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現在の夏の全国高校野球(全国高等学校野球選手権大会)の前身である「全国中等学校優勝野球大会」が初めて開催されたのは大正4年(1915年)。記念すべきこの第1回大会に出場した代表校10校はすべて現存しており、野球部も高校野球の創世紀から現在に至るまで脈々と受け継がれています。本当に素晴らしいの一言に尽きます。
現在の高校野球の繁栄の礎となった選手、指導者、学校関係者と大会運営・主催者の尽力に敬意を表するとともに、各校の栄光の記録とその後の足跡を記すことにしました。

第二次世界大戦のため開催されなかった空白の期間があった関係で、平成27年(2015年)の第97回選手権大会で高校野球は100周年を迎えました。開会式では記念事業として、第1回大会出場10校の後続校(秋田・早稲田実・宇治山田・鳥羽・兵庫・桐蔭・鳥取西・広島国泰寺・高松・久留米商)から野球部員1名が100年前の復刻ユニフォームを着用して入場行進しました。

※2015年(平成27年) 8月31日最終更新

なお、当コーナーでは「第1回」「初出場」「初勝利」にまつわる高校野球史を合わせて掲載しています。
【収録した主な記事タイトル】
 朝日新聞の1面社告で開催発表〜予選参加はわずか73校(第1回大会)
 第1回 全国中等学校優勝野球大会〜京都二中が初の全国大会の頂点に立つ
 第1回大会は大阪・豊中球場だった
 第1回大会出場校のその後
 第1回大会から「予選皆勤」の15校
 北陸は第2回大会から、北海道は第6回大会から参加
 夏の選手権「地区予選枠」変遷史(参考資料1)
 増枠に見る全国高校野球史(参考資料2)
嘘のような本当の話(第4回大会と第27回大会の中止)
徳島商の“幻の栄光”(昭和17年夏に全国大会が行われたという事実)
春センバツ「地区予選枠」変遷史(参考資料3)
第1回選抜中等学校野球大会
甲子園「初出場」が最も遅かった県
甲子園「初勝利」が最も遅かった県
都道府県別「初代表校」と「初勝利校」
甲子園「初出場」で優勝の栄冠に輝いたチーム


朝日新聞の1面社告で開催発表
第1回大会の開催発表と告知は、同年7月2日の大阪朝日新聞紙上の「1面社告」だった。その文面は「八月中旬を卜し全國各地方の中等學校中より其代表野球團、即ち各地方を代表せりと認むべき野球大會に於ける最優勝校を大阪に聘し豊中グラウンドに於て全國中等學校野球大會を行ひ以て其選手權を争はしめんとす」。
各地区の予選を勝ち抜いた学校が代表校として全国大会に参加するとしたものの、直前過ぎたためすぐに予選を始めないと間に合わないタイミング。実際、各地区で予選に参加できない県が続出、日程的に予選消化が間に合わない関東地区などは予選を行なわず、春の東京大会優勝の早稲田実を出場させたため、関東地区の他県はまったく参加していない。

予選参加はわずか73校
_ 代表校 府県別の予選参加校 予選の開催概況と結果
当時校名 現校名 府県 府県 参加校
北海道 0なし 当時、対外試合禁止のため北海道地区は不参加。
_ __ ___ _ 3秋田3秋田中、横手中、秋田農 単独参加を申し込んだ秋田中が予選実施を要請され、県内2校と予選を戦い東北代表に。東北地区で当時最強とされた盛岡中のいる岩手県など5県は不参加。
_ 0なし 8月下旬の北陸大会開催が決まっており、日程調整がつかず。
_ 早 稲 田 実 早 稲 田 実 _ 8東京8早稲田実、荏原中、日本中、早稲田中、
慶応普通部、麻布中、立教中、成城中
関東地区の予選消化が間に合わず、東京府を除く全県が不参加。春の東京府大会を予選と位置づけ、優勝していた早稲田実を単独の関東代表として出場させた。
_ __
(三重四中)
宇 治 山 田 _ 6愛知2愛知一中、愛知四中(豊橋中) 愛知2校・岐阜2校・三重2校の3県6校が予選に参加。日程調整がつかなかった静岡は不参加。決勝で山田中(三重四中)が5−4で愛知四中(豊橋中)を下し初代表に決まる。山田中の当時の正式校名は三重県立第四中 (大正8年、宇治山田中に改称、現・宇治山田)。その後は甲子園再出場を果していない。
岐阜2斐太中、岐阜中
三重2山田中(三重四中)、富田中
_ 京 都 二 中 ___ _ 11京都8京都一中、京都二中、京都五中、京都一商、
京都師範、京都美工、同志社中、立命館中
京都8校・滋賀3校の合計11校が予選に参加し、京都二中が代表権を得た。
京都の参加校で京都一商(現・西京)、同志社中(現・同志社)、立命館中(現・立命館)の3校は、現在まで1度も欠かさず予選に出場し続けている。
滋賀3八幡商、滋賀師範、坂本中
_ 神 戸 二 中 ___ _ 7兵庫7神戸一中、神戸二中、関西学院中、
御影師範、伊丹中、姫路師範、神戸商
地元開催の兵庫県は単独参加が認められ、神戸二中(第二神戸中)が代表権を得た。
_西 和 歌 山 中 ___ 和歌山 8大阪5市岡中、八尾中、明星商、市大阪工、大阪商 大阪5校・和歌山3校が予選に参加(奈良は不参加)。決勝で和歌山中が市岡中を破り代表権を得た。耐久中(現・耐久)は第76回選抜の21世紀枠・近畿地区候補。
和歌山3和歌山中、高野山中、耐久中
_ __ __西 _ 6鳥取4鳥取中、鳥取師範、米子中、倉吉中 鳥取4校・島根2校が予選に参加。山陰代表決定戦(鳥取中×杵築中) は全国大会会場の豊中球場で行われるという前代未聞の事態となった。
島根2杵築中、松江中
_ __ 広島国泰寺 _ 6広島5広島中、広島商、修道中、福山中、明道中 広島県勢5校に関西中(岡山)を加えた6校が予選に参加(山口県は不参加)。代表権を得た広島中(現・広島国泰寺)はその後一度も甲子園再出場を果していない。
岡山1関西中
_ __ ___ _ 10香川5高松中、香川商、大川中、丸亀中、三豊中 徳島・香川の各5校が予選に参加。高松中が代表権を得た。徳島工と徳島中は徳島予選リーグで敗退。四国大会は開催地の香川5校、徳島3校の合計8校が出場。
徳島5徳島商、撫養中、徳島師範、徳島中、徳島工
_ 久 留 米 商 久 留 米 商 _ 8福岡7久留米商、豊国中、八女中、嘉穂中、
中学修猷館、福岡師範、伝習館中
福岡県勢7校に東山学院(長崎)を加えた8校で予選を行い、久留米商が代表権を得た。日程調整がつかなかった他県はすべて不参加。
長崎1東山学院

大正年間の東海地区で目立っていたのは愛知一中 (現・旭丘) で第3回大会で敗者復活から初優勝を飾っている。静岡が神奈川と一緒の「神静」枠に移って大正末〜昭和初期に強かったのは静岡中 (現・静岡、第12回大会優勝)。
地元兵庫は当初から激戦区だったが、第5回大会の神戸一中 (現・神戸) 、第6回大会の関西学院中 (現・関西学院) 、第9回大会の甲陽中 (現・甲陽学院) が全国制覇を達成。そこに食い込んだのが、第7・8回大会連覇の紀和代表・和歌山中 (現・桐蔭) だった。
鳥羽(京都)は昭和59年に新設された府立校。かつて京都二中のあった同じ場所に校舎を建て「京都二中の流れを汲む学校」として創立。実際の京都二中は昭和23年の学制改革の際に廃校になっている。第1回大会の優勝校である名門校の廃校を惜しみ復活を期待する関係者が多く、高野連は特別に鳥羽高は京都二中の後身とする見解を示した。


第1回 全国中等学校優勝野球大会


京都二中 (京津代表) が初の全国大会の頂点に立つ
東北代表の秋田中・長崎と京都二中・藤田の投手戦となった決勝戦は、1−1で迎えた延長13回にサヨナラ決着。京都二中が最初の全国制覇を達成した。もし、秋田中が勝っていれば「白河越え」という言葉は生まれていなかったのである。地元開催で単独出場した兵庫代表・神戸二中 (現・兵庫) は関東代表の早稲田実に初戦完封負け、関西の強豪校・和歌山中 (現・桐蔭) は久留米商、鳥取中 (現・鳥取西) に快勝したが準決勝で優勝した京都二中に敗退した。ともに初戦敗退の山田中 (三重県立第四中→現・宇治山田) と広島中 (現・広島国泰寺) は、その後は春夏通じて甲子園再出場を果していない。

第1回 全国中等学校優勝野球大会・決勝(豊中球場)=延長13回=
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 合計
___(東北・秋田)
_京 都 二 中(京津・京都)
1X
(秋田)長崎−渡部(京都)藤田−山田


第1回大会は大阪・豊中球場だった
便宜上“甲子園”という表現を使用しているが、正確には第1回大会は大阪・豊中球場 (第2回も同球場) で、その後第3回大会から第9回大会までは兵庫・鳴尾球場で、大正13年春の第1回センバツ大会は名古屋・八亊 (山本) 球場で行われている。甲子園球場で行われるのは、夏が大正13年の第10回選手権大会以降、春が大正14年の第2回センバツ大会以降である。
記念すべき第1回全国中等学校優勝野球大会が行われた豊中球場 (豊中グラウンド) は、大正2年5月に阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が開設した運動場。梅田と宝塚を結ぶ宝塚線の沿線 (大阪府豊能郡豊中村) に作られた運動場は陸上競技場を兼ねていたため、右翼が狭く左翼が広かったという。観客席もない質素なグランドで、試合場と観客の見物場所の境目には臨時に縄を張り巡らして第1回大会は行われている。22年に完成した宝塚運動場にその役割を移した後、閉鎖された豊中運動場の跡地 (現在の豊中市玉井町3丁目) は住宅地となったが、全国高等学校野球選手権大会発祥の地には高校野球メモリアルパークが建設されている。
第3回大会から7年間、阪神電鉄が建設した兵庫・鳴尾球場に場所を移したものの、人気の高校野球を見ようと押し寄せる大観衆にこれまたギブアップ状態。阪神電鉄は“東洋一大きい”新球場建設に乗り出すことになった。こうして大正13年に高校野球のメッカ・甲子園球場が誕生。球場の名前の由来は大正13年の干支「甲子」から。甲子園といえば高校野球の全国大会の代名詞となった。


第1回大会出場校のその後 (※甲子園出場回数、勝星は第1回大会を含む。甲子園球場以外で開催された大会も含む。)
_ 代表校 甲子園出場 甲子園勝利 主な成績
当時校名 現校名 府県
_ __ ___ _ 19 第1回大会準優勝校は現在も秋田県内の強豪で、しばしば甲子園に出場している。昭和4年夏と40年夏に4強進出。近年は初戦敗退が続き、平成以降は春夏7回出場もわずか1勝と苦戦している。
_ 早 稲 田 実 早 稲 田 実 _ 2029 2243 春夏の甲子園出場48回、通算61勝は第1回大会出場校中トップ。大正13年の第1回選抜大会、大正14年夏、昭和55年夏と準優勝3回。昭和32年春に2年生エース王貞治を擁して選抜優勝。昭和55年夏に1年生投手の荒木大輔で準優勝。平成18年夏に斎藤佑樹を擁して選手権優勝。決勝・再試合の激闘を制して駒大苫小牧の3連覇を阻止した。高校野球100年の平成27年夏に出場し4強入り。
_ __
(三重四中)
宇 治 山 田 _ 第1回大会に出場 (初戦敗退) したのを最後にその後一度も甲子園に出場していない。平成4年夏の三重県大会で決勝進出したが、惜しくも三重高に敗退し77年ぶりの大復活を逃している。
_ 京 都 二 中 ___ _ 10 昭和23年の学制改革の際に廃校になったが“後身”の鳥羽 (昭和59年に再興) が平成12年のセンバツに出場、4強進出を果した。同年夏、翌13年春と3季連続出場。24年春も出場するが初戦で敗退。高校野球100年の平成27年夏に出場し2勝を挙げた(15年ぶりに3回戦進出)。
_ 神 戸 二 中 ___ _ 激戦区・兵庫の夏をその後一度も勝ち抜くことはできなかった。昭和23年春に甲子園初勝利をあげたが、昭和41年春の出場を最後に甲子園から完全に遠ざかっている。
_西 和 歌 山 中 ___ 和歌山 1620 1332 夏は第1回から14年連続出場、春も第1回から11年連続出場という古豪。春夏通算の出場35回、勝星45勝は第1回大会出場校中、早実に次ぐ2位。大正10、11年に好投手・北島好次と主砲・井口新次郎で連覇達成。昭和2年に春も制し、戦後は桐蔭に校名変更して準優勝2回の成績を残した。昭和61年夏の出場を最後に長いブランクを経たが、29年後の平成27年春、選抜大会としては53年ぶりの出場(21世紀枠推薦)を果たす。
_ __ __西 _ 22 23 鳥取県下では甲子園最多出場、最多勝利を誇る強豪。夏の出場22回は第1回大会出場校中、早実に次ぐ堂々の2位。通算23勝も和歌山中(桐蔭)、早実に次ぐ3位。大正9年、13年、昭和4年と夏の甲子園で4強進出が3度。最近では平成5年の春夏連続、17年の夏出場がある。
_ __ 広島国泰寺 _ 第1回大会に出場 (初戦敗退) したのを最後にその後一度も甲子園に出場していない。広島商と広陵の2強に代表される強豪がひしめく広島県勢の頂点への道は厳しい。
_ __ ___ _ 大正15年夏、昭和3年夏に4強進出した頃は、県下の強豪・高松商とライバル関係にあった。昭和9年夏を最後に甲子園から永く遠ざかったが、平成16年の秋季香川大会で準優勝し、翌17年春センバツに21世紀枠で72年ぶりの出場を果した。
_ 久 留 米 商 久 留 米 商 _ 第1回大会から40年以上甲子園から遠ざかった後に見事に復活。昭和32年春に4強、昭和37年夏の選手権には準優勝を果している。昭和58年夏に4強入りした後、60年夏の2勝(3回戦進出)を最後に甲子園出場が途絶える。


▼第1回大会から「予選皆勤」の15校
_ _予選皆勤校_ 旧校名 都府県
_ ___ __ _
___ 愛 知 一 中 _
__ 愛知四中 (豊橋時習館) _
_ 西___ 京都一商 (西京商) _
___ 京 都 五 中 _
__ 同 志 社 中 _
___ __ _
___ 和 歌 山 中 和歌山
関 西 学 院 関西学院中 _
___ 神 戸 一 中 _
___ 神 戸 二 中 _
_
(山 陰)
__西 鳥取中 (鳥取一中) _
__ __ _
___ 杵築中 (大社中) _
__ __ _
前述した大正4年の第1回大会の予選参加73校の内、以来90年近くに渡って1度も欠かさず予選に出場し続けているチームは全国で15校を数える。戦後の学制制度改革を経て、師範学校(教師養成学校)は廃校になった。学校統廃合で消滅した学校もある。永い年月の間には部員不足で出場辞退を余儀なくされたチームもあるかと思えば、進学校に脱皮してしまい野球に力を注がなくなってしまったチームもある中で、73分の15の学校は“伝統”を守り続けている。
平成10年、横浜が松坂を擁して春夏連覇を果す第80回の記念大会の甲子園入場行進をご覧になった方は記憶にあると思うが、史上最多の参加55校の先頭を行進した15人こそ“予選皆勤”で名誉ある招待を受けた15校の主将たちだった。


北陸は第2回大会から、北海道は第6回大会から参加
すったもんだの末、第1回大会不参加を決めた北陸地区は翌年の第2回大会から参加。長野師範が北陸地区代表として初の全国大会出場を果し、大阪代表の市岡中に2−6で初戦敗退している。北海道の初参加はさらに4年後の第6回大会。その後の全国大会では常連としてお馴染みになる北海が初出場、北陸代表の長岡中に4−7で初戦敗退している。
盛岡中 (現・盛岡一) や一関中 (現・一関一) といった強豪をそろえる岩手県勢も第2回大会以降に東北地区予選に参加、第2回大会は一関中が初代表となり、いきなり初戦で前年優勝の京都二中 (京津)を破ると、第3回大会の代表校・盛岡中も前年優勝の慶応普通部 (関東)を下して4強入りを果した。第5回大会、慶応普通部と早稲田実の2強がダントツで強かった東京が「関東」から分離独立したため、竜ヶ崎中 (現・竜ヶ崎一) が東京以外の関東代表として初出場、四国代表の松山商に4−12で初戦敗退している。
また、第2回大会予選以降、強豪・和歌山中のいた和歌山を「紀和」に、市岡中や明星商のいた大阪を「大阪」単独にして、関西を2分割し増枠した (後述の地区枠変遷を参照)。地元兵庫は夏の大会に限って常に単独代表で出場し続けたが、各都道府県1校の49代表制になるのは昭和53年 (1978年) 以降のことである。


夏の選手権「地区予選枠」変遷史(参考資料1)
夏の選手権の第1回大会(大正4年)から第39回大会(昭和32年)までの予選「地区枠」は以下のように推移している。第40回の記念大会(昭和33年)は史上初めて47都道府県から各1校の47校が大会に出場。すべての都道府県の出場が毎年恒例になるのは第60回大会(昭和53年)以降であるが、北海道が南北2校、東京が東西2校を参加させているため合計49校となる。純粋に「47都道府県から各1校ずつ」一律に出場した大会は第40回の記念大会だけである。また、第80回の記念大会(平成10年)は大量55校が出場している。なお、第1回大会からすべて単独出場を続けているのは地元兵庫だけである。

第1回
(大正4)
第2-3回
(大正5-6)
第4-5回
(大正7-8)
第6回
(大正9)
第7-8回
(大正10-11)
第9回
(大正12)
第10回
(大正13)
第11回
(大正14)
第12-13回
(大正15-昭和2)
第14-16回
(昭和3-5)
第17-21回
(昭和6-10)
第22-27回
(昭和11-16)
第28-29回
(昭和21-22)
第30-39回
(昭和23-32)
×××北海道北海道北海道北海道北海道北海道北海道北海道北海道北海道北海道
東 北東 北東 北東 北東 北東 北東 北奥 羽奥 羽奥 羽奥 羽奥 羽奥 羽奥 羽
東 北東 北東 北東 北東 北東 北東 北
関 東関 東関 東関 東関 東関 東関 東関 東北関東北関東北関東北関東北関東北関東
南関東南関東南関東南関東南関東南関東
神奈川
京 浜京 浜京 浜東 京東 京東 京東 京東 京東 京東 京東 京東 京
神 静神 静神 静神 静神 静甲神静山 静山 静山 静
東 海東 海東 海東 海東 海東 海東 海東 海東 海東 海東 海東 海東 海愛 知
三 岐
×北 陸北 陸北 陸北 陸北 陸北 陸北 陸北 陸北 陸北 陸北 陸北 陸北 陸
甲 信甲 信甲 信甲信越甲信越甲信越甲信越甲信越信 越信 越信 越信 越
京 津京 津京 津京 津京 津京 津京 津京 津京 津京 津京 津京 津京 津京津(京滋)
関 西大 阪大 阪大 阪大 阪大 阪大 阪大 阪大 阪大 阪大 阪大 阪大 阪大 阪
紀 和紀 和紀 和紀 和紀 和紀 和紀 和紀 和紀 和紀 和紀 和紀 和紀 和
兵 庫兵 庫兵 庫兵 庫兵 庫兵 庫兵 庫兵 庫兵 庫兵 庫兵 庫兵 庫兵 庫兵 庫
山 陰山 陰山 陰山 陰山 陰山 陰山 陰山 陰山 陰山 陰山 陰山 陰山 陰東中国
山 陽山 陽山 陽山 陽山 陽山 陽山 陽山 陽山 陽山 陽山 陽山 陽山 陽西中国
四 国四 国四 国四 国四 国四 国四 国四 国四 国四 国四 国四 国四 国北四国
南四国
九 州九 州九 州九 州九 州九 州九 州北九州北九州北九州北九州北九州北九州福 岡
東九州
南九州南九州南九州南九州南九州南九州西九州
    朝 鮮朝 鮮朝 鮮朝 鮮朝 鮮朝 鮮朝 鮮朝 鮮  
    満 州満 州満 州満 州満 州満 州満 州満 州  
    台 湾台 湾台 湾台 湾台 湾台 湾台 湾  
出場校1012141517191921222222221923
地区の出場枠はすべて1校ずつ。×印は不参加。※白抜数字は優勝校の出た地区を表わす。(第4回大会は本大会が中止、第27回大会は予選一部と本大会が中止)


増枠に見る全国高校野球史(参考資料2)
第5回に増枠された「京浜」初代表は慶応普通部、「甲信」は長野師範、第9回「神静」は横浜商だった。第11回「奥羽」は秋田商、「北九州」は長崎商、「南九州」は熊本商、第12回「北関東」は前橋中、「南関東」は千葉師範だった。第30回の増枠では「神奈川」単独で浅野、「三岐」の岐阜一、「東中国」の関西、「西中国」の柳井、「北四国」の丸亀、「南四国」の高知商、「東九州」の大分二、「西九州」の鹿島一がそれぞれ出場を果している。上記の地区枠変遷史で触れていない第41回大会(昭和34年)以降についても、地区枠の主な変遷を紹介しておこう。第41回大会では単独枠「静岡」の静岡商、「長野」の松商学園、「広島」の広陵が出場、新設の「中九州」は鎮西、北海道が二分され「北北海道」から帯広三条、「南北海道」から苫小牧東、奥羽が二分され「北奥羽」から宮古、「西奥羽」から新庄北が出場、南関東が二分され「東関東」から下館一、「西関東」から川越が出場、また信越は長野が抜けて「北越」となり魚津が出場した。第42回には南九州から「鹿児島」が独立して出水商が出場。東京が東西に二分されたのは第56回大会(昭和49年)から。「東東京」初代表は城西、「西東京」初代表は佼成学園だった。そして、現在のように各都道府県1校(北海道と東京は2校)の49代表校制になるのは昭和53年の第60回記念大会からである。

都道府県「単独枠 (北海道と東京は2枠)」に至るまでの出場枠の変遷
※数字は上段が夏の選手権大会回数、下段は大会出場校数。第45回/第50回の記念大会は48校出場、第80回/第90回の記念大会は55校出場。
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12-13 14-15 16 17-19 20-21 22-26 27 28-29 30-37 38-39 40 41 42-54 55 56 57 58-59 60-現在
10 12 14 15 17 19 21 22 19 23 47 29 30 48 34 38 41 49
×
北海道 北北海道
南北海道
奥 羽 青 森 北奥羽 青 森 奥 羽 青 森
東 北 奥 羽 岩 手 北奥羽 岩 手 岩 手
東 北 奥 羽 秋 田 西奥羽 秋 田 奥 羽 秋 田
東 北 奥 羽 東 北 山 形 西奥羽 山 形 東 北 山 形
東 北 宮 城 東 北 宮 城 東 北 宮 城
東 北 福 島 東 北 福 島 福 島
関 東 南関東 北関東 茨 城 東関東 茨 城 茨 城
関 東 北関東 栃 木 北関東 栃 木 北関東 栃 木
関 東 北関東 群 馬 北関東 群 馬 北関東 群 馬
関 東 北関東 南関東 埼 玉 西関東 埼 玉 西関東 埼 玉
関 東 南関東 千 葉 東関東 千 葉 千 葉

関 東 京 浜 東 京 東東京
西東京
関 東 京 浜 神 静 甲神静 南関東 神奈川
甲 信 甲信越 甲神静 山 静 山 梨 西関東 山 梨 西関東 北関東 山 梨
× 北 陸 甲 信 甲信越 信 越 長 野 長 野
× 北 陸 甲信越 信 越 新 潟 北 越 新 潟 新 潟
× 北 陸 富 山 北 越 富 山 北 陸 富 山
× 北 陸 石 川 北 陸 石 川 北 陸 石 川
× 北 陸 福 井 北 陸 福 井 福 滋 福 井
× 東 海 神 静 甲神静 山 静 静 岡 静 岡
東 海 愛 知
東 海 三 岐 岐 阜 三 岐 岐 阜 三 岐 岐 阜
東 海 三 岐 三 重 三 岐 三 重 三 岐 三 重
京 津 京 滋 滋 賀 京 滋 滋 賀 福 滋 滋 賀
京 津 京 滋 京 都 京 滋 京 都 京 都

西
大 阪
紀 和 和歌山 紀 和 和歌山 紀 和 和歌山
紀 和 奈 良 紀 和 奈 良 紀 和 奈 良
兵 庫
山 陽 東中国 岡 山 東中国 岡 山 東中国 岡 山
山 陰 東中国 鳥 取 東中国 鳥 取 東中国 山 陰 鳥 取
山 陰 東中国 島 根 西中国 島 根 西中国 山 陰 島 根
山 陽 西中国 広 島 広 島
山 陽 西中国 山 口 西中国 山 口 西中国 山 口
四 国 北四国 香 川 北四国 香 川 北四国 香 川
四 国 北四国 愛 媛 北四国 愛 媛 北四国 愛 媛
四 国 南四国 徳 島 南四国 徳 島 南四国 徳 島
四 国 南四国 高 知 南四国 高 知 南四国 高 知
九 州 北九州 福 岡
九 州 北九州 西九州 佐 賀 西九州 佐 賀 西九州 佐 賀
九 州 北九州 西九州 長 崎 西九州 長 崎 西九州 長 崎
九 州 南九州 西九州 熊 本 中九州 熊 本 中九州 熊 本
九 州 北九州 南九州 東九州 大 分 中九州 大 分 中九州 大 分
九 州 南九州 東九州 宮 崎 南九州 宮 崎 南九州 宮 崎
九 州 南九州 東九州 鹿児島 南九州 鹿児島
九 州 南九州 東九州 沖 縄 南九州 沖 縄 南九州 沖 縄
  朝 鮮  
  満 州  
  台 湾  
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12-13 14-15 16 17-19 20-21 22-26 27 28-29 30-37 38-39 40 41 42-54 55 56 57 58-59 60-現在
10 12 14 15 17 19 21 22 19 23 47 29 30 48 34 38 41 49
※数字は上段が夏の選手権大会回数、下段は大会出場校数。第45回/第50回の記念大会は48校出場、第80回/第90回の記念大会は55校出場。


嘘のような本当の話(第4回大会と第27回大会の中止)
大正7年の第4回大会は、地区予選が実施され代表14校も決定していたが「米騒動」勃発という予期せぬ事件で本大会が中止になっている。大正7年の7月23日、政府の失政による米価高騰を原因として富山県魚津の主婦らによる県外への米移送阻止が暴動の発端となり、全国的な民衆暴動に発展。暴動は9月17日まで2ヶ月近くに及び、全国で検挙者が数万人、鎮圧に軍隊も出動するという最悪の事態となったため、野球どころではなくなったようだ。嘘のような本当の話である。第4回大会の幻の代表校は、一関中 (東北)、竜ヶ崎中 (関東)、慶応普通部 (京浜)、長野師範 (甲信)、長岡中 (北陸)、愛知一中 (東海)、京都二中 (京津)、市岡中 (大阪)、関西学院中 (兵庫)、和歌山中 (紀和)、鳥取中 (山陰)、広島商 (山陽)、今治中 (四国)、中学明善 (九州)。以上14校は西宮市の鳴尾球場に集合し、組み合わせ抽選も行われた3日後に中止が決定。優勝旗は前年優勝校の愛知一中がそのまま持ち帰っている。

昭和16年の第27回大会は、地区予選が行われていた途中で「日中事変」が起こり、予選一部および本大会が中止になった。その後は第二次世界大戦となり、4年間に渡って高校野球は春夏ともに行われていない。第27回大会の地方予選で優勝または勝ち残っていたのは、札幌一中 (北海道)、青森工 (奥羽)、山形商・仙台二中 (東北)、下野中・桐生中・水戸商 (北関東)、大宮工・千葉商・横浜商 (南関東)、帝京商 (東京)、島田商×韮崎中 (山静)、岐阜商 (東海)、金沢商・敦賀商 (北陸)、長野商×長岡商 (信越)、平安中×膳所中 (京津)、日新商 (大阪)、畝傍中 (紀和)、不明 (兵庫)、米子中 (山陰)、関西中 (山陽)、高知商 (四国)、長崎商 (北九州)、大分商・宮崎中・熊本工・鹿児島商・沖縄二中 (南九州)、清津水産 (朝鮮)、天津商 (満州)、嘉義中 (台湾)である。山静・信越・京津は準決勝まで開催され決勝が中止になっているが、7月中旬の文部省次官による全国大会の中止通達を受けて、実際には北海道 (釧路・旭川・函館・小樽)や奥羽東北 (岩手・秋田・福島)、北陸 (富山)、東海 (愛知・三重)、紀和 (和歌山)、山陰山陽 (島根・広島・山口)、四国 (香川・徳島・愛媛)、北九州 (福岡・佐賀)など試合が実施されなかった地域があった。実施された地域の多くは7月下旬以降に県レベルで行われた試合であり、山形・長野 (9月下旬)・茨城 (10月上旬)のように秋に実施したところもある (したがって、前述の「地方予選で勝ち残っていた」という表現も正確とは言えない)。なお、本大会は実施されなかったものの、第27回大会は朝鮮・満州・台湾が参加した最後の大会となった。
高校野球が復活したのは戦後の昭和21年夏のことである。街は焼け野原、食べ物もろくにない貧困と苦難の時代ではあったが、高校野球は敗戦によって荒んだ人々の心を和ませてくれた。戦前の最後に行われた第26回大会の参加617校をはるかに上回る史上最多の745校が予選に出場を果す。粗末な野球用具を掻き集めてどうにかこうにか試合が行えるという惨状にもかかわらず、全国各地で連日熱戦が繰り広げられ、選手の一投一打に人々の声援が絶えることはなかったという。


徳島商の“幻の栄光”(昭和17年夏に全国大会が行われたという事実)
戦時中「4年間に渡って高校野球は行われなかった」というのは正確には間違いという話をする。昭和16年の第27回大会が中止されたその翌年、昭和17年の夏に、実は全国大会が行われているのだ。前年までの23地区から16地区へ変更されたものの地方予選もちゃんと行った上で全国大会を開催、無事に日程を消化して決勝戦も実施された。にもかかわらず、日本高校野球連盟の公式記録にはまったく触れられていない、その特殊な事情とは?
太平洋戦争が本格化する中、心身鍛錬・士気高揚のため文部省統制下の大会として(中等学校総合競技会の中の1種目として)、文部省の外郭団体「大日本学徒体育振興会」の主催でこの夏の全国大会は実施されている。大会決勝は「徳島商×平安中」という名門対決となり、延長11回の熱戦の末に、徳島商が平安中に8−7で逆転サヨナラ勝ちして“全国制覇”を達成している。この大会は夏の選手権大会の回数には数えられていない。徳島商の優勝も平安中の準優勝も公認記録としては取り扱われず“幻の栄光”となってしまったのだ。本大会や予選の一部が行われなかった第4回と第27回が大会の回数に数えられているのに対して、この大会が非公認というのはもったいない気がするのは私だけだろうか‥‥。出場校および対戦・試合結果は次のとおりである。

【代表校】北海中(北海道)、仙台一中(東北・宮城)、水戸商(北関東・茨城)、京王商(南関東・東京)、敦賀商(北陸・福井)、松本商(中部・長野)、一宮中(東海・愛知)、平安中(京津・京都)、市岡中(大阪)、海草中(紀和・和歌山)、滝川中(東中国・兵庫)、広島商(西中国・広島)、徳島商(四国・徳島)、福岡工(北九州・福岡)、大分商(南九州・大分)、台北工(台湾)、以上16校
【1回戦】徳島商 2−1 京王商(延長14回)、水戸商 9−3 滝川中、海草中 3−2 台北工(延長10回)、福岡工 11−3 敦賀商、平安中 3−0 市岡中、一宮中 7−2 松本商、広島商 10−2 北海中、仙台一中 3−2 大分商
【2回戦】徳島商 1−0 水戸商、海草中 5−2 福岡工、平安中 2−0 一宮中、広島商 28−10 仙台一中
【準決勝】徳島商 1−0 海草中、平安中 8−4 広島商
【決_勝】=延長11回=
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 合計
___(京津・京都)
___(四国・徳島)
2X
(平安)富樫、小俣、富樫−原田(徳商)加藤−笹川

余談になるが、平安中のエースは昭和14年夏に関西学院中の4番遊撃手として甲子園出場した富樫淳である。1回戦で蔭山(南海)がいた市岡中をノーヒットノーランで破っている。平安中のチームメイトには原田清(東急)や中村徳次郎(阪神)がいた。戦後、大阪タイガース(現・阪神)に入団すると2年目から外野手に転向。父であり阪神球団の初代代表だった富樫興一を選手として支え、戦後の球団再建に貢献している。ケガと病気で選手生活を断念すると、52年から第二の母校・平安の監督を8年間務め、甲子園出場6回、56年の夏は全国制覇を達成。60年から神戸製鋼監督に就任して都市対抗優勝も達成した。
なお、徳島商×平安中の決勝戦で主審を務めたのは、のちに監督として中日を初優勝と日本一に導き、野球殿堂入りした天地俊一氏である。嶋清一(海草中)が2試合連続ノーヒットノーランを達成した決勝戦でも主審を務めている。旧制帝京商の監督時代には、教え子の杉下茂(中日)にフォークボールを伝授し、捕手として明大野球部に在籍した若い時分には福岡中(岩手)の監督として夏の甲子園・全国中等学校優勝野球大会(大正10年、第13回大会)で指揮を執った経歴を持つ。準々決勝で水原茂(巨人−巨人監督−東映監督)を擁する高松商(優勝校)と延長12回の激闘(福岡中0−1高松商)を繰り広げている。


春センバツ「地区予選枠」変遷史(参考資料3)
春センバツの第1回大会(大正13年)から現在までの地区別の出場校数は以下のように推移している。初期は中国・四国勢と近畿勢が強く、戦前の約10年は圧倒的に東海勢がリードしていた。この東海・近畿・中国・四国以外の地区から優勝校が出るのは第26回大会(昭和29年)の北信越(長野・飯田長姫)が最初だった。身長157cmの「小さな大投手」光沢毅の活躍で、まったく無名だった飯田長姫 (おさひめ) が浪華商、高知商、熊本工、小倉といった強豪を次々になぎ倒して優勝。紫紺の大旗が初めて長野県に渡ったのである。
北海道は第15回大会(昭和13年)の北海中が初出場、東北に至っては戦前は一度も出場を果せず、第1回大会から数えて実に“32年目”の第27回大会(昭和30年)に一関一(岩手)が初出場している。この昭和30年以降、北海道から九州までの全地区に出場枠が割り当てられた。紫紺の優勝旗が初めて東京に渡ったのは第29回大会の早稲田実。九州に渡ったのは第30回大会の済々黌(熊本)、東京を除く関東地区に渡ったのは第33回大会の法政二(神奈川)が最初である。
地区別の出場校数が変わらなかったのは第30、31回大会(昭和33、34年)が初めて。出場枠が32校に定着した第55回大会(昭和58年)から3年連続、第66回から4年連続で地区別の出場校数が変化なし。近年は固定化される傾向にあった出場枠が、第73回大会(平成13年)から21世紀枠、第75回大会(平成15年)から明治神宮大会枠が導入されることによって再び変化するようになった。

地区\大会 101112 13141516 17181920 21222324 25262728 29303132 33343536
北海道                  1          1 1111 1111 1111
_                                 11 1111 1111
_ 111     2  211 1113 1111 1121 1111 1112 2222
_ 1 1   1   11   1111 0121 1111 1111 1 221 1121
北信越  111 1131 11        1 11    1 1111 1111 1111
_ 1121 2333 3 6 5 5 4 6 4 4 5 4 4 2 2 3 3 2 3 3 2 3 33 33 3343
_ 3 4 5 2 5 7 6 8 8 11 10 6 8 6 9 6 7 5 10 6 7 7 5 6 8 7 7 6 6 776 6786
_ 0 2 3 2 4 2 1 1 3 4 2 3 2 1 2 2 2 2 3 1 1 1 2 2 1 1 1 2 22 22 333 3
_ 2 2 2 2 3 1 2 3 2 4 1 2 1 2 1 2 2 1 2 2 2 1 1 2 1 2 2 2 22 22 2223
_  11  11 1 2212 3312 2232 2222 2232 2334 3242
(台湾)        1   1 1                              
出場校数 812168 16161619 20322020 20202020 20162616 16161618 19192020 20232323 23232823
※白抜数字は優勝校の出た地区を表わす。
地区\大会 37383940 41424344 45464748 49505152 5354555657 585960 61 6263646566 67686970 7172
北海道 11111 1111 2221 1112 11111 1221 112111 1211
_ 11121 1221 1222 2222 22222 2223 2222222 222
_ 12222 2323 3333 3333 34444 4555 555555 5555
_ 21122 2122 1112 2222 22222 2211 222222 2222
北信越 11211 1122 1122 1211 22222 2222 22222 22222
_ 3334 33323 3333 3333 33333 3333 33333 33333
_ 66676 6666 7767 7776 77777 7777 7777777 877
_ 23243 3235 5343 4343 33334 3433 33433 33433
_ 33333 3333 3343 3434 44443 4333 333333 3333
_ 43344 4444 4434 4344 34444 4444 444444 4544
出場校数 2424243026 26262730 30293030 30303030 3032323232 32343232 3232343232 3232363232
※白抜数字は優勝校の出た地区を表わす。
地区\大会 73747576 77787980 81828384 85868788 89909192 93949596 97989900 01020304 05060708
北海道 12 2112 1111 122 11                          
_ 32 2433 2333 345 23                          
_ 54 5555 6754 554 54                          
_ 22 1112 1122 212 22                          
北信越 22 3223 2322 322 22                          
_ 33 4322 3423 223 23                          
_ 76 6666 6677 67 677                          
_ 34 4233 3433 334 23                          
_ 33 3442 3323 324 33                          
_ 54 4454 5454 444 64                          
出場校数 3432 34323232 32363232 323236 3232                          


第1回 選抜中等学校野球大会
第1回センバツ大会(選抜中等学校野球大会)の出場校は、早稲田実(東京)・横浜商(神奈川)・愛知一中(愛知)・市岡中(大阪)・立命館中(京都)・和歌山中(和歌山)・松山商(愛媛)・高松商(香川)の8校。和歌山中(現・桐蔭)と愛知一中(現・旭丘)を破った高松商(香川)が決勝で早稲田実(東京)に2−0で競り勝ち、最初のセンバツ優勝校となった。1回戦の横浜商×市岡中は延長14回日没13−13の引分で再試合も21−13という大乱戦だった。

なお、第1回大会の開催された八亊球場(名古屋)が狭い球場だったため、外野の定位置を越える飛球はそのままトタン塀を越える本塁打となった。この大会で生まれた12本塁打は基準に満たない飛距離という理由で永年、公式記録から外され幻の本塁打となっていたが、昭和63年に正式記録として認定された。野村栄一選手(高松商)の先頭打者本塁打 (裏)&大会1号、田島豊次郎選手(和歌山中)の1試合2本塁打、飯田国吉選手(横浜商)の先頭打者本塁打 (表)、村川克己選手(高松商)の2試合連続本塁打などが大会初のメモリアルアーチとなったほか、大会通算本塁打数が12本ずつずれ込むことになった。


第1回 選抜中等学校野球大会・決勝(八亊球場)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 合計
___(香 川)
_早 稲 田 実(東 京)
(高松)松本−生乃(早実)水上−神山


甲子園「初出場」が最も遅かった県
夏の選手権大会で甲子園「初出場」が最も遅かったのは、沖縄県の昭和33年(第40回大会)。沖縄が本土返還になる昭和47年から数えて14年前のことだ。その後の沖縄勢は豊見城や興南といった強豪校を出し、初出場から32年後の平成2年から沖縄水産が2年連続準優勝。さらにその20年後、初出場から半世紀以上が経過した平成22年、興南が沖縄勢として初めて成し遂げた夏の全国制覇は、史上6校目の春夏連覇という快挙だった。春のセンバツで甲子園「初出場」が最も遅かったのは、山形県の昭和48年(第45回大会)。まさに悲願の初出場を果した日大山形は初戦を見事勝利で飾った。

選手権大会編
年 号選手権大会都道府県初代表校
昭和33年第40回沖 縄首   里
昭和29年第36回宮 崎高   鍋
昭和28年第35回滋 賀八 日 市
昭和24年第31回埼 玉熊   谷
昭和21年第28回高 知城 東 中
昭和12年第23回富 山高 岡 商
徳 島徳 島 商
昭和11年第22回山 形山 形 中
岐 阜岐 阜 商
昭和10年第21回山 梨甲 府 中
選抜大会編
年 号選 抜 大 会都道府県初代表校
昭和48年第45回山 形日 大 山 形
昭和47年第44回茨 城取 手 一
昭和37年第34回宮 崎高   鍋
昭和35年第32回秋 田秋 田 商
沖 縄那   覇
昭和34年第31回福 島会   津
昭和33年第30回新 潟新 潟 商
昭和32年第29回宮 城東   北
昭和31年第28回青 森八   戸
富 山滑   川


甲子園「初勝利」が最も遅かった県
夏の選手権大会で甲子園「初勝利」が最も遅かったのは、滋賀県の昭和54年(第61回大会)。比叡山が釧路工(北北海道)を相手に県勢初勝利を飾っている。春のセンバツで甲子園「初勝利」が最も遅かったのは新潟県の平成18年(第78回大会)。日本文理が高崎商(群馬)に逆転勝ち、最後の未勝利県に初勝利をもたらした。

選手権大会編
年 号選手権大会都道府県初勝利校対戦校
昭和54年第61回滋 賀比 叡 山12−4 釧路工(北北海道)
昭和48年第55回 山 形日 大 山 形02−1 鹿児島実(鹿児島)
昭和38年第45回福 島磐   城05−1 丸亀商(香川)
沖 縄首   里04−3 日大山形(山形)
昭和35年第42回青 森青   森01−0 東 北(宮城)
昭和32年第39回宮 崎宮 崎 大 宮14−1 三 国(福井)
昭和30年第37回三 重四 日 市03−1 芦 別(北海道)
昭和26年第33回埼 玉熊   谷04−0 下関西(山口)
昭和25年第32回徳 島鳴   門04−2 明 石(兵庫)
昭和22年第29回富 山高 岡 商09−8 福岡中(岩手)
選抜大会編
年 号選 抜 大 会都道府県初勝利校対戦校
平成18年第78回新 潟日 本 文 理04−3 高崎商(群馬)
昭和49年第46回茨 城土 浦 日 大03−1 新居浜商(愛媛)
昭和48年第45回山 形日 大 山 形05−2 境(鳥取)
昭和47年第44回岩 手専 大 北 上01−0 花 園(京都)
昭和46年第43回沖 縄普 天 間03−2 弘 前(青森)
福 島福 島 商08−4 一 条(奈良)
昭和43年第40回富 山高 岡 商14−1 沖 縄(沖縄)
宮 城仙 台 育 英09−8 興 國(大阪)
昭和42年第39回山 梨甲 府 商05−1 近大付(大阪)
昭和41年第38回宮 崎高   鍋06−1 徳島商(徳島)


都道府県別「初代表校」と「初勝利校」
夏の選手権大会で初代表校の出場から初勝利までの期間が最も長かったのは三重(40年)である。大正4(1915)年の第1回大会に山田中が東海代表として出場して以来、昭和28(1953)年の第35回大会・三岐代表の津まで38年間に渡って出場機会に恵まれず、翌々年の昭和30(1955)年の第37回大会に三岐代表で初出場した四日市が三重県勢の初勝利を挙げると、そのまま全国制覇まで上り詰めた。ほかに山形(37年)・福島(29年)の東北勢が続く。
春のセンバツで初代表校の出場から初勝利までの期間が最も長かったのは新潟(48年)である。昭和33(1958)年の第30回大会に新潟商が出場して以来、7度目の挑戦で平成18(2006)年の第78回大会に出場した日本文理が新潟県勢悲願の初勝利を飾った。ほかに島根(36年)と神奈川(35年)が続く。

選手権大会編
都道府県初 代 表 校年号(選手権)初 勝 利 校年号(選手権)
北海道北 海 中大正09年(06)北 海 中大正11年(08)
青 森八 戸 中大正15年(12)青   森昭和35年(42)
岩 手一 関 中大正05年(02)一 関 中大正05年(02)
秋 田秋 田 中大正04年(01)秋 田 中大正04年(01)
山 形山 形 中昭和11年(22)日 大 山 形昭和48年(55)
宮 城仙 台 一 中大正12年(09)東 北 中昭和05年(16)
福 島福 島 師 範昭和09年(20)磐   城昭和38年(45)
茨 城竜 ヶ 崎 中大正07年(04)水 戸 商昭和08年(19)
栃 木宇 都 宮 商大正12年(09)宇 都 宮 中大正13年(10)
群 馬前 橋 中大正14年(11)前 橋 中大正15年(12)
埼 玉熊   谷昭和24年(31)熊   谷昭和26年(33)
千 葉千 葉 師 範大正15年(12)千 葉 中昭和10年(21)
東 京早 稲 田 実大正04年(01)早 稲 田 実大正04年(01)
神奈川横 浜 商大正12年(09)横 浜 商昭和08年(19)
山 梨甲 府 中昭和10年(21)甲 府 中昭和10年(21)
新 潟長 岡 中大正07年(04)長 岡 中大正09年(06)
富 山高 岡 商昭和12年(23)高 岡 商昭和22年(29)
石 川金 沢 商大正12年(09)石 川 師 範昭和07年(18)
福 井敦 賀 商大正14年(11)敦 賀 商大正14年(11)
長 野長 野 師 範大正05年(02)長 野 師 範大正06年(03)
静 岡静 岡 中大正13年(10)静 岡 中大正14年(11)
愛 知愛 知 四 中大正05年(02)愛 知 一 中大正06年(03)
岐 阜岐 阜 商昭和11年(22)岐 阜 商昭和11年(22)
三 重山 田 中大正04年(01)四 日 市昭和30年(37)
滋 賀八 日 市昭和28年(35)比 叡 山昭和54年(61)
京 都京 都 二 中大正04年(01)京 都 二 中大正04年(01)
大 阪市 岡 中大正05年(02)市 岡 中大正05年(02)
兵 庫

神 戸 二 中大正04年(01)関西学院中大正06年(03)
奈 良郡 山 中昭和08年(19)郡 山 中昭和08年(19)
和歌山和 歌 山 中大正04年(01)和 歌 山 中大正04年(01)
岡 山岡 山 一 中大正10年(07)岡 山 一 中大正10年(07)
広 島広 島 中大正04年(01)広 島 商大正05年(02)
鳥 取鳥 取 中大正04年(01)鳥 取 中大正04年(01)
島 根杵 築 中大正06年(03)杵 築 中大正06年(03)
山 口豊 浦 中大正08年(05)柳 井 中大正14年(11)
香 川高 松 中大正04年(01)香 川 商大正05年(02)
徳 島徳 島 商昭和12年(23)鳴   門昭和25年(32)
愛 媛今 治 中大正07年(04)松 山 商大正08年(05)
高 知城 東 中昭和21年(28)城 東 中昭和21年(28)
福 岡久 留 米 商大正04年(01)小 倉 中大正08年(05)
佐 賀佐 賀 中大正11年(08)佐 賀 中昭和04年(15)
長 崎長 崎 中大正06年(03)長 崎 商大正14年(11)
熊 本熊 本 商大正14年(11)熊 本 工昭和07年(18)
大 分大 分 商昭和06年(17)大 分 商昭和10年(21)
宮 崎高   鍋昭和29年(36)宮 崎 大 宮昭和32年(39)
鹿児島鹿 児 島 商昭和02年(13)鹿 児 島 商昭和02年(13)
沖 縄首   里昭和33年(40)首   里昭和38年(45)
選抜大会編
都道府県初 代 表 校年号(選抜)初 勝 利 校年号(選抜)
北海道北 海 中昭和13年(15)北   海昭和29年(26)
青 森八   戸昭和31年(28)八   戸昭和31年(28)
岩 手一 関 一昭和30年(27)専 大 北 上昭和47年(44)
秋 田秋 田 商昭和35年(32)秋 田 商昭和35年(32)
山 形日 大 山 形昭和48年(45)日 大 山 形昭和48年(45)
宮 城東   北昭和32年(29)仙 台 育 英昭和43年(40)
福 島会   津昭和34年(31)福 島 商昭和46年(43)
茨 城取 手 一昭和47年(44)土 浦 日 大昭和49年(46)
栃 木栃 木 中昭和09年(11)宇 都 宮 工昭和26年(23)
群 馬桐 生 中昭和08年(10)桐 生 中昭和11年(13)
埼 玉川 越 中昭和06年(08)浦 和 中昭和10年(12)
千 葉銚 子 商昭和28年(25)銚 子 商昭和28年(25)
東 京早 稲 田 実大正13年(01)早 稲 田 実大正13年(01)
神奈川横 浜 商大正13年(01)慶   応昭和35年(32)
山 梨日   川昭和24年(21)甲 府 商昭和42年(39)
新 潟新 潟 商昭和33年(30)日 本 文 理平成18年(78)
富 山滑   川昭和31年(28)高 岡 商昭和43年(40)
石 川金 沢 三 中昭和23年(20)金   沢昭和39年(36)
福 井敦 賀 商昭和05年(07)若   狭昭和30年(27)
長 野長 野 商大正14年(02)松 本 商大正15年(03)
静 岡静 岡 中大正15年(03)静 岡 中昭和03年(05)
愛 知愛 知 一 中大正13年(01)愛 知 一 中大正13年(01)
岐 阜岐 阜 商昭和07年(09)岐 阜 商昭和08年(10)
三 重富 田 中昭和22年(19) 松 阪 商昭和35年(32)
滋 賀膳 所 中昭和09年(11)八 幡 商昭和32年(29)
京 都立 命 館 中大正13年(01)平 安 中昭和05年(07)
大 阪市 岡 中大正13年(01)市 岡 中大正13年(01)
兵 庫甲 陽 中
第一神港商
大正14年(02)
甲 陽 中
第一神港商
大正14年(02)
奈 良御 所 実昭和28年(25)高   田昭和30年(27)
和歌山和 歌 山 中大正13年(01)和 歌 山 中大正15年(03)
岡 山関   西昭和24年(21)倉 敷 工昭和32年(29)
広 島広 陵 中大正14年(02)広 陵 中大正15年(03)
鳥 取鳥 取 一 中昭和02年(04)鳥 取 一 中昭和08年(10)
島 根島 根 商大正14年(02)松 江 商昭和36年(33)
山 口柳 井 中大正15年(03)柳 井 中大正15年(03)
香 川高 松 商大正13年(01)高 松 商大正13年(01)
徳 島徳 島 商昭和10年(12)徳 島 商昭和12年(14)
愛 媛松 山 商大正13年(01)松 山 商大正14年(02)
高 知城 東 中昭和22年(19)城 東 中昭和22年(19)
福 岡小 倉 工昭和06年(08)小 倉 工昭和07年(09)
佐 賀佐 賀 商昭和30年(27)佐 賀 商昭和30年(27)
長 崎長 崎 商昭和08年(10)長 崎 西昭和26年(23)
熊 本熊 本 商大正15年(03)熊 本 商大正15年(03)
大 分大 分 商昭和07年(09)大 分 商昭和10年(12)
宮 崎高   鍋昭和37年(34)高   鍋昭和41年(38)
鹿児島鹿児島一中大正14年(02)鹿 児 島 商昭和27年(24)
沖 縄那   覇昭和35年(32)普 天 間昭和46年(43)


甲子園「初出場」で優勝の栄冠に輝いたチーム
甲子園という夢舞台に初めて出場して、一気に頂点まで上り詰めて“ミラクル”を起こしたチームがあった。
最も新しい例が、夏の選手権の大阪桐蔭(平成3年)であり、春センバツの愛媛・済美(平成16年)である。優勝候補を撃破、伏兵が無欲で栄光をつかんだ第37回選手権(昭和30年)の四日市、9回ウラ2死満塁カウント2−3の局面に堪えて栄光をつかんだジャンボ尾崎は第36回センバツ(昭和39年)の徳島海南、不況に悩む炭鉱町の人々を勇気づけた第47回選手権(昭和40年)の三池工、エースが病院からマウンドへ現れた第40回センバツ(昭和43年)の大宮工など、初出場・初優勝チームには数々のヒーロー伝説がある。
その詳細および初出場・初優勝校の一覧はこちら→「初出場・初優勝」へアクセス。

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