高校野球において、甲子園という夢舞台に初めて出場することは栄誉ですが、地方予選では味わなかった異様な雰囲気に包まれて普段の力を発揮しないまま帰っていくチームがほとんどです。そんな中、普段の野球をするどころか、一気に頂点まで上り詰めて“ミラクル”を起こしてしまうチームが稀に現れます。済美が春夏通じて初出場で第76回選抜大会を制しました。選抜大会に限れば上甲監督自身、第60回大会の宇和島東に続く2度目の初出場・初優勝でした。済美は続く夏の選手権大会も決勝まで勝ち上がり、惜しくも初出場・春夏連覇のミラクルはなりませんでしたが、初出場からの甲子園9連勝という快進撃は見事。第95回選手権大会では前橋育英が初出場・初優勝を飾りました(第73回大会の大阪桐蔭以来22年ぶり)。
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※2013年8月26日最終更新 |
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表示の高校は春夏通じて初出場(ただし昭和以降)。
決勝スコアをクリック→得点経過・バッテリー紹介など、決勝戦の詳細データにリンク。
※対戦校名下の( )は現在の校名。
※大会創世期の大正時代、夏の5校(京都二中、慶応普通部、愛知一中、神戸一中、甲陽中)は春夏通じて初出場。
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_無欲が生んだ勝利 _〜四日市の初出場・初優勝(昭和30年)=第37回選手権大会= |
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昭和30年夏の甲子園は「前岡旋風」で沸きに沸いていた。坂崎・山本・勝浦がいた超高校級の強力打線で春夏連覇を狙っていた浪華商(大阪)が剛腕・前岡勤也(新宮)の前に1回戦敗退。センバツ準優勝で前評判も高かった桐生(群馬)は日大三の強打に涙を飲んだ。優勝候補が次々と姿を消す中で、踏み止まったのが中京商(愛知)だった。話題の新宮・前岡を4連続の執拗なバント攻撃で攻略してみせた。
無名校・四日市の快進撃は無欲が生んだ勝利だった。この夏、四日市は三岐大会(当時は三重と岐阜で夏の代表校を争った)で岐阜商の清沢忠彦投手を打ち崩して大勝。左腕・高橋正勝投手−成瀬勝己捕手のバッテリーを擁して堂々の選手権大会出場を果していた。岐阜商の清沢投手といえば、早実の王のライバルとして甲子園を沸かした名投手(昭和31年の春選抜、夏選手権でともに準優勝投手)である。 四日市のエース高橋は、三岐大会準決勝の岐阜戦で決勝タイムリーを打った際、折れたバットで利き腕の薬指と小指を裂傷しており、傷が癒えない状態で甲子園にマウンドに上がっていたが、そんなことをまったく感じさせない投球だった。初戦の芦別(北海道)に3−1、準々決勝の城東(高知)に1−0と快勝してベスト4進出。あとの4強進出校の顔ぶれは、中京商(愛知)・立命館(京都)・坂出商(香川)。四日市の準決勝の相手は、前年夏に中山投手で全国制覇している常勝・中京商である。練習試合でも中京商には2連敗、まったく歯が立たなかった。無名校・四日市の快進撃はもはやこれまで、という大方の予想も頷ける。しかし、高校野球だけはやってみなければ分からない。初回、いきなり中京商に先制を許しながらも、高橋がピンチを切り抜けるうちに試合の流れが変わった。4回に逆転した四日市は5回にも中京商の安井を攻略して大量点を奪うと、高橋が完全に立ち直って中京商に反撃を許さず6−1で完勝。優勝候補を撃破して決勝進出だ。
_第37回選手権大会(準々決勝) | 計 |
| 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
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好投手・並木輝男を擁してやはり候補の一角だった日大三を撃破して勝ち上がっていた伏兵・坂出商は、準決勝で好投手・富永格郎を擁する立命館を2−1で下して決勝に進出してきた。決勝戦の四日市は初回、連戦の疲れが残る坂出商のエース岡崎をつかまえる。伊藤・高橋・成瀬の3連打で先制。3回にも高橋・成瀬・筒井の3安打で2−0。6回に坂出商・中川の左前打で1点差に詰め寄られたものの、8回高橋の放った二塁ゴロがイレギュラーヒットになるなどツキも味方につけて2点を追加。結局、高橋が坂出商打線を散発6安打に抑える完投勝利をおさめて、歓喜の初出場・初優勝の栄冠に輝いた。
_第37回選手権大会(決勝) | 計 |
| 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | |
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_不況の炭鉱町に灯 _〜三池工の初出場・初優勝(昭和40年)=第47回選手権大会= |
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高校野球中継が初めてカラー映像で放送されたのがこの大会。また、学生野球の父と称された飛田穂洲翁(早大野球部監督、朝日新聞記者)の遺影が記者席に花で飾られていたのもこの大会だった。春の覇者・平松の岡山東商が日大二に初戦敗退するという番狂わせで大会はスタート。常連校・高松商が延長13回の末に無名の三池工に破れ、大阪の大鉄(のちの世界の盗塁王・福本豊がいた)も秋田に延長13回で涙を飲んだ。好投手・河本和昭で優勝を狙う広陵も、4年ぶり2回目の夏出場という新興勢力・報徳学園に足元をすくわれた。波乱続出で沸いた大会を抜け出てきたのは、本格派の木樽正明投手を擁する銚子商だった。木樽の快投と看板の「黒潮打線」がかみあって大躍進、決勝進出を決めた。
福岡代表・三池工は、民謡「炭坑節」の舞台として知られる炭鉱の街・大牟田からやってきた。三池工は1回戦、前評判の高かった左腕小坂に強力打線を擁して優勝候補といわれていた高松商(香川)を延長13回の接戦の末に2−1サヨナラ勝ちで下した。2回戦の東海大一(静岡)には11−1で大勝して、準々決勝で報徳学園と対戦した。
_第47回選手権大会(1回戦) =延長13回= | 計 |
| 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1X | 2 | |
報徳学園といえば、初出場だった4年前の倉敷工との延長戦で6点を取られた後に6点差をひっくり返したあの「逆転の報徳」である。広陵、熊谷商工を連続完封した報徳エース谷村と三池工上田の投げ合いで接戦となった。2−1で報徳リードで迎えた9回ウラ、三池工4番下川の左翼線二塁打と内野ゴロで1死三塁の場面、6番池田に対する3球目に谷村が落球、痛恨の同点ボークで下川が生還。延長10回、1死一三塁の好機に2番瀬口が谷村の外角球を右前にはじき返して三池工がサヨナラ勝ち。
_第47回選手権大会(準々決勝) =延長10回= | 計 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
| 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1X | 3 | |
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勢いに乗る三池工は準決勝でも秋田に4−3で逆転勝ちして決勝進出、ついに銚子商との決戦の日を迎えた。三池工は左腕上田が外角直球と低めへコントロールしたカーブを織り交ぜて黒潮打線を翻弄。一方の木樽も上手投げから繰り出す速球と変化球で三池工に得点を許さない。両軍無得点で迎えた7回ウラ、林田の三遊間内野安打と四球で1死一二塁とした後、木樽の絶妙な牽制球を一塁手が落球するという記録にならないエラーをきっかけに、8番穴見が左前にタイムリー、さらに銚子商バッテリーミス(捕逸)を誘って三池工が2点を奪った。8、9回に粘る銚子商の反撃を上田がかわして、終わってみれば黒潮打線を3安打完封。工業高校の全国制覇という大会史上初の快挙は、不況に悩む炭鉱の街・大牟田の人々を大いに勇気づけたという。
_第47回選手権大会(決勝) | 計 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | X | 2 | |
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三池工の指揮官は、当時31歳の原貢監督(東洋高圧大牟田工業所勤務)である。「技術を越えた私達の和が苦戦に堪えたことが何にもまして嬉しい。和と根性はどこにも負けない自信があった」と優勝の弁。このとき父の晴れ姿を見て野球選手になりたいと決意する息子辰徳がいた。 |
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_堪えて栄光・ジャンボ尾崎 _〜徳島海南の初出場・初優勝(昭和39年)=第36回センバツ大会= |
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荒れるセンバツ。予想もしなかった展開にファンは驚き、高校野球の素晴らしさを再認識する。オリンピック・イヤーに開催されたセンバツは文字どおり波乱の連続だった。前年覇者の下関商(山口)はエース池永正明が健在、優勝メンバーが5人も残る布陣で優勝候補の大本命。その対抗が左腕・高橋恒夫と強力打線で東では敵なしだった桐生(群馬)。ところが、その両雄がいきなり初戦で姿を消してしまう。下関商は指を負傷して調整不足の池永が博多工(福岡)に打ち込まれて4−5で敗退。桐生は開幕1ヶ月前に校舎全焼という非運があり、市民や卒業生の支援でようやく出場を果したものの、平安(京都)戦の初回満塁のピンチで中前打を中堅手が後逸、打者走者も生還する4点が響いて3−6で敗退。好投手・三浦健二の秋田工は徳島海南に完敗、中沢伸二捕手の甲府工(山梨)は市西宮に延長13回サヨナラ負け。大橋穰遊撃手のいた日大三(東京)が浪商との東西対決に敗れた2回戦で、早々と東日本勢の有力校が消えてしまった。
西日本大会と化したセンバツは、エース尾崎正司(のちのプロゴルファー尾崎将司=ジャンボ尾崎)の投打の活躍で勝ち上がった初出場の徳島海南と、強打で鳴る和歌山海南と博多工を完封した技巧派・小川邦和を擁するやはり初出場の尾道商(広島)が決勝進出。ジャンボ尾崎は、水沼四郎や基満男らの活躍で春初出場を果した地元・報徳学園を1−0、辻佳久投手の金沢(石川)を8−0、衣笠祥雄の平安を1点差で振り切った土佐(高知)との四国決戦も1−0の3試合連続完封。
_第36回選抜大会(2回戦) | 計 |
| 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
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迎えた尾道商戦は、センバツ史上初「初出場校同士」の決勝。まさに荒れたセンバツを象徴する新鮮な顔合わせで甲子園は超満員。外野席の入場制限という事態もセンバツ史上初だった。尾崎が真っ向勝負でズバズバ攻め込めば、小川はひょうひょうと投げ分けてかわすという対照的な投げ合いで、中盤まで0行進。尾崎が先にその均衡を破られてしまう。6回2死から内野安打と四球で走者2人を背負った場面で、尾道商の4番田坂に三遊間を破られて先制点を許すと、左翼・山下のバックホームが逸れる間に2点目を献上。徳島海南は7回、四球で出塁した尾崎を山下が汚名返上の右前打で返して1点差とすると、8回に疲れの見える小川から放った4番尾崎の中越え三塁打で同点、9回には山西のスクイズで勝ち越し。
_第36回選抜大会(決勝) | 計 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 3 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | |
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9回ウラ、優勝目前で堅くなった海南の内野がミスを連発、思わぬ大ピンチを迎えた。三ゴロをさばいた三塁手が一塁に悪送球、1死一三塁で尾道商の7番山本のスクイズを上手く外して三振を奪い、三塁走者も三本間に挟んで試合終了かと思った矢先、まずい挟殺プレイで三塁走者を生かしてしまった。思わず天を仰いだ尾崎は続く代打安井を2−3から歩かせ2死満塁。ファウルで粘る小川にもカウント2−3になる局面で、堪えに堪えた尾崎がようやく小川を一飛に打ち取ってゲームセット。ギリギリの興奮状態で幕切れを迎えた瞬間、大歓声が地響きを立てて甲子園じゅうに鳴り響いたのである。 徳島の海南といえば、野球殿堂入りの上田利治氏(元阪急監督ほか)の出身校であることでも知られる名門でしたが、新設の海部高に統廃合され再スタート。2006年3月、徳島から海南という校名は消えてしまいました。 |
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_エースが病院からマウンドへ _〜大宮工の初出場・初優勝(昭和43年)=第40回センバツ大会= |
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荒れるセンバツ第2弾。開幕初日から大乱戦で幕が開けた。開幕第1試合、大宮工(埼玉)が延長10回の末、防府商(山口)に5−4の競り勝ち。第2試合、清水市商(静岡)が星林(和歌山)に8X−7延長12回サヨナラ勝ち。第3試合、仙台育英(宮城)が興国(大阪)に打ち勝って9X−8サヨナラ勝ち。翌日の中京(愛知)×広陵(広島)の古豪対決を、宇根洋介の投打に渡る活躍で広陵が3−1で制すると、速球派・山口高志の市神港(兵庫)が別府鶴見丘(大分)を、東尾修投手を擁して甲子園初出場を果した箕島(和歌山)が高知商を、さらに銚子商(千葉)が徳島商を破った。四国・九州勢が2回戦までに全滅するという異例の事態の中、大会の話題の中心は関東・中国勢の躍進だった。
大宮工の逆転劇・快進撃はすさまじかった。初戦の防府商に序盤で4点をリードされたときは、大宮工が出場30校の先頭を切って甲子園を去るだろうと誰もが思うような、エース吉沢は最悪の出来である。大黒柱の吉沢は大会前に肩を痛めて投げ込み不足、鎮痛剤を服用しながら投げていた。大宮工監督・山崎小二郎も半ばあきらめていた。ところが、不調のエースの分を打線で援護しようとナインが奮起、終盤に試合をひっくり返した。2回戦の浜松工(静岡)戦では打線が爆発、16安打の猛攻で快勝。準々決勝の強豪平安(京都)戦では、体調不良に疲労が重なった吉沢が風邪をひいて発熱しながらのまさに熱投。ここでも大宮工打線が奮起して、大会屈指の左腕・池田信夫を攻略。布施の2ランなどで、吉沢に序盤で5点をプレゼント。後半に球威が落ちたものの完投勝利した吉沢はそのまま病院に直行。
_第40回選抜大会(1回戦) =延長10回= | 計 |
| 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 5 |
| 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | |
登板は無理と思われた準決勝には、何と病院から甲子園のマウンドにやってきた。相手は就任3年目で甲子園初切符を手にした25歳の尾藤公監督率いる箕島である。案の定、調子が思わしくない吉沢は初回、2回と失点を重ねて0−3。箕島エース東尾の小気味のよいピッチングの前に沈黙していた大宮工打線が5回に2点を返し、7回に同点とすると、8回には布施、高山の連続タイムリーで2点を勝ち越し。最終回2死二三塁と粘る箕島の最後の打者東尾を吉沢が落ち着いて遊ゴロに打ち取り、決勝進出だ。
_第40回選抜大会(準決勝) | 計 |
| 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 5 |
| 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | |
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決勝の対戦相手は尾道商(広島)。4年前、全国制覇を目前にしながら終盤に勝ち越しを許してジャンボ尾崎にいいところを全部持っていかれた、あの尾道商が「忘れ物」を取りに甲子園に戻ってきた。猪狩志郎の佼成学園(東京)、山口高志の市神港との息詰まる熱戦を僅差で勝ち抜き、さらに名古屋電工(愛知)と倉敷工(岡山)を退けて決勝にコマを進めていた。 吉沢はいきなり初回に尾道商打線につかまり2点を取られた。北の右前打、山根の右翼線二塁打、清水の右犠飛、井上の右前タイムリーと、尾道商は徹底して吉沢の外角球を右打ちする見事な先制攻撃である。外角への配球を読まれた吉沢は、内角シュートを織り交ぜて的を絞らせない投球に切り替えて、2回以降を無失点で切り抜けた。大宮工は4回に反撃、尾道商エース井上を攻めて満塁のチャンスを作ると、5番高山が右翼線に流した長打で一気に同点。さらにバックホームの球を捕手が後逸する間に三塁走者の布施も帰って逆転。この布施のホームインが、埼玉県勢にとって悲願の初優勝を決める決勝点となったのである。
_第40回選抜大会(決勝) | 計 |
| 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
| 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | X | 3 | |
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