダーシャツが臙脂であったり、襟がないなど、完全に同じものというのは記憶にありませんね。一般的に、臙脂と早稲田文字の組み合わせであれば、早稲田カラーに分類されているように思います。余談になりますが、高知などは、早慶両方の要素を兼ね備えたユニフォームということになるでしょうか(笑)。

[25490] Re:[25489] 「黄金のカード」 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/05/22(Sun) 00:05

皆さん、こんばんは。

> う~む、本当の意味での慶応スタイルと申しますと、グレーに角ゴシックということになるでしょうか。確かに、早稲田のそれと比べますと、極端に少ない印象はありますね。思い当たるのは中越くらいですが、他にありましたかね。

> 80年代の岐阜第一がそんな感じのユニフォームでした。
> 言われてみると、完全な慶応型ユニフォームはあまり思いつかないですね。

中越にしても、岐阜第一にしてもストッキングが違います。慶應の今のストッキングは下部が白地で上部にいわゆる慶應カラーの紺赤紺のライン。そして、赤ラインの中に過去2度、東京六大学野球で達成した無敗優勝を記念する白線が2本入っています。

このストッキングを採用している甲子園常連校としては佐久長聖が挙げられます。同校はグレー地のユニフォームであり、校名表記が漢字であることを除けば、最も慶應スタイルに近い学校と言えるでしょう。

そして慶應が2度目の無敗優勝(1引分があったので「全勝優勝」とは言わない)を果たした昭和60年秋以前はこの白線が1本だったわけですが、この時代の慶應と同じストッキングを採用して甲子園に出た学校は高校球界でも結構あり、グレーのユニフォームの学校としては、仙台育英、銚子商業(但し同校はアイボリーホワイトのものもあり)、白いユニフォームまで広げると、前橋、関大一、神戸弘陵、三重海星などが挙げられます。

もっとも関西大学が今でもこのストッキングを採用しているので、系列の関大一やかつて大物関大OBが監督を務めた神戸弘陵の場合は、関大スタイルというほうが適切かもしれません。

[25489] Re:[25488] 「黄金のカード」 投稿者:t. k 投稿日:2016/05/21(Sat) 03:46

皆さん、こんばんは。
>
> う~む、本当の意味での慶応スタイルと申しますと、グレーに角ゴシックということになるでしょうか。確かに、早稲田のそれと比べますと、極端に少ない印象はありますね。思い当たるのは中越くらいですが、他にありましたかね。

80年代の岐阜第一がそんな感じのユニフォームでした。
言われてみると、完全な慶応型ユニフォームはあまり思いつかないですね。

[25488] Re:[25487] 「黄金のカード」 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/21(Sat) 00:10

皆さん、こんばんは。

う~む、本当の意味での慶応スタイルと申しますと、グレーに角ゴシックということになるでしょうか。確かに、早稲田のそれと比べますと、極端に少ない印象はありますね。思い当たるのは中越くらいですが、他にありましたかね。

[25487] Re:[25466] 「黄金のカード」 投稿者:アルソック 投稿日:2016/05/20(Fri) 23:22

皆さん、こんばんは。総警ことアルソックと申します。

> 黄金カードですか。全国を見渡せば、次々と思い浮かびますね。最近はそうでもありませんが、各都道府県で勢力を二分する学校は、それぞれ早稲田と慶応をイメージしたユニフォームを着用し、ライバル意識むき出しだったという話を聞いたことがあります。

早稲田スタイルのユニは全国的にも多いですが、本当の意味での慶應スタイルって、高校野球ではほとんどお見掛けしません。強いて言うなら、仙台育英や銚子商などですが、ロゴはいずれも角ゴシックではありません。

> 富山商については、かつての中京商のユニフォームに似ていますが、98年夏に出場したときは、角ゴシックの慶応仕様でした。

富山商は昭和の終わりごろに、当時の愛知・中京高校をそっくりまねたユニフォームに変更しました。小襟付きでストッキングは紺地に白線3本、ロゴは角ばった花文字、ご丁寧に袖には旧中京商の校章に似せた「富商」の文字。下手すると意匠権侵害で訴えられかねないほどの、いわゆるパクリです。

98年夏のユニフォームはそれ以前のデザインに戻しただけなのですが、袖口と肩とパンツの脇にラインが入ったもので、どちらかというと箕島高校のそれに似たもの。これが慶応仕様とは夢にも思わなかったというのが正直なところです。

[25479] Re:[25478] 師弟対決 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/20(Fri) 02:12

皆さん、こんばんは。

おお、今度は師弟対決ですか。今センバツの開幕戦で対戦した、福井工大福井・大須賀監督と智弁学園・小坂監督は、法大時代のコーチと主将という間柄だったようです。私が、[25135]で書き込んだ、大須賀氏の法大コーチ就任が00年ではないかとしているのは、小坂氏の在学期間(96年~99年?)を考えると、間違いだったと言えそうで、すなわち三菱自動車川崎の監督時代は敦賀気比・東監督(99年入社?)と師弟関係にはなかったことになります。

また、師弟関係ではないのですが、明石商・狭間監督は、明徳義塾のコーチとして、同校の馬淵監督とともに甲子園を目指した間柄。敗れた相手が、いずれも龍谷大平安だったというのも何かの因縁でしょうか。

[25478] 師弟対決 投稿者:横浜太郎 投稿日:2016/05/20(Fri) 00:23

皆さん、こんばんわ。
皆さんにとって、様々な「黄金のカード」の捕らえ方があるんだなと思いました。
ところで各地方の県予選などでは「師弟対決」も結構繰り広げられているかと思います。
甲子園において印象深かったのは2009年の選手権大会2回戦の横浜隼人対菊池君要する花巻東の「師弟対決」。隼人の水谷監督と花巻の佐々木監督は、同じ大学の先輩・後輩であり、また、隼人では、監督とコーチの関係だった。佐々木さんが花巻東の監督になったのも水谷監督の紹介でした。佐々木監督は結婚式をわざわざ水谷監督夫妻の結婚記念日に合わせ仲人も頼んだほどだの仲だった。
試合は4対1で花巻が勝利して、佐々木監督は水谷監督に恩返たことでしょう。神奈川の高校野球ファンにとっても感慨深い、漫画でも描けそうな、夢のような「師弟対決」だったと思います。

[25477] 神宮球場借用問題 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/15(Sun) 10:49

皆さん、こんにちは。

2020年の東京五輪開催に伴う、神宮球場、神宮第二球場、秩父宮ラグビー場の借用問題について、同組織委員会が提示した、神宮球場の借用期間を当初の予定から大幅に下回る約80日(7/1~9/20頃)とする案に対し、ヤクルト球団、東六、東都、都高校野球の各連盟が大筋で合意した模様。ただ、その分の機能が同第二球場に移管されることになり、野球界に及ぼす影響は依然として計り知れないものがあります。高校野球においては、夏の東・西東京大会はもちろん、大学野球の秋季リーグ開幕が遅れそうなことと、神宮大会の関係上、秋の都大会はどうなるのか。また、第二球場が使用できないので、埼玉、千葉、神奈川の隣県に協力を得ることも模索しているようです。

その一方で、都高野連は、同準備局スポーツ推進部に対し、駒沢公園内に2~3万人程度収容できる新球場の建設を要望。これが実現すれば、五輪対策のみならず、当掲示板でも話題になった、都の球場問題も一気に解決しそうなのですが、いかがなりますでしょうか。同局は、「費用の面から難しい」とコメントしているようなのですが・・・。

http://mainichi.jp/koshien/articles/20160514/k00/00m/050/110000c



[25476] Re:[25474] 「黄金のカード」 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/13(Fri) 03:08

皆さん、こんばんは。

昨日、私は近大付と上宮に失礼な書き込みをしてしまいました。と申しますのも、PL学園が低迷していた88年から93年までの6年間、夏の大会において近大付は同校を二度破っているのです(89年の4回戦と93年の決勝)。また、同校が宇高投手らでセンバツ4強となった94年の準々決勝でも同じく撃破、どうも同校は近大付を苦手にしている感がありますね。一方、上宮については、夏は同校との対戦がありませんでしたが、それ以降も同校には歯が立たなかった印象です。いずれにせよ、この6年間は、同校の戦績自体があまり芳しいものではなく、「鬼の居ぬ間に」というのは当たらずとも遠からずかもしれません。

[25474] Re:[25473] 「黄金のカード」 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/12(Thu) 02:26

皆さん、こんばんは。

近大付-上宮が、大阪の黄金カードであった時代があったとはいえ、他府県在住の者としては、もうひとつ地味な印象は拭えませんね。87年に春夏連覇したPL学園は、94年以降に再び甲子園の常連となるまでの間、今岡や松井を擁した92年春を除き、甲子園出場がありません。その92年春も、好投手・吉田を擁する東海大相模に準々決勝で完封負けを喫し、それまでの「黄金時代」のことを思えば、低迷とも言える状況でした。ちょうどその頃、早慶戦の解説でもおなじみの野村徹氏を監督に迎えて久々の復活を果たした近大付、および甲子園では無冠もその名を全国区とした山上烈氏率いる上宮が最盛期、両校は激しく覇権を争いました。

その後、PL学園が復活してからというもの、近大付は03年春と08年夏のみ、上宮は97年春のみの甲子園出場にとどまっており、正直「鬼の居ぬ間に」といったイメージはあります(ただし08年夏の近大付は南大阪大会の決勝でPL学園との死闘を制する)。

[25473] Re:[25471] 「黄金のカード」 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/05/10(Tue) 08:51

管理人様、みなさま、khiroさま、こんにちは。

> 大阪はどちらかといえばPL学園-大阪桐蔭が「黄金カード」に該当しませんか?
> ともに春夏連覇校、新旧のプロ野球選手輩出数トップのチームですから。

大阪桐蔭vsPL学園が黄金ガードだったと言える時期は2000年代前半、特に2004年の第86回選手権大阪大会決勝で引き分け再試合の死闘を繰り広げた年の前後3年間辺りがピークだったように思います。丁度PL学園は下降線をたどりはじめ、逆に大阪桐蔭には資質抜群の好選手が集まりはじめた時期にあたり、結果的に両校の戦力が拮抗していました。

ということで、全盛期の異なる両校の対戦が黄金カードと言えた時期は思いの他、短かったように感じます。全盛期が同じで戦力が拮抗していた黄金カードとしては、1980年代後半から1990年代前半の近大附属vs上宮がもっとも印象的で、この対戦になると日生球場は外野席開放の大観衆になりました。

これに対して大阪桐蔭vsPL学園の場合、舞台が交通アクセスが悪く、収容員数も劣る舞洲に移ったことも黄金カードとしての印象を薄くしているように思います。

[25471] Re:[25467] 「黄金のカード」 投稿者:khiro 投稿日:2016/05/09(Mon) 23:47

管理人様、みなさん、こんばんは。

大阪はどちらかといえばPL学園-大阪桐蔭が「黄金カード」に該当しませんか?
ともに春夏連覇校、新旧のプロ野球選手輩出数トップのチームですから。

わが東京では東は帝京-関東一、西は早稲田実-日大三が黄金カードとなりますが、帝京-関東一の方は最近の強豪対決という意味合いで伝統的なものはありませんね。

[25470] Re:[25466] 「黄金のカード」 投稿者:№38 投稿日:2016/05/09(Mon) 23:19

管理人さん,みなさん,こんばんは。

>それぞれ早稲田と慶応をイメージしたユニフォームを着用し、ライバル意識むき出しだったという話を聞いたことがあります。

早慶をイメージしたユニフォームをまとっていなくても『○○の早慶戦』なんて言葉があります。
例えば『水戸の早慶戦』これは水戸一-水戸商のことです。(因みに水戸商のユニフォームはバリバリ明治です)
そして『岐阜の早慶戦』は岐阜-県岐阜商です。

そう考えると,『ハマの早慶戦』は希望ヶ丘-横浜商でしょうか。全然聞きませんが(笑)

[25467] Re:[25465] 「黄金のカード」 投稿者:t. k 投稿日:2016/05/09(Mon) 22:28

こんばんは>皆様

各地区の黄金カードですが、様々な意味合いがあると思います。
その地域を代表する伝統校・古豪同士の対戦という形もあれば、一方、シンプルにその時々の2強同士の対戦もあります。
*後者は極論を述べると毎年違ってきてしまいますが・・・近年5年無いし10年の実績を見て2校対立構造になっていれば当てはまるかと。

秋田商-秋田、高岡商-富山商、松山商-今治西といったカードの場合、その地域を代表する公立の名門校対決と言う事で前者に該当。
一方、大阪桐蔭-履正社なんかだと近年の強豪2校の対決ということで後者の方が該当。
横浜-東海大相模、天理-智弁学園だと・・・どっちとも取れるでしょうか?
*上記はいずれも最近の強豪ではなく昔からの強豪ということより。

東海地区の場合、古豪・伝統校が多いだけにそのようなケースは多々あります。
愛知だと、中京(中京大中京)-東邦は言うまでも無く、愛工大名電、享栄も含めて私学4強同士の対戦は黄金カードの扱いになります。
一方、新興私学の実力校(愛産大三河、愛知啓成、豊川、杜若、豊田大谷、愛知黎明(弥富)、春日丘、中部大第一など)同士の対戦では、あまりそのような捉えられ方はしてないと思います。
*寧ろ、豊田西、刈谷、成章などの公立進学校同士の方が互いを意識しているかな?と感じます。

静岡の場合、静岡-静岡商は確か定期戦も行っていたかと思いますし、この2校に浜松商が絡んだ対決は注目度の高い(というよりオールドファンが喜びそうな)カードと思います。
ここの場合、近年の強豪対決の意味合いだと常葉菊川-常葉橘の「常葉対決」が該当するでしょうか。

岐阜の場合では、県岐阜商-市岐阜商は「岐商対決」で注目のカード(市岐阜商の実績が少々乏しいのですが・・・)ですが、最近の場合は県岐阜商と大垣日大、中京あたりの対決が黄金カードに相当するかな、と感じます。

三重だと、やはり長期的にこの地区を代表する強豪校である三重-海星が該当するかな、と思います。(海星が久しく甲子園から遠ざかっていますが)

他の地域で思い浮かんだ所では・・・
仙台育英-東北、銚子商-習志野、星稜-金沢、報徳学園-東洋大姫路、広島商-広陵、徳島商-池田、鹿児島実-樟南といった対戦が、
その地域の実力・人気を二分する2校による注目カードかな?と感じます。

以上、長々と失礼しました。

[25466] Re:[25465] 「黄金のカード」 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/09(Mon) 02:57

皆さん、こんばんは。

黄金カードですか。全国を見渡せば、次々と思い浮かびますね。最近はそうでもありませんが、各都道府県で勢力を二分する学校は、それぞれ早稲田と慶応をイメージしたユニフォームを着用し、ライバル意識むき出しだったという話を聞いたことがあります。秋田商-秋田、高岡商-富山商、松山商-今治西などは、その一例と言えるでしょうか。富山商については、かつての中京商のユニフォームに似ていますが、98年夏に出場したときは、角ゴシックの慶応仕様でした。

[25465] 「黄金のカード」 投稿者:横浜太郎 投稿日:2016/05/08(Sun) 22:59

皆さん、こんばんは。
神奈川の高校野球において横浜と東海大相模の戦いは、いわゆる「黄金のカード」と言われます。両チームの監督と選手のこの戦いに対する意気込み、決意は特別なものがあり、勝ちにこだわる執念はすさまじいものがあります。また選手だけでなく神奈川の高校野球ファンのこの戦いに対する関心度は凄く、必ず球場は満員になる「黄金のカード」なのです。開始前からの札止めも度々、入りきれないファンの為に特設テレビまで設置されたこともあります。ある意味、ファンにとっては、甲子園での戦いより注目度と関心度が高い一戦と言えます。かつては「横高対Y校」が「黄金のカード」と言われていた時期もありました。
各都道府県の高校野球でも神奈川のような「黄金のカード」はあるかと思います。主観的には「大阪桐蔭対履正社」とか、「天理対智弁」とか、思い浮かびますが。。。。

[25464] Re:[25462] 春季神奈川大会横浜高校優勝 投稿者:横浜太郎 投稿日:2016/05/06(Fri) 22:25

皆さん、こんばんは。

相模次郎様こんばんは。
> ついでですので、「オール神奈川」チームも編成していただけないでしょうか。

あくまでも私の主観ですが、ベテラン・中堅選手を除いた、今後の活躍を見込んで、若手で今年度ある程度レギュラーで出ている神奈川県の高校出身者に絞って編成して見ました。

投手・・・菅野(巨人・相模)
捕手・・・近藤(日ハ・横高)
一塁・・・茂木(楽天・桐蔭)
二塁・・・田中(広島・相模)
三塁・・・鈴木(オリ・桐蔭)
遊撃・・・倉本(横浜・横高)
右翼・・・浅間(日ハ・横高)
中堅・・・秋山(西武・創学)
左翼・・・筒香(横浜・横高)

[25463] Re:[25461] 春季神奈川大会横浜高校優勝 投稿者:№38 投稿日:2016/05/02(Mon) 23:02

管理人さん,みなさん,こんばんは。

> 本日春季神奈川大会決勝において横高は日大を寄せ付けず圧勝、11-1で優勝

このカード,軟式では

横浜 1-8 日大高

と完敗しています。当事者たちは,毛頭そんなことは思っていないでしょうが『軟式の敵を硬式でとった』形になりました。もっとも,横浜は軟式ではまだまだ新参なので,このような結果になったのでしょう。

[25462] Re:[25461] 春季神奈川大会横浜高校優勝 投稿者:相模次郎 投稿日:2016/05/02(Mon) 00:36

管理人さま、皆さん、こんばんは。横浜太郎さま、いつも大変お世話になっております。

> PLのベストナインは全国一の豪華メンバーですね。どのポジションの選手も球界を代表するメンバーで凄すぎます。栄光と堕落。そのPLが休部するとは誰も考えなかったのではないでしょうか?
> ちなみに、PLの「永遠」のライバル横高の現役プロ選手だけでポジション別に組んで見ました。

ついでですので、「オール神奈川」チームも編成していただけないでしょうか。東海大相模からは菅野や大田、桐蔭学園の茂木、日大藤沢の館山、桐光学園の松井、横浜創学館の秋山などを一堂に集めてみましょう。チーム名は県都・横浜を冠にするのは良しとして、「横浜ブルーライツ」なんていかが。街の灯りがとてもきれいに見えますね。

[25461] 春季神奈川大会横浜高校優勝 投稿者:横浜太郎 投稿日:2016/05/01(Sun) 22:08

皆さんこんばんは。
本日春季神奈川大会決勝において横高は日大を寄せ付けず圧勝、11-1で優勝しました。渡辺前監督退任後、若き平田新監督の下、秋季に続いて春季も優勝し、横高の圧倒的強さを示しました。入部したばかりの一年生を1~3番に抜てきするなど、「奇抜な」平田カラーを前面に押し出した采配になりました。関東大会の初戦の相手は健大高崎。

非公式記録員さんこんばんは。
PLのベストナインは全国一の豪華メンバーですね。どのポジションの選手も球界を代表するメンバーで凄すぎます。栄光と堕落。そのPLが休部するとは誰も考えなかったのではないでしょうか?
ちなみに、PLの「永遠」のライバル横高の現役プロ選手だけでポジション別に組んで見ました。
投手・・・涌井(ロッテ)
捕手・・・近藤(日ハム)
一塁・・・福田(中日)
二塁・・・石川(横浜)
三塁・・・高濱(ロッテ)
遊撃・・・倉本(横浜)
右翼・・・乙坂(横浜)
中堅・・・荒波(横浜)
左翼・・・筒香(横浜)

[25460] Re:[25459] いろいろ 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/01(Sun) 11:14

皆さん、こんにちは。

下の追加です。阿部慶二氏についても、78年夏にベンチ入りしていたものと思われます。よろしくお願いします。

[25459] Re:[25457] いろいろ 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/05/01(Sun) 03:58

皆さん、こんばんは。

当サイトにおける、出身校別プロ野球選手リストによりますと、北信越ではやはり松商学園が多そうで、星稜、金沢といったあたりが続いています。北海が21人、松商学園が31人であることを考えれば、北海道と北信越の両地区は全体的に少ないと言えるかもしれませんね。

なお、PL学園の項で、小早川毅彦氏は78年春も正一塁手として出場しています(夏はメンバー外)。また、山中潔氏は78年夏も控えの捕手としてベンチ入りしていたと思われ、逆に金石昭人氏は78年夏のみ控えの投手としての出場だったと記憶しています。併せてご確認をお願い致します。

[25457] Re:[25454] いろいろ 投稿者:№38 投稿日:2016/05/01(Sun) 00:02

管理人さん,みなさん,こんばんは。

> 因みに、昨シーズン終了時における、学校別のプロ選出輩出数ベスト10については、以下のとおりです。
> PL学園・・・79人
> 中京大中京・・・76人
> 広陵・・・61人
> 龍谷大平安・・・60人
> 横浜・・・59人
> 熊本工・・・58人
> 大体大浪商・・・56人
> 享栄・・・52人
> 松山商・・・51人
> 東北・・・41人

こちらのBest10,北海道と北信越のチームがありませんね。北海道は当然北海が№1でしょうが,北信越はどこでしょうか?出場回数トップの松商でしょうか?それとも星稜かな?ただ名門,福井商が横山竜士がプロ入りするまで何と0人だったことなどを考えると,北信越は意外と少ないのかもしれませんね。

[25454] Re:[25453] いろいろ 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/30(Sat) 01:55

皆さん、こんばんは。

昨オフ、あるテレビ番組で、「PL学園OB会」と称し、現役の松井を含む、清原、立浪、片岡、橋本の5氏が、同校の歴代ベストナインを選出。結果を集計しますと、以下のとおりになりました。ただし、松井氏を除いては、自身の選出を回避しています。
投手・・・桑田真澄(5票)
捕手・・・木戸克彦(4票)
一塁手・・・清原和博(4票)
二塁手・・・松井和夫(稼頭央)(4票)
三塁手・・・片岡篤史(3票)
遊撃手・・・立浪和義(4票)
外野手・・・吉村禎章(4票)、福留孝介(4票)、新井鐘律(宏昌)および大村三郎(サブロー)(各2票)

因みに、昨シーズン終了時における、学校別のプロ選出輩出数ベスト10については、以下のとおりです。
PL学園・・・79人
中京大中京・・・76人
広陵・・・61人
龍谷大平安・・・60人
横浜・・・59人
熊本工・・・58人
大体大浪商・・・56人
享栄・・・52人
松山商・・・51人
東北・・・41人

それにしても、さすがはPL学園野球部ですね。同校の伝説が消えて無くなることは決してありませんが、やはり今夏が最後になってしまうのでしょうか。

[25453] Re:[25460] いろいろ 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/04/29(Fri) 01:28

ロビンさま、こんばんは。

> やはりそういうことがあったんですね。PL学園OBだけで、とまでは行かなくても、上宮や近大付などのOBも加えれば、それだけで1チーム作れそうな時期がありましたよね。まさにオール大阪=オール日本、と言っても過言ではなかったですよね。

こうして選手を並べてみると、本当に自分がチームのGMや監督だったら、どんな編成、選手起用をするだろうかとワクワクする感じですね。当時を振り返って冷静に戦力を見ていくと、まず野手陣では内野手の層が厚すぎる感があるので、幾分手薄な外野に、地肩の強さを買って松井稼頭央をコンバートしたい。また長丁場のペナントレースを戦い抜くためには、投手陣に先発の駒がもう少し欲しいので、特別に投手だけは3校以外の大阪府の高校出身者が加入できることとし、岩本勉(阪南大高-日本ハム)、今中慎二(大阪桐蔭-中日)、野茂英雄(成城工業-近鉄-ドジャース(当時))の3人を補強、桑田真澄をストッパーとして起用する。これで本気で「日本一」を狙える「オール大阪」チームの出来上がりです。

チーム名は「大阪ラプソディーズ」なんていかが?。海原千里・万里か・・、今の子らは知らんやろなあ(笑)。

[25452] いろいろ 投稿者:ロビン 投稿日:2016/04/28(Thu) 20:59

アララの呪文様

フォローならびにご教授、ありがとうございました。
やはりそういうことがあったんですね。PL学園OBだけで、とまでは行かなくても、上宮や近大付などのOBも加えれば、それだけで1チーム作れそうな時期がありましたよね。まさにオール大阪=オール日本、と言っても過言ではなかったですよね。

横浜太郎様

レスありがとうございます。
山本武白志選手ですが、昨年夏の打撃を見ると、私のような素人からすると上位指名は間違いないと思っていましたので、育成指名というのは全く予想外でした。ただ中学生以前の姿をご存知の方からすれば物足りない、という評価だったんですかね。でも私も生で3本塁打のうち2本を見た人間として、プロの世界で活躍して欲しいと思いますね。
ところで、その山本選手も在籍している現在のDeNAベイスターズには、横浜高校出身の選手がそれだけいる一方で、意外にもと言うべきか、東海大相模出身の選手はゼロなんですよね。

[25451] 再び横浜高校 投稿者:横浜太郎 投稿日:2016/04/27(Wed) 23:17

皆さんこんばんは。
本日のベイスターズ対ドラゴンズは、まさに横浜高校デーになりました。スタメンの1番から4番、そして6番と横高卒業生が並び、先制打、決勝打、本塁打と大活躍。お立ち台3名すべてが横高卒業生という活躍ぶりでした。とりわけ、初のスタメン3番に座った乙坂選手の活躍ぶりは凄かった。昨年ブレークした同級生の日ハム3番近藤選手に先を越された感はありましたが、着実に乙坂選手も成長しているのではないかと思います。
現在ベイスターズには6名の横高卒業生がいます。昨年までは多村、土屋選手もいて、何と1球団に8名もの卒業生がいたのですから驚きです。
横高は1964頃からほぼ毎年のようにコンスタントにプロ選手を輩出してきています。とりわけ1995年の多村選手以降は、凄い勢いでプロ選手を輩出しています。現在まで、ほぼ20年連続でプロ選手を出し続け、平均すると毎年2名づつのプロ選手を出し続けています。横高のプロ選手は、高卒がほとんどなんですが、最近の特徴としては、荒波、倉本、下水流選手のように、大学で4年、社会人で2~3年経験してからプロになる選手も多くいます。

[25450] Re:[25398] 平成28年度石川県高野連招待試合結果 投稿者:makoto 投稿日:2016/04/27(Wed) 13:23

管理人様、マッツジュンさんこんにちは。
返事が遅れまして申し訳ございませんでした。4月4日から6日まで小松弁慶スタジアムと寺井球場で行われていた龍谷大平安高校戦のチーム編成についてですが、小松弁慶スタジアムの方は平安高校のレギュラーチームで、寺井球場の方は控えチームです。

[25448] Re:[25445] PL学園出身者 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/04/27(Wed) 00:55

ロビン様、皆様、こんばんは。

> 大変恐縮ですが私も現在の状況については某社発行の今季の選手名鑑で確認できましたが、以前の状況についてはそれ程詳しい訳ではないので分かりかねます。ただもっと詳しい方がいらっしゃれば、私も興味があります。
> 仰る通り、全盛期にはほとんどの球団にPL学園出身者がいた印象がありますよね。

PL学園を卒業してプロ野球に進んだ選手がもっとも多く活躍していたのは1990年代で、ほとんどの球団に誰かが在籍していた記憶があります。改めて正確に検証するため、書棚からさっと取り出すことができた1997年のプロ野球選手名鑑を見ると、やはり12球団すべてにPL学園出身者が在籍していました。以下に列挙致します。

オリックス=松山秀明、日本ハム=金石昭人、片岡篤史、西武=松井稼頭央、今久留主成幸、近鉄=内匠政博、千葉ロッテ=サブロー(大村三郎)、福岡ダイエー=若井基安、読売=桑田真澄、入来祐作、清原和博、吉村禎章、橋本 清、中日=立浪和義、広島=野々垣武志、ヤクルト=宮本慎也、小早川毅彦、横浜=野村弘樹、阪神=今岡 誠、岩田 徹、ということで、確認できただけでも同時期に実に20名。

それからロビンさんのご指摘通り、1997年時点では上宮出身の選手もやたら多いです。丁度、この頃の大阪は上宮、近大附属、PL学園の3強時代。当時この3校出身のプロ野球選手を集めたら、本気でペナントレースを戦えるぐらいの戦力になったと思われます。

主な上宮出身者/元木大介(読売)、種田仁、市原圭、筒井壮(中日)、黒田博樹、西山秀二(広島)、光山英和(近鉄)、笘篠賢治、三木肇(ヤクルト)、中村豊、西浦克拓(日本ハム)、笘篠誠治(西武)、薮田安彦(千葉ロッテ)

主な近大附属出身者/犬伏稔昌(西武)、脇坂浩二(福岡ダイエー)、大塔正明(中日)、木下文信(ヤクルト)、森岡裕之(近鉄)、久保充広(オリックス)

こうして見ると、近大附属が幾分、線が細い印象ですが、この2年後に金城龍彦が社会人・住友金属を経て、投手から野手への転向を前提として横浜に入団、その後の活躍はみなさんご存じの通り。3校OB球団ありせば、核弾頭としてチーム力の底上げに貢献したことでしょう。 

[25447] 山本武白志選手 投稿者:横浜太郎 投稿日:2016/04/27(Wed) 00:16

皆さん。こんばんは。

ロビン様こんばんは。
山本功児氏は、お亡くなりなる2週間前に、ベイスターズの高田GMに、息子を厳しくやってくれと頼んだそうです。思い出せは、武白志選手は、横浜の都筑ジャイアンツボーイズ時代から、注目されていて、4番で投手もやっていた。中3の時は野茂さんが総監督を務めるジュニアオールジャパンにも選出され。アメリカ渡米とアメリカ代表との試合も経験し将来性が期待されいました。県内の強豪私学に入部する噂も出ていましたが、結局のところ、遠く地元横浜を離れ、九州の九国大付属に入部しました。武白志選手は、高3の夏に本塁打を連発して注目を集めましたが、中学時代の彼を見ているだけに、少し伸び悩んでいるのかなという印象です。
いずれにしても、育成とは言え、プロ選手になったわけですから、お父さんの意思を受け継ぎ、まずは支配下選手になり、その後一流のプロ選手へと羽ばたいてほしいと願います。

[25445] Re:[25444] 横浜&東海大相模 投稿者:ロビン 投稿日:2016/04/26(Tue) 21:41

シビン様、皆様、こんばんは。

> 昔はPL学園がこんな感じでしたが、ピークの頃は同時に何球団にPL出身者が在籍していたのでしょうか。

大変恐縮ですが私も現在の状況については某社発行の今季の選手名鑑で確認できましたが、以前の状況についてはそれ程詳しい訳ではないので分かりかねます。ただもっと詳しい方がいらっしゃれば、私も興味があります。
仰る通り、全盛期にはほとんどの球団にPL学園出身者がいた印象がありますよね。大阪では他に上宮なども多かった気がします。
最近では大阪桐蔭ですかね。やや阪神と西武に偏っている感がありますが、こちらも現在、いない球団の方が5球団と少なくなっています。全体の人数でもトップクラスでしょうね。

[25444] Re:[25441] 横浜&東海大相模 投稿者:シビン 投稿日:2016/04/26(Tue) 14:01

ロビン様、皆様、こんにちは。
>
> 実は現在のNPBの球団で、育成選手を含め、横浜高校出身の選手がいないのは、何と西武、オリックス、楽天、阪神の4球団だけなんですね。そのうちオリックスと阪神には東海大相模の出身者がいますので、12球団中この両校どちらの出身者もいないのは西武と楽天の2球団だけということになります。
> プロ野球選手を1人出すだけでも大変なことであるのを考えると、もうあり得ないレベルですよね。

昔はPL学園がこんな感じでしたが、ピークの頃は同時に何球団にPL出身者が在籍していたのでしょうか。

[25442] Re:[25441] 横浜&東海大相模 投稿者:相模次郎 投稿日:2016/04/26(Tue) 00:31

ロビン様、皆様、こんばんは。

>12球団中この両校どちらの出身者もいないのは西武と楽天の2球団だけということになります。

西武には横浜創学館出身の秋山翔吾、楽天には桐光学園出身の松井裕樹。横浜と相模OBが不在の両球団のトップスターは神奈川県出身。これぞ野球王国神奈川の真骨頂ですな。

[25441] 横浜&東海大相模 投稿者:ロビン 投稿日:2016/04/25(Mon) 22:50

横浜太郎様、相模次郎様、皆様、こんばんは。

実は現在のNPBの球団で、育成選手を含め、横浜高校出身の選手がいないのは、何と西武、オリックス、楽天、阪神の4球団だけなんですね。そのうちオリックスと阪神には東海大相模の出身者がいますので、12球団中この両校どちらの出身者もいないのは西武と楽天の2球団だけということになります。
プロ野球選手を1人出すだけでも大変なことであるのを考えると、もうあり得ないレベルですよね。

[25440] Re:[25435] 東海大相模高校 投稿者:相模次郎 投稿日:2016/04/25(Mon) 21:31

皆さんこんばんわ。
> 本日春季神奈川県大会準々決勝、永遠のライバル横浜対相模の激戦がありました。注目のカードということもあり、準々決勝にも関わらず球場は超満員。全国一の観客動員を誇る神奈川の高校野球ファンの熱さを感じるものでした。試合は横浜が得点しては相模が追いつく接戦が繰り広げられ、激闘の結果延長の末横浜が勝ちました。昨秋に続き春季も横浜が連勝する結果になりました。

昨日の朝は結構降っていたものの、お客さんの出足の早いこと。屋根の下の席はすぐに埋まりましたね。さて、東海大相模も頑張りました。昨秋は大差の完敗でしたが、今回は延長にもつれ込む大熱戦。横浜OB成瀬にそっくりの山田啓とプロ注目の速球投手北村が頑張りましたし、8回にはまさかの同点2ランで沸きました。夏は負けないですよ。

それにしても神奈川の横綱対決は面白いし、第二試合の大関対決(慶應vs桐光)も面白かった。やっぱり神奈川の高校野球はいいですね。

[25439] 山本功児氏 投稿者:ロビン 投稿日:2016/04/25(Mon) 17:48

皆様、こんばんは。
皆様既にご存知かと思いますが、元巨人、ロッテで現役引退後はロッテ監督も務めた山本功児氏が23日、64才という若さで亡くなられましたね。
私は世代的に現役時代は最晩年しか知りませんが、王貞治氏の控えで、1981年の中日・宇野勝選手の「ヘディング」の打球を打ったことは有名ですし、また同時期に同姓同名(しかも大学の先輩)の広島・山本浩二選手が居たために「偽コージ」と野次られたりもしたようですね。
そして最近では今季DeNAに育成入団した山本武白志選手の父親、と言った方がピンと来る人も多いでしょうね。昨年夏は甲子園で息子さんの試合を観戦されていたとのこと。その息子さんの一軍での姿を見られなかったのはさぞ残念だったでしょうね。
ご冥福をお祈りします。

[25435] 横浜高校 投稿者:横浜太郎 投稿日:2016/04/24(Sun) 22:11

皆さんこんばんわ。
本日春季神奈川県大会準々決勝、永遠のライバル横浜対相模の激戦がありました。注目のカードということもあり、準々決勝にも関わらず球場は超満員。全国一の観客動員を誇る神奈川の高校野球ファンの熱さを感じるものでした。試合は横浜が得点しては相模が追いつく接戦が繰り広げられ、激闘の結果延長の末横浜が勝ちました。昨秋に続き春季も横浜が連勝する結果になりました。注目の150キロ越えの横浜の先発藤平君は4失点ながら要所を抑え、この日も最速は148キロとまあまあな結果を残したように思います。注目の一年生強打者も大活躍している横浜の今後が楽しみです。

ちなみに、横浜高校ベイスターズ???
昨日の巨人戦での出来事。何と、1番センター乙坂、2番セカンド石川、3番ライト荒波、4番レフト筒香、5番ショート倉本と1番から5番まで横浜高校卒業生で打順が組まれました。プロ野球チームにおいて1つの高校の卒業生5名が同時に守備と打撃につくことはいままであったでしょうか?横浜高校のプロ選手の育成力の凄さを垣間見る想いでした。

[25434] Re:[25433] 選手権大会の名称 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/04/24(Sun) 22:01

管理人さん、皆さん、鉄人244号さん、こんばんは。

> 選手権大会の名称ですが、中学から高校野球に学制改革で替わった時の昭和23年から昭和28年までは、中学野球時代から継続しての回数ではなく、昭和XX年度全国高校野球選手権大会という名称でした。

これはこれは的確なフォローをいただき感謝致します。出場回数が引き継がれていることや、大会そのものは戦前の「全国中等学校優勝野球大会」との連続性が保たれていることから、昭和23年度の大会がその時点で「第30回」と認識していたとの思い込みがありました。戦後の「アサヒスポーツ」を追いかけてみると、確かに昭和28年度まで昭和XX年度大会となっています。勿論、昭和23年度を第1回として数えたことはありません。

言い訳になりますが、普段なら特に昔話を書くときは、ひとわたり関係しそうな資料に目を通してから書くようにしているのですが、今朝は春季大会観戦に出向き、球場で試合開始待ちをしている時、退屈しのぎにスマホを開くと、非公式記録員さんの書き込みがありましたので、その場でレスポンスしてしまった次第。慌てず、帰宅してからゆっくり書き込めば、こんなことにはならなかったかも知れません。

なお、これで思い出したのが、深紅の優勝旗にぶら下がった歴代優勝校のペナント。優勝旗を分解し、第1回からのすべてのペナントを平置きして並べた貴重な写真が、朝日新聞の昭和46年8月6日付け別刷に掲載されているのですが、このペナントも、大会回数を再び数えるようになった昭和29年の前年優勝校の松山商業の分から「優勝 第三十五回 松山商業高等学校」と記されています。

もっとも不思議なのが、それ以前のペナント。昭和23~27年はわかるとして、それ以前も大会回数ではなく、和暦の年度が書かれているのです。第1回~第5回は「和暦と大会回数の併記」でしたが、第6回大会の関西學院中學部では、大正九年度となり、以後昭和27年の第34回大会までずっと和暦のみの表記となっていました。なお、昭和40年第47回大会以降は再び和暦と大会回数の併記となりました。

[25433] 選手権大会の名称 投稿者:鉄人244号 投稿日:2016/04/24(Sun) 19:58

管理人さん、皆さん、こんばんは。

選手権大会の名称ですが、中学から高校野球に学制改革で替わった時の昭和23年から昭和28年までは、中学野球時代から継続しての回数ではなく、昭和XX年度全国高校野球選手権大会という名称でした。

昭和23年の朝日新聞掲載の大会要項を一部抜粋しますと、

昨年までの全國中等学校優勝野球大会は学制改革によって「中学」が「高校」と変わるが、今年は大会の名称も「昭和廿三年度全國高等学校野球選手権大会」となって八月十三日から八日間、甲子園球場で挙行される。参加校の増加のため予選地区が従来の十九から二十三になったこと、および昨年の中等学校五年生が新設高校の三年生として今年も出場出来ることなどが今年の大会要項中の主な点である。

と記載されています。各校の出場回数は中等学校時代から引き継がれていたようでしたが大会の呼称自体は、学生改革によって混乱が生じ、6年間は昭和XX年度大会と呼ばれていたようです。

[25432] Re:[25431] 出場履歴 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/24(Sun) 14:44

皆さん、こんにちは。

う~む、落とし穴がありましたか(笑)。ちなみに、1948年11月、第3回選手権大会出場校・長崎中の後継である長崎と、長崎女、瓊浦、長崎市女の計4校が、長崎東と長崎西に再編されました。このケースでは、学校側が長崎東と長崎西を新設校として位置付け、現在でも旧校の歴史が両校に引き継がれていません。桐蔭や向陽の場合も、当時はこれと同様であったものと思われ、和歌山中なり海草中の後継としての位置付けが明確でなかったために、和歌山商も含めた3校が統合したかのような出場回数のカウントの仕方になったのかもしれません。ですので、第30回の選手権大会が、中等野球の流れを汲むものとして認識されていなかった旨の記述は、完全に私の早とちりでした。

なお、長崎東と長崎西は、その後甲子園に再出場を果たしており、1949年夏の長崎東はメンバーの全てが、1951年春夏の長崎西は主力となる3年生が、それぞれ長崎中なり瓊浦中野球部出身の選手だったことになります。1917年夏の出場歴を両校が引き継いでいるのは、このあたりが理由かもしれません。

[25431] Re:[25429] 出場履歴 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/04/24(Sun) 08:03

管理人様、皆さん、こんばんは。

> ふと気になったのですが、48年夏の選手権が、「第1回全国高等学校野球選手権大会」として開催されていたなら、同大会に桐蔭は27回目の出場を果たしていたという矛盾が発生することになりますよね。選抜大会については、学制改革以前の大会回数を通算するようになったのが、55年以降であることがWikipediaで確認できたのですが、選手権大会の場合は当初から通算されていたのでしょうか。また、48年の「第1回選抜高等学校野球大会」の出場校は、すべて初出場として扱われたのでしょうか。か

昭和23年の選手権は第30回全国高等学校野球選手権大会として開催されており、第1回大会として認識されたことはありません。この点についてもGHQが絡むのですが、高校生の全国大会は一つで良いとする方針により、夏の選手権は存続が認められたのですが、選抜大会は基本的に認められなかったことから、関係者の尽力、GHQとの折衝の結果、関西地区の学校を中心とした招待大会として形を変えての開催を認めさせました。選抜の昭和23年大会が第1回とされたのはこの為で、これは昭和29年の「第7回」まで続きました。
なお、この経緯は過去ログ[25062]に記載しておりますので、ご参照願います。

[25430] Re:[25429] 出場履歴 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/24(Sun) 02:39

皆さん、こんばんは。

失礼しました。アララの呪文さまの投稿によりますと、選手権大会の場合は当初から通算されていたようですね。では、選抜大会との不一致にはいかなる理由があったのか・・・。

[25429] Re:[25427] 出場履歴 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/24(Sun) 02:25

皆さん、こんばんは。

ふと気になったのですが、48年夏の選手権が、「第1回全国高等学校野球選手権大会」として開催されていたなら、同大会に桐蔭は27回目の出場を果たしていたという矛盾が発生することになりますよね。選抜大会については、学制改革以前の大会回数を通算するようになったのが、55年以降であることがWikipediaで確認できたのですが、選手権大会の場合は当初から通算されていたのでしょうか。また、48年の「第1回選抜高等学校野球大会」の出場校は、すべて初出場として扱われたのでしょうか。

[25428] 藤商第1シードゲット! 投稿者:№38 投稿日:2016/04/23(Sat) 17:23

管理人さん,みなさん,こんにちは。

神奈川県大会準々決勝
藤沢翔陵 7-6 横浜隼人

昔ながらの藤商(とうしょう)という呼び名を使わせてもらいました。藤沢市内では日大藤沢に押されていた翔陵が29年ぶりのBest4です。次の日大高戦に30年ぶりの関東をかけます。

[25427] Re:[25426] 出場履歴 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/23(Sat) 02:28

皆さん、こんばんは。

う~む、平たく言えば、桐蔭は和歌山中の、向陽は海草中の後継校として発足したわけではないとでも言えばいいのか。そもそも、現在の高校野球が、中等野球の流れを汲むものとして、大会回数が累積されるようになったのも、学制改革から数年後のことだったようですし。こういった状況下では、48年夏の桐蔭が、和歌山中、海草中、和歌山商の統合によって発足したと大会本部が判断したとしても、無理からぬことのように思われます。ただ、これを踏まえての、61年夏の出場が19回目であったとするならば、52年春の出場がしばらく広島商にカウントされなかったのは、かえって仇になったのか。このあたりは、学校サイドが「統合・分離」として扱うかどうかの問題もあり、難しいと言えるでしょう。

時代背景や空気感、OBの心の熱さ、確かにわからないでもないですが、そうなる前にどの学校が何回出場しているのか把握されていることが理想のようにも思われます。その意味では、朝日新聞のデータ管理の姿勢には敬意を表しますが、精度という点では当「激闘&栄光」サイトに遥か及ばないか(笑)。

[25426] Re:[25413] 出場履歴 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/04/23(Sat) 00:40

管理人様、皆さま、こんばんは。

>昭和23年の第30回選手権に出場した桐蔭は、27回目の出場と発表されました。
>和歌山中の17回と、学区制実施で野球部員等が桐蔭に移籍した海草中(学校は新制向陽高校として存続)の7回と和歌山商の2回、新制桐蔭高校の1回を足して27回目です。
>この頃の桐蔭は旧制和歌山高女の校舎を使用し、旧制和歌山中の校地は吹上球場として和歌山県大会に使用されました。

くぁZさんが仰せの通りでございまして、アサヒスポーツ昭和23年8月14日号に掲載された第30回全国高校野球選手権大会の23代表の紹介記事を見ると、桐蔭高校は旧制和歌山中学の17回、旧制海草中学の7回、旧制和歌山商業の2回を加え、この大会は27回目の出場と記されています。ところが面白いことに桐蔭が次に選手権に出場した第43回大会(昭和36年)では桐蔭高校の出場回数は19回目、つまり旧制和歌山中学の17回のみを継承した回数が週刊朝日大会号に記されています。なぜ、このようなことが起きたのでしょうか。いろいろ調べてみると、学制改革の混乱がもたらした特殊な状況が影響しているようです。

丁度、この話題が本掲示板を賑わせている折も折、昨日の朝日新聞夕刊に連載記事「復活の白球」の中で和歌山の学制改革時の状況が書かれており、私が説明しようとした話題が盛り込まれています。詳細はそちらもご覧いただくとして、GHQの指導下、和歌山県ではエリート養成校の出現を排除する新制高校政策として、まず高校名にはアルファベットが振られ(桐蔭はG校、向陽はF校など)、居住地によって進学先が決まる学区制が敷かれ、程なく、桐蔭、向陽、星林といった地名に由来しない学校名が定められました。

そうした占領政策の落とし子が昭和23年の桐蔭高校で、たまたま前年夏に甲子園に出場した海草中学の有力選手が多く桐蔭高校に振り分けられたことにより、旧和商の選手も含め、結果的にオール和歌山選抜のような強豪チームが編成されたわけです。紀和大会を順調に勝ち上がった桐蔭は、甲子園でも準優勝に輝きました。

この大会の出場校を紹介した「アサヒスポーツ編甲子園大会」(現在の週刊朝日甲子園大会号に相当する雑誌)の桐蔭高校の項を読むと、OBの尽力により旧和中の校地を修理して市内唯一の球場(吹上球場)を作り上げ、5月からこのグラウンドで猛練習を重ねた。また、練習には旧出身校を問わず、和中、海草中のOBらが連日ノックの雨を降らせたとのこと。ホームグラウンドで開催された紀和大会(※)ではその成果を存分に発揮できたという次第です。(※)但し郡山との決勝戦は奈良・春日野球場

つまり、旧制中学からの流れは一旦リセットされた状況の中で、桐蔭高校に集まった選手が出自に関係なく心を一つにして掴んだ甲子園であり、この出場回数は和中、海草中、和商のすべてと共有すべき性質のものであるという考え方が当時としてはごく自然な事だったのではないかと思われます。

時は流れ、昭和26年に桐蔭、星林、海南の商業科が再編統合され、県立和歌山商業が復活、戦後の混乱期を経て、桐蔭、向陽、海南はそれぞれ、旧和中、海草中、海南中の流れを汲む学校という位置づけが明確になり、旧和歌山商業の校地に立つ星林も商業科の廃止により、旧和歌山商業の承継校ではなく、昭和23年設立の新制高校という位置づけが明確になりました。こうした時代の流れを踏まえ、昭和36年第43回選手権の桐蔭高校の出場が19回目とされたのも、これまた、ごく自然な流れであったと思われます。

こうして振り返ってみるに、統合、再編などを経た学校の甲子園出場回数の数え方は、公的な手続き面は当然に重要ながら、それだけではなく、時代背景やその時の空気感も踏まえた様々な要素を考慮してカウントすべきものではないかと思います。そして、何より大事なのは卒業生が再編、統合後の新しい学校に対して「母校」と思ってくれるかどうか。これは非常に重要で、昭和23年の桐蔭高校には、和中、海草中、和商すべての野球部OBという気持ちで現役選手を支援したことで「27回目」の出場を実現させたわけです。

ここでもよく話題になる横浜サイエンスフロンティア高校にしても、仮に甲子園に出場したとして、旧鶴見工業OBが「母校」の出場を祝って、多額の寄付金を集め、甲子園に大挙押し寄せる状況になったら、果たして主催者側はそれでも「初出場」と突っぱねることができるのかどうか。旧市立神戸商業と六甲アイランドの関係なども同様ですが、「初」となるか「2回目」と数えられるかは、案外「OB」の「心の熱さ」にかかっているように思えてなりません。

そういえば、広島商業の選抜出場回数に広島観音としての出場回数1回を加えるようになったのは、第45回大会(昭和48年)からでした。その前の第41回大会時は11回目とされていたのが、この大会では13回目とされたのですが、これもOBからの声に主催者側が判断を下したものだったと記憶しています。

[25424] Re:[25423] 公立の同名校 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/04/22(Fri) 14:58

皆様 こんにちは。

> で 何が言いたいかというと 千葉県 兵庫県等を筆頭に 県立 市立の同名校が存在しますよね   校名につく「県」や「市」が鬱陶しくないのかな?と田舎育ちの人間は単純に思うわけです笑   それぞれの郷土愛が主な理由なんでしょうが 

兵庫県の事情を申しますと、「県」と「市」のある尼崎、伊丹、西宮はいずれも「県」が旧制中学もしくは商業学校、「市」が旧制女学校と言う事で成り立ちがほぼ同じですので、元々全く違う学校という認識が強いせいか、あまり違和感を感じていないですね。地元では「いちあま」「けんあま」と言った具合に「いち」、「けん」を頭につける愛称が定着しています。

それよりも、神港学園高校がかつて神港高校だった時代に市神港と区別するために、「私神港」の表記が一般的だったのが珍しく、印象に残っています。 

[25423] 公立の同名校 投稿者:香川の野球ファン 投稿日:2016/04/21(Thu) 08:19

皆様 お早うございます
その昔 漫画で 野球強豪私立に入学したはずが 公立の弱小同名校に間違って転向したけど その学校で頑張ったというのがあったような・・笑
で 何が言いたいかというと 千葉県 兵庫県等を筆頭に 県立 市立の同名校が存在しますよね   校名につく「県」や「市」が鬱陶しくないのかな?と田舎育ちの人間は単純に思うわけです笑   それぞれの郷土愛が主な理由なんでしょうが  鳴門渦潮なんかははナイスなネーミングと思いました   でも市立のままで 普通科も新設されたなら 市立鳴門だったかもしれませんが

それで 和歌商はめでたく「県」がとれたわけですが なにもまた「県和歌山」があるのに「市和歌山」にしなくても しかも2度めだし・・・   それなら「いちわか高」とか ベタですが「和歌山中央」とか もっとボキャブラリーと郷土愛を うまく融合させて欲しかったわけです

県岐阜商も もう少しで「県」がとれるとこでしたね   残念でしたが・・

それと 静岡高 長野高 広島商 広島工に「県」がつかないのはなぜなんでしょう?

もちろん「内野芝」や「先攻後攻」の件等 世の中には 常識に添えないことは無数にありますし その人なりの「正義」もあります   わがまま人間のたわごとと軽く受け流してくだされば幸いです笑 

[25422] Re:[25421] 出場履歴 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/21(Thu) 01:23

皆さん、こんばんは。

和歌山中、海草中、和歌山高女、和歌山商を一つのグループとして生徒の編入がなされていた旨の記述は、「仮に」と注釈しておりますとおり、高校三原則なるものの説明のため、具体的でわかりやすい事例を設定させていただいたものでした。ですので、事実と異なるものであったとしても、何卒ご容赦いただきたい所存です。ただ、桐蔭に海草中出身の選手がいたことを思えば、向陽にも和歌山中出身の選手がいたことは濃厚であると考えられ(つまり学区に応じた生徒の交換)、また和歌山高女が廃校になったのは和歌山中との統合が理由である旨はWikipediaで確認済みです。まあ、このあたりは、さらに掘り下げた話をしていただける方がいらっしゃるとのことですので、楽しみに待ちたいと思います。

[25421] Re:[25419] 出場履歴 投稿者:アララの呪文 投稿日:2016/04/20(Wed) 09:47

管理人様、皆さま、非公式記録員さま、こんにちは。

> さて、戦後の学制改革においては、高校三原則と呼ばれる、小学区制・総合制・男女共学が実施されました。仮に、和歌山中、海草中、和歌山高女、和歌山商を一つのグループとして、各校の生徒が桐蔭と向陽の学区に応じて両校に編入され、これを満たしたのではないかと考えられるところです。ですので、向陽についても、桐蔭と同様に、和歌山中、海草中、和歌山商出身の選手が混在していたものと思われ、決して部員不足による連合チームの編成をしていたわけではありません。なお、和歌山高女と和歌山商は、このときをもって廃校扱いとなっていますが、男女共学を除いて高校三原則が崩れていく中、3年後の1951年には和歌山商が再興を果たしています。
> 因みに、この和歌山商、桐蔭と向陽の商業課程出身の選手が主力だったと思われる同年夏、いきなり甲子園で4強。廃校期間中の出場はカウントしないため、これが3回目の出場となりましたが、「県」を冠しているのは同年に定時制の市和歌山商(現市和歌山)が開校したためです。

学制改革当時の和歌山県高校球界事情に関する皆さまの識見を興味深く拝見致しております。和歌山フリークの私としてもここは参加しないわけには参りません(笑)。

という事ですが、掘り下げた話題はもう少しお時間を頂戴してからとすると致しまして、旧制和歌山商業について。例の高校三原則に基づき、和歌山商業も閉校した訳ですが、在校生については私の調べた範囲において、桐蔭、星林、海南の3高校に振り分けられ、1951年に3高校の商業科が再編され、今の県和商が発足しています。なお1948年創立とされる星林の校舎は旧制和歌山商業のものです。

[25419] Re:[25416] 出場履歴 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/20(Wed) 02:10

皆さん、こんばんは。

やむことなく続く激しい余震、被災地は一体どうなってしまうのでしょうか。飛行機や新幹線など、公共交通機関が復旧しつつあるのがせめてもの救いです。

さて、戦後の学制改革においては、高校三原則と呼ばれる、小学区制・総合制・男女共学が実施されました。仮に、和歌山中、海草中、和歌山高女、和歌山商を一つのグループとして、各校の生徒が桐蔭と向陽の学区に応じて両校に編入され、これを満たしたのではないかと考えられるところです。ですので、向陽についても、桐蔭と同様に、和歌山中、海草中、和歌山商出身の選手が混在していたものと思われ、決して部員不足による連合チームの編成をしていたわけではありません。なお、和歌山高女と和歌山商は、このときをもって廃校扱いとなっていますが、男女共学を除いて高校三原則が崩れていく中、3年後の1951年には和歌山商が再興を果たしています。

因みに、この和歌山商、桐蔭と向陽の商業課程出身の選手が主力だったと思われる同年夏、いきなり甲子園で4強。廃校期間中の出場はカウントしないため、これが3回目の出場となりましたが、「県」を冠しているのは同年に定時制の市和歌山商(現市和歌山)が開校したためです。

[25418] 春季九州大会は5月に延期 投稿者:藤村@「激闘&栄光」管理人 投稿日:2016/04/19(Tue) 22:39

皆さん、こんばんは。

熊本地震の影響により、今月23日に開幕予定だった春季九州大会の5月延期が決まった模様です。
余震が続く被災地の現状を考えると、出場校の安全な移動手段が確保できないという判断は適切だと思います。

[25417] Re:[25416] こんばんは 投稿者:藤村@「激闘&栄光」管理人 投稿日:2016/04/19(Tue) 21:55

8897さん、こんばんは。
ご無沙汰でしたが、“8897さん”としては初投稿でしょうか(笑
すいません。ちなみに、2年半後(第100回記念大会の頃)のウェブネーム(ハンドル)は90100になるのでしょうね。

[25416] Re:[25414] 出場履歴 投稿者:8897 投稿日:2016/04/19(Tue) 11:32

管理人様、皆様、こんにちは

第30回選手権の桐蔭の件ですが調べてみたところ旧和歌山中7名、旧海草中7名、旧和歌山商3名の今で言う連合チームのような形での参加になったようです。
ただ非公式記録員様のおっしゃる通り向陽高校としては単独で出場(2回戦敗退)している為、向陽は旧海草中の選手を含まずに新向陽高校での参加となっています。

昨年の例で見ると福井県の春江工と坂井の関係に似ているかと思います。春江工は単独チームでの参加が可能でしたが海草中は部員不足の為、桐蔭高校との連合チームになりましたが…

[25414] Re:[25413] 出場履歴 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/19(Tue) 01:45

皆さん、こんばんは。

被災地の状況は、日に日に深刻化しているようです。とりあえずは、余震がおさまってくれることを祈るばかりです。

さて、48年夏の桐蔭なんですが、向陽の沿革を見てみると、それまでの海草中から学制改革によってそのまま新制高校へと移行しており、また桐蔭側にも海草中を統合したといった経緯は見当たりません。おそらく、学区制実施による、両校間での生徒の入れ替えがあったのではないかと考えられるところですが、この場合校史的には何ら変動があったことにはならず、海草中の出場履歴をなぜ引き継いでいたのかは謎ですね。これに対し、和歌山商の場合は、学制改革と同時に桐蔭などの他校に生徒が分散、3年後の51年に再興するまでは、桐蔭の商業課程であったという見方もできないことはありません。このような場合、通常であれば、48年夏の出場履歴は引き継ぐのですが、同校ではこの3年間を廃校期間と位置づけ、通算出場回数にカウントしていません。つまり、桐蔭と和歌山商は、統合・分離したわけではないことになりますから、結果的には和歌山商の出場履歴を引き継いでいたのも間違いだったということになりますね。

なお、大会本部についてですが、私も具体的に何をやっているところか把握できていません。この辺は、もう少し詳しい方にご教示いただきたい所存です。いずれにせよ、高野連によって組織されているものであることに間違いはないと思いますが。

[25413] Re:[25410] 出場履歴 投稿者:くぁz 投稿日:2016/04/18(Mon) 14:39

管理人様、皆様、はじめまして。

>例えば、中京大中京と東邦が統合したなら、その数字は膨大なものとなってしまいます。

昭和23年の第30回選手権に出場した桐蔭は、27回目の出場と発表されました。
和歌山中の17回と、学区制実施で野球部員等が桐蔭に移籍した海草中(学校は新制向陽高校として存続)の7回と和歌山商の2回、新制桐蔭高校の1回を足して27回目です。
この頃の桐蔭は旧制和歌山高女の校舎を使用し、旧制和歌山中の校地は吹上球場として和歌山県大会に使用されました。

[25411] Re:[25410] 出場履歴 投稿者:マッツジュン 投稿日:2016/04/18(Mon) 08:44

皆さん、非公式記録員さま、こんにちは。

> いつもながら思うのですが、全国から救援物資が届けられる
> さて、甲子園出場校同士が統合し再出場を果たした場合の出場履歴について、若干の補足をさせていただきます。慶応義塾、東海大静岡翔洋、海南の3校が、旧校の出場履歴を全て引き継いでいるのは、大会本部の方針によると思われ、これは公式なものとして考えればいいでしょう。実際、各メディアも、これに基づいた扱いをしているのですが、その一方で選手権大会の主催者である朝日新聞が、これに反した扱いをしているというのはいかがなものでしょう。他競技については、それぞれ大会本部が異なりますので、若干の違いが出るのは仕方ないにしても、せめて野球は野球で統一していただきたいものです。

一つ質問なのですが、ここで言うところの「大会本部」とは、どういう組織体なのですか?。大会出場回数の通算基準は、「大会本部」と称する組織が定めているのですか?

[25410] 出場履歴 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/17(Sun) 04:27

皆さん、こんばんは。

いつもながら思うのですが、全国から救援物資が届けられる様は、人間同士の繋がりといったものを感じさせ、心が熱くなります。被災地の皆さん、決して一人ではありません!

さて、甲子園出場校同士が統合し再出場を果たした場合の出場履歴について、若干の補足をさせていただきます。慶応義塾、東海大静岡翔洋、海南の3校が、旧校の出場履歴を全て引き継いでいるのは、大会本部の方針によると思われ、これは公式なものとして考えればいいでしょう。実際、各メディアも、これに基づいた扱いをしているのですが、その一方で選手権大会の主催者である朝日新聞が、これに反した扱いをしているというのはいかがなものでしょう。他競技については、それぞれ大会本部が異なりますので、若干の違いが出るのは仕方ないにしても、せめて野球は野球で統一していただきたいものです。

ただ、これはあるメディアの方のご意見なのですが、全く違う土壌で積み上げられてきた数字を、統合という理由だけで意味もなく合算していいものか。例えば、中京大中京と東邦が統合したなら、その数字は膨大なものとなってしまいます。もちろん、合算しないとなれば、どちらかは廃校扱いということになるのですが、一理ありますね。

[25409] シード校決まる! 投稿者:№38 投稿日:2016/04/16(Sat) 18:41

管理人さん,みなさん,こんばんは。

九州の被災されたみなさんにお見舞い申し上げます。野球どころではないのかもしれませんが一日も早く明るく楽しい球音の響く日が来ますように。

さて,神奈川県大会3回戦が行われました。

大師 4-1 横浜創学館

大師高校が唯一私学を破った公立としてシードを決めました。期待大です!

出場校の履歴なんですが,競技によってまちまちです。東海大翔洋は野球は合算されていますが,ラグビーの場合は,東海大翔洋の出場回のみをカウントしています。同じことが言えるのが神戸科学技術。バスケットボールは御影工の回数を引き継いでいるのに対し,サッカーは神戸科学技術のみでカウントしています。
同じ高校でも競技で違う,同じ競技でも高校で違う,完全にルールのない状況になっています。

[25408] Re:[25407] 鶴見工の出場歴について 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/16(Sat) 02:52

皆さん、こんばんは。

被災された方々は、さぞかし不安な気持ちで二日目の夜を越そうとなさっていることとお察しします。どうか、皆さまで声を掛け合って、この苦境を乗り切っていただくことを願っております。

さて、例えは少し違うかもしれませんが、甲子園出場校同士が統合し再出場を果たした例は、その後再び分離したケースを除いて、慶応義塾(慶応普通部・慶応商工)、東海大翔洋(東海大一・東海大工)、海南(海南・大成)の3例があります。朝日新聞の高校野球サイトは、これらの戦績をどのように管理しているのか。まず、東海大翔洋(現東海大静岡翔洋)は、04年夏の再出場を機に、旧校の戦績を合算したものと思われ、まだ再出場を果たしていない他の統合校や横浜サイエンスフロンティアなども、こうなる可能性があることをうかがわせます。これに対し、慶応義塾と海南は、それぞれ慶応商工と大成の戦績が合算されておらず、慶応義塾に至っては連合チームとして出場した49年春の戦績さえ含まれていません。これらの現状を見る限り、バラバラで統一性がないといった感は拭えませんね。

[25407] Re:[25402] 鶴見工の出場歴について 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/15(Fri) 02:24

皆さん、こんばんは。

地震の恐ろしいところは、やはりいつ発生してもおかしくないことだと思います。テレビのニュースを見ていても、他人事のような気はまったくしません。となると、いかに日頃の備えを十分にやっておくかなんですが、なかなかそこまで気が回らないというのが実際のところです・・・。

さて、朝日新聞の高校野球サイトなんですが、各校の全国大会での戦績について、独特のポリシーで管理なさっているようですね。言葉にするのは難しいですが、過剰なまでの純血主義とでも申しますか。ですので、横浜サイエンスフロンティアが、仮に全国大会の出場を果たしたとして、鶴見工の戦績を引き継いだにしても、これは同じことなのかもしれません。近年の例ですと、鳴門第一と鳴門工の統合によって開校した鳴門渦潮が、少なくとも現時点においては、いずれの学校の戦績も引き継いでいません。

[25406] 山は大阿蘇 投稿者:お菓子の袋 投稿日:2016/04/15(Fri) 02:06

皆さま、管理人様、こんばんは。熊本は大変なことになりましたね。

23日開幕予定の春季九州大会は会場が長崎とは言え、開催できるのでしょうか。テレビでもずっとニュースが続いています。熊本日日新聞のホームページを開くと、まだ午前2時前なのに「地震の影響で15日付朝刊が一部地区で配達できなかったり、遅れたりしました。」と過去形で書いてある。熊本って、普段はこんな早い時間から朝刊配ってるのかしらん。

ふと、熊本工業の校歌を思い出しました。「山は大阿蘇、地軸揺すりて♪」・・・、今回はまさに地軸を揺する「震度7」です。皆さんの無事をお祈りします。

[25405] Re:[25404] 大丈夫でしょうか・・・ 投稿者:藤村@「激闘&栄光」管理人 投稿日:2016/04/15(Fri) 00:08

明石のフクロウさん、ありがとうございます。
退院はしたものの、通院療養中の身であり、春のサイト更新が大分出遅れてしまいました。

それにしても、心配ですね。
九州・熊本での大規模な地震被災には驚きを隠せません。野球以前に当面の生活の不安でいっぱいだと思います。繰り返される余震に十分注意を払っていただきたいです。

[25404] 大丈夫でしょうか・・・ 投稿者:明石のフクロウ 投稿日:2016/04/14(Thu) 22:58

皆さまこんばんは。管理人様遅くなりましたが復帰おめでとうございます。

・・・と喜びたいところですがそうもいきません。先程九州・熊本で大きな地震が発生しました。しかも熊本市など市街地が近い場所での直下型地震です。熊本のみならず九州地区の皆さまが大変心配です。5年前の東北の震災の恐怖が蘇るなんて。
名門・熊本工や九州学院といった強豪・名門校を始めセンバツ4強の秀岳館(八代市)なども市街地に多く校舎があるだけに多大な影響が懸念されます。

[25403] Re:[25395] 校名変更の件 投稿者:非公式記録員 投稿日:2016/04/11(Mon) 21:23

皆さん、こんばんは。

当サイトのリンクにもあります、Aさんの高校野球情報によりますと、秋季大会出場時の校名が、66年まで荏原、67年から日体荏原になっているようですね。もし、校名変更が66年だったとすれば、4月1日付けではなく、秋季大会以降の年内ということになりますが、この情報を見る限りでは、少なくとも69年ではないと言えそうです。

[25402] Re:[25400] 鶴見工の出場歴について 投稿者:DANCING STAR 投稿日:2016/04/11(Mon) 16:53

管理人様、こんにちは

早速、ご返答いただきましてありがとうございます。
確かに現段階の材料だけで横浜サイエンスフロンティアを鶴見工の後継校と認めるには無理がありますね。
先ほど自分でも朝日の高校野球サイトで確認しましたところ、横浜サイエンスフロンティアには甲子園出場歴はございませんでした。
完全に私の早合点のようで・・、大変失礼いたしました。