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甲子園出場校の
校名呼称・正式校名一覧

西日本編
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都道府県別甲子園出場校の「校名呼称」および「正式校名」一覧の西日本編です。
校名呼称については、スポーツ紙(日刊スポーツ・スポーツニッポン・サンケイスポーツ)の掲載方法に準拠しています。備考欄に記した学校創設以来の校名変遷の略歴は参考資料です。詳細は正式校名にリンクした各校の公式サイトを参照。
※一覧表は、都道府県別のランキング順で上位校を表示します。表左の都道府県名をクリックすると、ランク外の校名一覧が閲覧できます。
【特殊な校名呼称の事例】
学校法人の学園を省略する事例
北海道尚志(学園)、仙台育英(学園)、藤嶺(学園)藤沢、常葉(学園)菊川、常葉(学園)橘、神戸弘陵(学園)、智弁(学園)和歌山、藤井(学園)寒川、聖心ウルスラ(学園)
◇学校法人の「学園」を省略しない事例 (他校と区別するため)=北海学園札幌、岐阜聖徳学園
学校法人の大学を省略する事例=国学院(大)栃木、国学院(大)久我山、法政(大)二
※明大明治は「明治」、城西大付(現・城西大城西)は「城西」、九産大九州産は「九州産」と、大学名を外した校名で甲子園出場しています。
◇校名の一部である固有名詞を省略する主な事例 (省略しても顕著性が保たれるため)=神港学園(神港)、江戸川学園(取手)
◇私立の校名に含まれる「県」や「県名」を省略する事例=山口(県)鴻城、(山口県)桜ヶ丘
学制改革以前の校名呼称正式校名との不一致=三重四中が「山田中」で出場した事例が最初。以下にその他の主な事例。( )内は本来使用すべき校名呼称。
浅野中(浅野綜合中)、神戸一中(第一神戸中)、神戸二中(第二神戸中)、岡山一中(第一岡山中)、豊国中(豊国学園中)、鹿児島一中(第一鹿児島中)、鹿児島二中(第二鹿児島中)
府県名のみを冠した校名正式校名に市町村名や固有名詞が入らない事例
茨城商(茨城県立商業:現水戸商)、愛知一中(愛知県第一中学:現旭丘)、愛知四中(愛知県第四中学:現時習館)、愛知商(愛知県商業:現瑞陵・県立愛知商)、
滋賀商(滋賀県商業:現八幡・八幡商)、京都一中(京都府立第一中学:現洛北)、京都二中(京都府第二中学:現鳥羽)、島根商(島根県立商業:現松江商)、
熊本工(熊本県立工業:現県立熊本工)、熊本商(熊本県立商業:現県立熊本商)、神奈川商工(現・神奈川県立商工)、石川工・石川県工(現・石川県立工業)
【略歴の校名表示】
実業学校旧制中学など(学制改革以前の中等学校)
*=商業学校、工*=工業学校、実*=実業学校、産*=産業学校、農#=農学校、農*=農業学校、薬#=薬学校、薬*=薬業学校、蚕*=蚕業学校、
農工=農工学校、農林=農林学校、農商=農商学校、農園=農園学校、園芸=園芸学校、農芸=農芸学校、農蚕=農蚕学校、蚕糸=蚕糸学校、養蚕=養蚕学校、
商蚕=商蚕学校、職業=職業学校、補習=補習学校、補修=補修学校、実習=実習学校、実修=実修学校、専修=専修学校、専門=専門学校、実務=実務学校、
経理=経理学校、簿記=簿記学校、商法=商法学校、英語=英語学校、電波=電波学校、電気=電気学校、鉄道=鉄道学校、工芸=工芸学校、工科=工科学校、
職工=職工学校、拓殖=拓殖学校、商船=商船学校、貿易=貿易学校、水産=水産学校、商工=商工学校、工商=工商学校、染織=染織学校、洋裁=洋裁学校、
技芸=技芸学校、青年=青年学校、師範=師範学校、女=女学校、中=中学校
新制高等学校(昭和23年:学制改革以後)
商=商業高等学校、工=工業高等学校、実=実業高等学校、産=産業高等学校、農=農業高等学校、商工=商工高等学校、電波=電波高等学校、女/女子=女子高等学校
略記号[都]=都立、[道]=道立、[庁]=庁立、[府]=府立、[県]=県立、[市]=市立、[区]=区立、[郡]=郡立、[町]=町立、[村]=村立、[町村]=町村立
◇略記号◇[組合]=組合立、[官]=官立、[私]=私立、[財]=財団法人、[学法]=学校法人
【注】分離独立に伴う旧校戦績の共有関係について
甲子園出場校から分離した高校は、分離前の甲子園戦績を「共有」するか否かによって通算成績やランキングの順位が違ってきます。分離後に再出場を果した場合は当該校の戦績共有の有無が明確になりますが、再出場を果していない高校で戦績共有しないと想定されるケースを当サイトでは「不明」扱いとします。旧校戦績の共有関係は略歴欄に【注】を付しました。
2016年(平成28年) 4月24日 最終更新
・別府青山・別府商・別府羽室台(大分)の3校が「別府翔青」に統合 (平成29年4月予定)。
・須坂商・須坂園芸(長野)が「須坂創成」に統合 (平成29年4月予定)。
・伊都(長野)が「伊都中央」に統合 (平成29年4月予定)。
・東海大三(長野)が「東海大諏訪」に校名変更 (平成28年4月)。
・東海大四(北海道)が「東海大札幌」に校名変更 (平成28年4月)
・東海大五(福岡)が「東海大福岡」に校名変更 (平成28年4月)
・東海大望洋(千葉)が「東海大市原望洋」に校名変更 (平成28年4月)
・北海道尚志学園(北海道)が「北海道科学大高」に校名変更 (平成28年4月)
・日体荏原(東京)が「日体大荏原」に校名変更 (平成28年4月)
・長浜と長浜北(滋賀)が統合へ:新校「長浜北」開設 (平成28年4月)
・洛陽工と伏見工(京都)が統合へ:新校「京都工学院」開設 (平成28年4月)
・市神港と兵庫商(兵庫)が統合へ:新校「神港橘」開設 (平成28年4月)
・下関工(山口)が下関中央工と統合へ:新校「下関工科」開設 (平成28年4月)
・香川西(香川)が「四国学院大香川西」に改称 (平成28年4月)

表示は甲子園優勝校、は甲子園最高成績が準優勝。
表示は第88回選抜大会で甲子園初出場:明石商(兵庫)、長田(兵庫)、小豆島(香川)
都道府県別甲子園出場校(ランキング一覧)
甲子園出場校の校名一覧 (ランク外は表左の都道府県名からリンク)
北海道 | 東北 | 関東 | 北信越 | 東海 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州
都道府県校名呼称
正式校名
(カッコ内は学校法人名)
校名変遷の略歴
(◯甲子園出場校時の校名)
滋 賀 ___近江高等学校 (近江育英会)[私]近江實修工*(昭和13)〜旧近江高等女を統合、◯近江(昭和23)〜
__滋賀県立八幡商業高等学校[県]滋賀商*<滋賀県商業学校>(明治19)〜滋賀商<滋賀県立商業学校>(明治34)〜八幡商*(明治41)〜八幡(昭和23)〜滋賀中央<滋賀県立中央高等学校>(昭和24)〜◯八幡(昭和26)〜◯八幡商(昭和30)〜
【注】八幡の戦績(昭和26/選抜出場1回/0勝1敗)を引き継ぎ、現八幡と共有
__比叡山高等学校 (延暦寺学園)天台宗総黌(明治6)〜◯比叡山(昭和23)〜
__滋賀県立北大津高等学校◯[県]北大津(昭和59)〜
___西滋賀県立甲西高等学校◯[県]甲西(昭和58)〜
__滋賀県立瀬田工業高等学校[県]瀬田工*(昭和14)〜瀬田(昭和26)〜◯瀬田工(昭和30)〜
__新校:滋賀県立長浜北高等学校
滋賀県立長浜高等学校
滋賀県立長浜北高等学校
◯[県]長浜(昭和51)〜廃校(平成30予定)//
[町]長浜実科高等女(明治44)〜[町]長浜高等女(大正9)〜[県]長浜高等女(大正11)〜長浜北(昭和23)〜長浜南と統合、長浜 北校舎(昭和24)〜北校舎が長浜から分離独立、◯長浜北(昭和27)〜廃校(平成30予定)//
長浜と長浜北を統合、[県]長浜北(平成28)〜
※新・長浜北は長浜と長浜北の両校の甲子園出場・戦績を引き継ぐ。
___滋賀県立伊香高等学校伊香農業補修(明治29)〜[県]伊香農#(大正11)〜伊香農#と木之本高等女を統合、伊香(昭和23)〜伊香を廃止、湖北 伊香校舎(昭和24)〜湖北を廃止、◯伊香(昭和26)〜
___滋賀県立膳所高等学校[県]滋賀第二尋常中(明治31)〜[県]滋賀二中<滋賀県第二中学校>(明治32)〜◯膳所中(明治41)〜膳所中・大津高等女・大津商*・大津[市]高等女・同女子商*の5校統廃合、膳所・大津・志賀を設立(昭和23)〜3校統合、大津(昭和24)〜大津西を分離、◯大津東(昭和27)〜◯膳所(昭和31)〜
__滋賀県立彦根東高等学校第三大学区第11番中学区彦根学校(明治9)〜[県]彦根伝習(明治10)〜彦根初等師範(明治12)〜彦根公立中(明治13)〜滋賀尋常中(明治20)〜滋賀一中<滋賀県第一中学校>(明治32)〜彦根中(明治41)〜彦根東・彦根西・彦根南の3校統合、◯彦根(昭和24)〜◯彦根東(昭和27)〜
京 都 龍谷大平安龍谷大学付属平安高等学校 (平安学園)滋賀県彦根市に創設、金亀教行(明治9)〜第三仏教中(明治35)〜京都市へ移転(明治42)〜◯平安中(明治43)〜◯平安(昭和23)〜龍谷大学と連携し付属校へ転換、◯龍谷大平安(平成20)〜
___京都府立鳥羽高等学校◯[府]京都二中<京都府第二中学校>(明治33)〜新制の洛南と鳥羽 夜間部を設置(昭和23.4)〜洛南=旧京都二中を廃止(校舎は新制中学の洛南中に転用)、鳥羽 夜間部を朱雀 鳥羽分校 定時制に再編(昭和23.10)// 洛南中の移転後、同敷地に新設高校を再興。朱雀 鳥羽分校を併合、◯鳥羽(昭和59)〜
西___京都市立西京高等学校[府]京都商*<京都府商業学校>(明治19)〜◯[市]京都一商*<京都市立第一商業学校>(明治43)〜◯西京商(昭和23.4)〜西京(昭和23.10)〜◯西京商(昭和38)〜西京(平成15)〜
京 都 学 園京都学園高等学校 (京都学園)◯[私]京都商*(大正14)〜京都商(昭和23)〜[学法]京都学園 ◯京都商(昭和26)〜京都学園(平成2)〜
京都外大西京都外大西高等学校 (京都外国語大学)◯京都西(昭和31)〜[学法]京都外国語大学 ◯京都外大西(平成13)〜
京 都 成 章京都成章高等学校 (明徳学園)[学法]明徳学園 ◯京都成章(昭和61)〜
京 都 二 商京都市立第二商業学校◯[市]京都二商*<京都市立第二商業学校>(明治43)〜同校内に新制中学の北野中を併設開校(昭和22)〜京都二商は西京商=旧京都一商の校内に移設し改称、[市]西陣商(昭和23.4)〜西陣商を廃止(昭和23.10)// 
福知山成美福知山成美高等学校 (成美学苑)私塾愛花草舎(明治4)〜西垣成美塾(明治10)〜西垣成美學(明治43)〜福知山商*(大正13)〜福知山商(昭和23)〜[学法]成美学苑(昭和26)〜福知山女子を分離、◯福知山商(昭和32)〜◯福知山成美(平成12)〜
__立命館高等学校 (立命館)[私]京都法政学校=のちの立命館大学の付属校として設立、清和普通学校(明治38)〜清和中(明治39)〜◯立命館中(大正2)〜立命館一中(昭和17)〜◯立命館(昭和23)〜
___東山高等学校 (東山学園)勧学院(明治元)〜◯東山中(明治45)〜◯東山(昭和23)〜
大 阪 P L 学 園PL学園高等学校 (PL学園)[学法]PL学園 ◯PL学園(昭和31)〜
大 阪 桐 蔭大阪桐蔭高等学校 (大阪産業大学)大産大高 大東校舎として設立(昭和58)〜大産大高=現大産大付から分離独立、[学法]大阪産業大学 ◯大阪桐蔭(昭和63)〜
大体大浪商大阪体育大学浪商高等学校 (浪商学園)浪華商業実修(大正10)〜◯浪華商*(大正12)〜◯浪華商(昭和23)〜◯浪商(昭和34)〜◯大体大浪商(平成元)〜
___上宮高等学校 (上宮学園)浄土宗学大阪支校(明治23)〜上宮中(明治45)〜上宮(昭和23)〜[学法]上宮学園 ◯上宮(昭和26)〜
___明星高等学校 (大阪明星学園)明星学校(明治31)〜◯明星商*(明治36)〜明星工*(昭和19)〜明星中(昭和21)〜明星(昭和23)〜[学法]大阪明星学園 ◯明星(昭和26)〜
___興國高等学校 (興國学園)◯興国商*(大正15)〜興国商(昭和23)〜[学法]興國学園 興国商(昭和26)〜◯興国(昭和38)〜
__近畿大学附属高等学校 (近畿大学)日本工*(昭和14)〜大阪理工科大付(昭和23)〜近大付(昭和24)〜[学法]近畿大学 ◯近大付(昭和26)〜
___大阪府立北野高等学校[府]欧学校(明治6.4)〜集成学校(明治6.5)〜大阪一番中(明治10)〜大阪中(明治12)〜府立中学廃止の布達、[私]大阪中(明治13)〜廃止布達の取消、[府]大阪師範別科大阪中(明治14)〜大阪師範から分離、大阪中(明治17)〜大阪尋常中(明治19)〜大阪第一尋常中<大阪府第一尋常中学校>(明治28)〜生徒188名を新設の大阪第五尋常中=現天王寺へ分割(明治29)〜大阪一中<大阪府第一中学校>(明治32)〜堂島中(明治34)〜◯北野中(明治35)〜大手前高等女=現大手前と教員・生徒を半分ずつ交換して再編、◯北野(昭和23)〜
___大阪府立八尾高等学校[府]大阪第三尋常中<大阪府第三尋常中学校>(明治28)〜大阪三中<大阪府第三中学校>(明治32)〜◯八尾中(明治34)〜◯八尾(昭和23)〜
___大阪府立市岡高等学校[府]大阪七中<大阪府第七中学校>(明治32)〜◯市岡中(明治34)〜◯市岡(昭和23)〜
__履正社高等学校 (履正社)福島商*(大正11)〜姉妹校、履正社中を開設(昭和15)〜両校を統合、履正社(昭和23)〜大阪福島商(昭和30)〜[学法]履正社 ◯履正社(昭和58)〜
関 大 北 陽関西大学北陽高等学校 (関西大学)北陽商*(大正14)〜[財]福武学園 北陽工*(昭和19)〜北陽商*(昭和21)〜北陽(昭和24)〜[学法]福武学園 ◯北陽(昭和26)〜関西大学の併設校に編入、[学法]関西大学 関大北陽(平成20)〜
阪 南 大 高阪南大学高等学校 (阪南大学)大鉄工学校(昭和14)〜大鉄工*(昭和16)〜◯大鉄(昭和23)〜阪南大高(昭和61)〜
__関西大学第一高等学校 (関西大学)◯[私]関西甲種商*(大正2)〜関大二商*を併設(大正13)〜関大一<関西大学付属第一>(昭和23)〜[学法]関西大学(昭和26)〜◯関大一<関西大学第一>(昭和27)〜
___大阪府立泉陽高等学校女紅場(明治7)〜[区]堺女(明治21)〜[市]堺高等女(明治33)〜[府]堺高等女(明治45)〜[府]堺中・[市]堺高等女との3校交流により再編、◯泉陽(昭和23)〜
___大阪府立守口高等学校◯京阪商*(大正12)〜松下工*(昭和19)〜守口[市]京阪(昭和23)〜府立移管、[府]京阪(昭和38)〜守口(昭和41)〜守口北と統合し野球部が廃部(平成16)//
【注】統合後の芦間(平成16〜)には野球部がなく、京阪商の戦績は引き継がない
関 西 創 価関西創価高等学校 (関西創価学園)[学法]関西創価学園 創価女子(昭和48)〜◯関西創価(昭和57)〜
___東大阪市立日新高等学校[私]大正学校(大正10)〜◯日新商*(大正12)〜日新工*(昭和19)〜日新商*(昭和21)〜布施[市]日新(昭和23)〜東大阪[市]日新(昭和42)〜
__大阪府立寝屋川高等学校[組合]河北高等女(明治42)〜[府]河北高等女(大正10)〜寝屋川高等女(昭和3)〜◯寝屋川(昭和23)〜
___浪速高等学校 (大阪国学院)浪速中(大正12)〜◯浪速(昭和23)〜
兵 庫 報 徳 学 園報徳学園高等学校 (報徳学園)報徳実*(明治44)〜[私]報徳商*(大正13)〜報徳工*(昭和19)〜報徳商*(昭和21)〜[学法]報徳学園 ◯報徳学園(昭和27)〜
関 西 学 院関西学院高等部 (関西学院)関西学院(明治22)〜◯関西学院中(大正4)〜関西学院高等部(昭和23)〜[学法]関西学院 ◯関西学院高等部(昭和26)〜
__神戸市立神港橘高等学校
神戸市立神港高等学校
神戸市立兵庫商業高等学校
[私]神港商*(明治40)〜◯[市]第一神港商*(明治45)〜神港商(昭和23)〜[市]湊商=旧第一女子商*を統合、◯市神港(昭和24)〜廃校(平成30予定)//
◯[私]北神商*(昭和3)〜北神工*(昭和19)〜北神商*(昭和21)〜神戸市立移管、[市]第一北神商*(昭和22)〜北神(昭和23)〜鈴蘭台(昭和24)〜兵庫商(昭和30)〜廃校(平成30予定)//
市神港と兵庫商を統合、神港橘(平成28)〜
※神港橘は市神港と北神商の両校の甲子園出場・戦績を引き継ぐ。
___育英高等学校 (武井育英会)数英漢学会(明治32)〜育英義会(明治33)〜[私]神戸育英義塾(明治35)〜[私]甲種育英商*(大正4)〜◯育英商*(大正9)〜◯育英(昭和23)〜
___兵庫県立芦屋高等学校◯[県]芦屋中(昭和15)〜◯芦屋(昭和23)〜
東洋大姫路東洋大学附属姫路高等学校 (東洋大学)[学法]東洋大学 ◯東洋大姫路(昭和38)〜
甲 陽 学 院甲陽学院高等学校 (辰馬育英会)[私]甲陽中学(大正6)〜[財]辰馬学院 ◯甲陽中(大正9)〜甲陽(昭和23)〜甲陽学院(昭和25)〜[学法]辰馬育英会 甲陽学院(昭和26)〜
___兵庫県立神戸高等学校[県]神戸尋常中(明治29)〜神戸中(明治32)〜◯神戸一中<兵庫県立第一神戸中学校>(明治40)〜第一神戸(昭和23.4)〜神戸欽松=旧第一神戸高等女を統合、神戸(昭和23.9)〜
___兵庫県立洲本高等学校徳島師範期成学校洲本支校(明治8)〜兵庫県に編入(明治9)〜津名郡・三原郡全町村連合会立洲本中(明治12)〜廃校(明治18)// 県立中学として再興、[県]洲本尋常中(明治30)〜[県]洲本中(明治34)〜淡路=旧淡路高等女を統合、◯洲本(昭和23)〜
___兵庫県立明石高等学校[市]明石中(大正12)〜県立移管、◯[県]明石中(昭和3)〜明石高等女との交流により再編、◯明石(昭和23)〜
__兵庫県立神戸商業高等学校神戸商業講習所(明治11)〜◯[県]神戸商*(明治19)〜第一神戸商*(昭和3)〜第一神戸商(昭和23.4)〜垂水=旧神戸四中を統合、[県]星陵(昭和23.9)〜星陵の商業科を廃止、神戸商を再興(昭和37)〜
___兵庫県立鳴尾高等学校[村]鳴尾中(昭和18)〜住吉との交流により再編、鳴尾(昭和23)〜県立移管、◯[県]鳴尾(昭和25)〜
___滝川高等学校 (瀧川学園)[私]兵庫中(大正7)〜◯滝川中(大正8)〜滝川(昭和23)〜[学法]瀧川学園 ◯滝川(昭和26)〜姉妹校の滝川二を開設(昭和59)〜
__滝川第二高等学校 (瀧川学園)[学法]瀧川学園 ◯滝川二(昭和59)〜
神 港 学 園神港学園神港高等学校 (神港学園)[私]神港中(大正14)〜[財]神港中学(昭和2)〜神港中(昭和3)〜[私]神港(昭和23)〜◯[学法]神港学園(昭和25)〜◯神港学園神港(昭和59.6)〜 <注>昭和59年選抜は校名変更前
__兵庫県立尼崎高等学校[市]尼崎中(大正12)〜県立移管、[県]尼崎中(昭和5)〜[県]尼崎(昭和23)〜[市]尼崎商を統合、◯[県]尼崎(昭和24)〜
__兵庫県立尼崎北高等学校[私]中外商*(大正11)〜中外商(昭和23)〜琴浦女子=旧琴浦女(〜琴浦女子実習)を統合、[市]尼崎北<尼崎市立北高等学校>(昭和26.4)〜県立移管、◯[県]尼崎北(昭和26.10)〜
三 田 学 園三田学園高等学校 (三田学園)[私]三田中(明治45)〜三田中(大正9)〜三田(昭和23)〜[学法]三田学園 三田(昭和26)〜◯三田学園(昭和42)〜
神 戸 弘 陵神戸弘陵学園高等学校 (神戸弘陵学園)[学法]神戸弘陵学園 ◯神戸弘陵学園(昭和58)〜
神戸国際大付神戸国際大学附属高等学校 (八代学院)[学法]八代学院 八代学院(昭和38)〜◯神戸国際大付(平成4)〜
奈 良 ___天理高等学校 (天理大学)天理教校(明治33)〜天理中(明治41)〜旧天理高等女を統合、天理(昭和23)〜[学法]天理大学 ◯天理(昭和26)〜
智 弁 学 園智辯学園高等学校 (智辯学園)[学法]智辯学園 ◯智弁学園(昭和40)〜
___奈良県立郡山高等学校郡山予備校(明治9.8)〜堺[県]師範学校分局 郡山学校(明治9.10)〜大阪[府]堺師範学校分校 郡山学校(明治14.4)〜大阪[府]郡山中(明治14.10)〜奈良県に再設置、[県]郡山尋常中(明治20)〜奈良尋常中<奈良県尋常中学校>(明治26)〜◯郡山中(明治34)〜郡山(昭和23.4)〜郡山農・[町]郡山城東の3校統合、郡山(昭和23.9)〜農業課程を郡山農(のちの城内)として分離、◯郡山(昭和33)〜城内を統合、郡山(平成16)〜
__奈良県立御所実業高等学校県短期染色講習所(明治29)〜南葛城[郡]実業補習(明治31)〜県染色講習所(明治32)〜[県]奈良工*<奈良県立工業学校>(明治34)〜[県]御所工*(大正13)〜御所工(昭和23.4)〜御所=旧御所高等女、御所農=旧南葛城農との3校統合、御所(昭和23.9)〜普通科=御所(現青翔)を分離、◯御所実(昭和27)〜農科=御所農(のちの御所東)を分離、◯御所工(昭和33)〜御所東と統合、御所実(平成21)〜
__大和高田市立高田商業高等学校大和高田市商(昭和29)〜◯[市]高田商(昭和33)〜
___奈良県立高田高等学校北葛城[郡]高田高等女(大正10)〜県立移管、[県]高田高等女(大正12)〜◯高田(昭和23)〜
法隆寺国際奈良県立法隆寺国際高等学校◯[県]斑鳩(昭和53)〜片桐と統合、法隆寺国際(平成19)〜
大 和 広 陵奈良県立大和広陵高等学校◯[県]広陵(昭和49)〜高田東と統合、◯大和広陵(平成19)〜
___奈良県立桜井高等学校[県]桜井高等女(明治37)〜◯[県]桜井(昭和23)〜
奈 良 大 付奈良大学附属高等学校 (奈良大学)南都正強中(大正14)〜[財]南都正強中学(昭和8)〜奈良正強(昭和23)〜[学法]奈良正強高等学校(昭和26)〜[学法]奈良県正強学園 奈良県正強(昭和29)〜[学法]正強学園 正強(昭和44)〜奈良大付(平成8)〜[学法]奈良大学 ◯奈良大付(平成15)〜
和歌山 ___和歌山県立箕島高等学校[町]箕島実*(明治40)〜箕島技芸女=のちの箕島高等女を分離、箕島商*(大正8)〜県立移管、[県]箕島商*(昭和2)〜箕島工*を統合、箕島商工(昭和21)〜箕島高等女を統合、◯箕島(昭和23)〜
___和歌山県立桐蔭高等学校◯[県]和歌山中(明治12)〜◯桐蔭(昭和23)〜定時制=現青陵を分離、◯桐蔭(昭和29)〜通信制=県通信制高(現陵雲)を分離、◯桐蔭(昭和39)〜
智弁和歌山智辯学園和歌山高等学校 (智辯学園)[学法]智辯学園 ◯智弁学園和歌山(昭和53)〜
___和歌山県立向陽高等学校[県]海草農林*(明治37)〜◯海草中(大正4)〜◯向陽(昭和23)〜
市 和 歌 山和歌山市立和歌山高等学校和歌山市商*(昭和6)〜和歌山[市]商*(昭和21)〜廃校(昭和22)// その後再興、市和歌山商 定時制(昭和26)〜◯市和歌山商(昭和32)〜普通科を設置して改称、市和歌山(平成21)〜
___和歌山県立海南高等学校
和歌山県立海南高等学校大成校舎
◯[県]海南中(大正11)〜◯海南(昭和23)〜◯[県]大成を統合、海南(平成20)〜
※大成の戦績(選抜出場2回/1勝2敗)を引き継ぐ
和 歌 山 工和歌山県立和歌山工業高等学校[県]和歌山工*<和歌山県立工業学校>(大正3)〜和歌山工*<和歌山県立和歌山工業学校>(昭和17)〜西浜工を統合、光風工(昭和23)〜◯和歌山工(昭和28)〜
和 歌 山 商和歌山県立和歌山商業高等学校[市]和歌山商*(明治37)〜県立移管、[県]和歌山商*<和歌山県立商業学校>(大正11)〜◯和歌山商*<和歌山県立和歌山商業学校>(昭和2)〜学制改革により廃校(昭和23)// その後再興、◯県和歌山商(昭和26)〜和歌山商(平成21)〜
___和歌山県立新宮高等学校[県]和歌山二中 新宮分校<和歌山県立第二中学校 新宮分校>(明治34)〜[県]新宮中(明治36)〜新宮工*・新宮高等女との3校統合、◯新宮(昭和23)〜商業科=新宮商(現新翔)を分離、◯新宮(昭和38)〜
___和歌山県立南部高等学校[県]和歌山農林*(明治37)〜海草農林*(大正3)〜和歌山農林*(大正4)〜日高農*(大正12)〜林業科を熊野農林*に移管(大正13)〜紀南農*(大正15)〜紀南高等女と統合、[県]南部(昭和23)〜日高 山路郷分校 定時制を本校の龍神分校へ移管、◯南部(昭和31)〜
岡 山 岡 山 東 商岡山県立岡山東商業高等学校[県]岡山商*<岡山県商業学校>(明治31)〜岡山商*<岡山県立商業学校>(明治34)〜岡山商*<岡山県岡山商業学校>(大正9)〜第一岡山商*に改称、第二岡山商*を併置(昭和3)〜岡山商と岡山産に改称(昭和23)〜両校を統合、◯岡山東(昭和24)〜◯岡山東商(昭和28)〜
岡山理大付岡山理科大学附属高等学校 (加計学園)[学法]加計学園 岡山電機工(昭和37)〜◯岡山理大付(昭和39)〜
__岡山県立倉敷工業高等学校[県]倉敷工*(昭和14)〜◯倉敷工(昭和23)〜
___西関西高等学校 (関西学園)[私]岡山薬#(明治20)〜[私]関西尋常中(明治27)〜県立移管による岡山二中開設の要請を拒否(大正8)〜◯関西(昭和23)〜[学法]関西学園 ◯関西(昭和26)〜
__岡山県立岡山南高等学校岡山市商*<岡山市立商業学校>(明治35)〜[市]岡山商*(大正8)〜岡山市商*(昭和21)〜岡山市商(昭和23)〜岡山市経済=旧岡山女子商を統合して県立移管、◯[県]岡山南(昭和24秋)〜
__岡山県立倉敷商業高等学校[私]倉敷商業補修(明治35)〜[町]倉敷商*(明治45)〜県立移管、[県]倉敷商*(昭和3)〜倉敷女子商*を統合(昭和22)〜倉敷商(昭和23.4)〜倉敷至誠(昭和23.9)〜日吉分校=[市]精思を分離、倉敷至誠(昭和26)〜◯倉敷商(昭和28)〜
玉 野 光 南岡山県立玉野光南高等学校◯[県]玉野光南(昭和59)〜
岡 山 城 東岡山県立岡山城東高等学校◯[県]岡山城東(昭和62)〜
__岡山県立玉島商業高等学校[町]玉島商*(大正15)〜玉島商*<岡山県玉島商業学校>(昭和4)〜玉島工*(昭和19)〜玉島商*(昭和21)〜県立移管、[県]玉島(昭和23)〜第一玉島=旧玉島高等女と統合、◯玉島(昭和24)〜商業科が玉島から分離独立、◯玉島商(昭和33)〜
岡 山 朝 日岡山県立岡山朝日高等学校普通学校(明治5)〜岡山県第一中学区一番小学(明治6)〜温知学校(明治7)〜岡山師範変則中(明治9)〜岡山中(明治12)〜岡山学校中学科(明治18)〜[県]岡山尋常中<岡山県尋常中学校>(明治19)〜岡山尋常中<岡山県岡山尋常中学校>(明治28)〜岡山中(明治32)〜◯岡山一中<岡山県第一岡山中学校>(大正10)〜岡山一(昭和23)〜岡山第二女子=旧第二岡山高等女を統合、岡山朝日(昭和24)〜
広 島 __広島県立広島商業高等学校[市]広島商*(明治32)〜県立移管、◯[県]広島商*(明治34)〜広島商(昭和23)〜中等学校再編により広島商は廃止、◯広島観音と広島基町の商業科に編入(昭和24)〜両校の商業科1年生を分離・再興、◯広島商<広島県広島商業高等学校>(昭和29)〜◯広島商<広島県立広島商業高等学校>(昭和43)〜
【注】広島観音の戦績(昭和27/選抜出場1回/0勝1敗)を引き継ぎ、現広島観音と共有
___広陵高等学校 (広陵学園)数理学会(明治29)〜究数学院(明治31)〜[私]広陵中学(明治34)〜[財]広陵中学校 ◯広陵中(大正10)〜広陵(昭和23)〜[学法]広陵学園 ◯広陵(昭和26)〜
___呉港高等学校 (呉武田学園)[私]大正学校(大正2)〜◯大正中(大正6)〜◯呉港中(昭和8)〜◯呉港(昭和23)〜[学法]呉武田学園 呉港(昭和45)〜
___崇徳高等学校 (崇徳学園)学仏場(明治8)〜進徳教校(明治10)〜仏教中(明治33)〜広島仏教中(明治34)〜西本願寺へ経営移管、第四仏教中(明治35)〜神戸の武庫中に併合、廃止(明治45)〜崇徳教社により再興、崇徳中(大正2)〜崇徳(昭和23)〜[学法]崇徳学園 ◯崇徳(昭和26)〜
__広島県立尾道商業高等学校[私]尾道商法講習所(明治20)〜公立尾道商*(明治21)〜尾道簡易商*(明治28)〜県立移管、[県]広島商*<広島県商業学校>(明治31)〜[県]尾道商*(明治34)〜尾道商(昭和23)〜尾道西(昭和24)〜商業科が尾道西から分離独立、◯尾道商<広島県尾道商業高等学校>(昭和28)〜◯尾道商<広島県立尾道商業高等学校>(昭和43)〜
__広島県立広島工業高等学校広島[県]職工(明治30)〜[県]広島工*<広島県立工業学校>(大正5)〜[県]広島工*(大正12)〜広島工(昭和23)〜有朋・県南・広島市工との4校統合、広島皆実(昭和24)〜工業科が広島皆実から分離独立、◯広島工<広島県広島工業高等学校>(昭和28)〜◯広島工<広島県立広島工業高等学校>(昭和43)〜
__広島県立高陽東高等学校◯[県]高陽東(昭和58)〜
__如水館高等学校 (山中学園)[私]三原工*(昭和15)〜三原工(昭和23)〜緑ヶ丘女子商=旧三原工女子商業科を統合、◯如水館(平成6)〜
__広島県瀬戸内高等学校 (瀬戸内学園)[私]松本学校(明治34)〜松本商業実務(大正3)〜松本商*(大正12)〜松本工*(昭和19)〜松本商*(昭和21)〜松本商(昭和23)〜[学法]松本学園(昭和26)〜[学法]瀬戸内学園 ◯瀬戸内(昭和47)〜
___山陽高等学校 (広島山陽学園)[私]広陵中(明治40)〜校主と校長が学校分割、校主が[財]石田学園を設立、広陵中を山陽中に改称、校長は広陵中=現広陵を設立(大正10)〜山陽商*開設(昭和8)〜旧山陽中・旧山陽商*を統合、山陽(昭和23)〜石田学園から分離、[学法]広島山陽学園 ◯山陽(昭和47)〜
鳥 取 __鳥取県立米子東高等学校[県]鳥取二中<鳥取県第二中学校>(明治32)〜鳥取二中<鳥取県立第二中学校>(明治34)〜◯米子中(明治42)〜米子一(昭和23)〜米子実・法勝寺実との3校統合、◯米子東(昭和24)〜長砂校舎=米子南および法勝寺校舎=法勝寺農(現米子)を分離、家庭学科は米子西へ移管、◯米子東(昭和28)〜通信制=米子白鳳を分離、米子東(平成17)〜
__西鳥取県立鳥取西高等学校第四大学区十五番変則中(明治7)〜島根[県]鳥取変則中(明治9)〜[県]鳥取中<鳥取県中学校>(明治14)〜[県]尋常中(明治19)〜鳥取一中(明治32)〜◯[県]鳥取中(明治42)〜◯鳥取一中<鳥取県立鳥取第一中学校>(大正11)〜鳥取一(昭和23)〜鳥取商・鳥取三=旧鳥取高等女との3校統合、◯鳥取西(昭和24)〜商業科=鳥取商を分離、◯鳥取西(昭和32)〜家庭学科を鳥取湖陵へ移管、鳥取西(平成13)〜定時制・通信制課程を鳥取緑風へ移管、◯鳥取西(平成16)〜
__倉吉北高等学校 (松柏学院)[学法]松柏学院 ◯倉吉北(昭和36)〜
___鳥取県立八頭高等学校鳥取女子師範併設[県]八頭高等女(大正15)〜[県]八頭(昭和23)〜智頭農林を統合、八頭(昭和24)〜農林科=智頭農林を分離、◯八頭(昭和28)〜生活デザイン科を智頭農林へ移管、◯八頭(平成14)〜
鳥取県立境高等学校[県]境中(昭和15)〜境一(昭和23)〜境二=旧境高等女・余子水産との3校統合、◯境(昭和24)〜水産科を境水産=現境港総合技術として分離、◯境(昭和28)〜家庭学科を境港総合技術へ移管、◯境(平成15)〜
__鳥取県立倉吉東高等学校[県]倉吉中(明治42)〜倉吉一(昭和23)〜倉吉二=現倉吉西・倉吉実との3校統合、倉吉(昭和24)〜東西分離、◯倉吉東(昭和28)〜
鳥 取 城 北鳥取城北高等学校 (矢谷学園)[学法]矢谷学園 ◯鳥取城北(昭和38)〜
米 子 松 蔭米子松蔭高等学校 (米子永島学園)米子高等経理学校(昭和30)〜米子商(昭和37)〜[学法]米子永島学園 ◯米子商(昭和51)〜米子松蔭(平成13)〜
__鳥取県立米子南高等学校[県]鳥取蚕*(昭和2)〜[県]米子商蚕(昭和4)〜米子農工(昭和19)〜米子農商(昭和21)〜米子実(昭和23)〜米子一・法勝寺実との3校統合、米子東(昭和24)〜米子東から分離独立、米子南(昭和28春)〜法勝寺農=現米子を分離、◯米子南(昭和28秋)〜米子南商(昭和45)〜野球部が廃部、米子南(平成13)〜
【注】米子東の戦績(昭和25/選手権出場1回/1勝1敗)を現米子南は共有しない
__鳥取県立鳥取商業高等学校[県]鳥取商*<鳥取県立商業学校>(明治43)〜[県]鳥取商*(昭和9)〜鳥取商(昭和23)〜鳥取一・鳥取三との3校統合、鳥取西(昭和24)〜商業科が鳥取西から分離独立、◯鳥取商(昭和32)〜
【注】鳥取西の戦績(昭和28/選手権出場1回/1勝1敗)を現鳥取商は共有しない
島 根 ___島根県立浜田高等学校浜田中(明治13)〜島根二中<島根県第二中学校>(明治17)〜廃校(明治19)// 再興、那賀郡町村組合石見学校(明治26)〜県立移管、[県]第二尋常中(明治28)〜島根二中<島根県第二中学校>(明治34)〜島根二中<島根県立第二中学校>(明治36)〜浜田中(明治42)〜浜田一(昭和23)〜浜田二=旧浜田高等女・[市]家政=旧実践高等女との3校統合、◯浜田(昭和24)〜
__島根県立松江商業高等学校[県]島根商*<島根県商業学校>(明治33)〜◯島根商*<島根県立商業学校>(明治34)〜◯[県]松江商*(昭和8)〜松江二工*(昭和19)〜工業科を松江一工*へ移管、松江商*(昭和21)〜松江商(昭和23)〜松江工と統合、松江産(昭和24)〜商工分離、◯松江商(昭和28)〜
___島根県立大社高等学校[県]簸川尋常中(明治31)〜島根三中<島根県立第三中学校>(明治33)〜◯杵築中(明治40)〜◯大社中(大正15)〜大社一(昭和23)〜大社二=旧大社高等女を統合、◯大社(昭和24)〜
石見智翠館石見智翠館高等学校 (江の川学園)川本女学館(明治40)〜川本家政(昭和23)〜江津女子(昭和36)〜◯江の川(昭和38)〜山口東京理科大と提携、石見智翠館(平成21)〜
___開星高等学校 (大多和学園)松江ミシン裁縫女学院(大正13)〜中略〜松江高等実践女(昭和20)〜松江家政(昭和23)〜[学法]松江家政学園(昭和26)〜[学法]大多和学園 ◯松江一(昭和52)〜◯開星(平成6)〜
__島根県立松江北高等学校教員伝習校内変則中学科(明治9)〜松江中(明治10)〜[県]島根一中<島根県第一中学校>(明治17)〜[県]尋常中(明治19)〜第一尋常中(明治26)〜島根一中<島根県第一中学校>(明治32)〜島根一中<島根県立第一中学校>(明治34)〜◯松江中(明治40)〜松江一(昭和23)〜松江二=旧松江高等女・松江市立=旧[市]高等女との3校統合、松江(昭和24)〜南北分離、◯松江北(昭和36)〜
立正大淞南立正大学淞南高等学校 (淞南学園)[学法]淞南学園 淞南(昭和36)〜日本大学準附属へ転換、松江日大(昭和45)〜日本大学との提携を解消、淞南学園(平成4)〜立正大学準附属へ転換、◯立正大淞南(平成13)〜
__島根県立浜田商業高等学校◯[県]浜田商(昭和40)〜
___島根県立益田高等学校[町]益田女子技芸(明治45)〜益田実科高等女(大正12)〜県立移管、[県]益田高等女(昭和9)〜益田(昭和23)〜益田農林を統合、益田(昭和25)〜益田産=現益田翔陽を分離、◯益田(昭和28)〜
__島根県立江津工業高等学校養蚕講習所(明治35)〜[郡]那賀農事講習所(大正元)〜[郡]那賀女子農#(大正10)〜[県]江津高等実業女(昭和4)〜江津工芸(昭和9)〜江津工*(昭和15)〜◯江津工(昭和23)〜
山 口 __下関商業高等学校
 ※[市] 全日制: 商業科/情報処理科
 ※[県] 定時制: 商業科
赤間関商業講習所(明治17)〜赤間関商*(明治18)〜[市]赤間関商*(明治34)〜◯[市]下関商*(明治35)〜◯下関商(昭和23)〜
___山口県立柳井高等学校[県]周東中(大正10)〜◯柳井中(大正12)〜柳井(昭和23)〜柳井女子=旧柳井高等女を統合、◯柳井(昭和24)〜
__山口県立宇部商業高等学校[市]宇部商業実践(昭和2)〜[県]宇部商*(昭和16)〜宇部工*(昭和20)〜宇部商*(昭和21)〜宇部商(昭和23)〜宇部農を統合、宇部農商(昭和24)〜農業科=宇部農芸=現宇部西を分離、◯宇部商(昭和28)〜
防 府 商 工山口県立防府商工高等学校◯防府商*(昭和4)〜県立移管、[県]防府商*(昭和17)〜防府工*(昭和19)〜防府商*(昭和21)〜防府工と統合、防府商工(昭和23)〜防府と統合、防府南(昭和24)〜防府北と統合、防府(昭和25)〜商業科が防府から分離独立、◯防府商(昭和28)〜機械科を新設、防府商工(平成24新校開設、26旧校廃止)〜
___早鞆高等学校 (早鞆学園)下関阿部裁縫女(明治45)〜下関阿部高等技芸女(大正13)〜早鞆高等女(昭和21)〜早鞆(昭和23)〜[学法]早鞆学園 ◯早鞆(昭和26)〜
__山口県立南陽工業高等学校◯[県]南陽工(昭和37)〜
___山口県立岩国高等学校岩国中(明治13)〜[県]尋常中 岩国分校(明治30)〜[県]岩国中(明治33)〜岩国(昭和23)〜岩国一女=旧岩国高等女を統合、岩国西(昭和24)〜岩国東の普通科を統合、◯岩国(昭和25)〜
西___山口県立西京高等学校◯[県]西京(昭和61)〜
__山口県立岩国商業高等学校補修(大正7)〜[町]岩国商工*(昭和10)〜[市]岩国商*(昭和16)〜[県]岩国工*(昭和19)〜[県]岩国商*(昭和21)〜岩国商(昭和23)〜岩国二女と統合、岩国東(昭和24)〜岩国工と統合、岩国商工(昭和25)〜商工分離、◯岩国商(昭和28)〜
柳 井 商 工山口県立柳井商工高等学校[町]柳井商*(大正9)〜県立移管、[県]柳井商*(昭和16)〜柳井商工*(昭和19)〜◯柳井商工(昭和23)〜商工分離、◯柳井商(昭和47)〜柳井工と再統合、柳井商工(平成20)〜
香 川 __香川県立高松商業高等学校[市]高松商*(明治33)〜[県]香川商*<香川県立商業学校>と統合、◯[県]香川商*<香川県立香川商業学校>(明治45)〜◯高松商*(大正11)〜◯高松商(昭和23)〜
観音寺中央香川県立観音寺中央高等学校観音寺商*(大正12)〜[県]観音寺商(昭和23)〜◯観音寺中央(平成6)〜三豊工と統合、観音寺総合(平成29予定)〜
__香川県立坂出商業高等学校[郡]綾歌商*(大正3)〜県立移管、◯[県]坂出商*(大正11)〜坂出造船工*(昭和19)〜坂出商*(昭和21)〜坂出(昭和23)〜商業科が坂出工と統合再編、坂出商工(昭和24)〜商工分離、◯坂出商(昭和28)〜
尽 誠 学 園尽誠学園高等学校 (尽誠学園)忠誠塾(明治17)〜京都移転、尽誠舎(明治20)〜閉舎(明治25)〜那珂郡四条村に再興、尽誠舎(明治27)〜[私]尽誠中(明治43)〜尽誠中(大正9)〜尽誠学園(昭和23)〜[学法]尽誠学園 ◯尽誠学園(昭和26)〜
__高松第一高等学校[市]高松一中(昭和3)〜高松一中<香川県高松第一中学校>(昭和4)〜[市]高松一(昭和23)〜高松二=旧[市]高松高等女を統合、◯高松一(昭和24)〜
丸 亀 城 西香川県立丸亀城西高等学校[市]丸亀商*(大正7)〜◯丸亀商*<香川県丸亀商業学校>(昭和6)〜県立移管、[県]丸亀商*(昭和19)〜丸亀商工*(昭和21)〜丸亀商工(昭和23)〜工業系学科を多度津に移管、丸亀二(昭和24)〜◯丸亀商(昭和28)〜◯丸亀城西(平成5)〜
___香川県立高松高等学校[県]尋常中<香川県尋常中学校>(明治26)〜[県]高松尋常中(明治31)〜◯高松中(明治32)〜高松(昭和23)〜高松女子=旧香川高等女を統合、◯高松(昭和24)〜
___香川県立志度高等学校◯[県]志度商*(大正13)〜[県]志度拓殖(昭和19)〜◯志度商*(昭和21)〜志度商(昭和23)〜水産科を併設、志度(昭和25)〜水産科を廃止、◯志度商(昭和28)〜工業科を併設、志度(平成4)〜
___香川県立丸亀高等学校[県]尋常中 丸亀分校(明治26)〜[県]丸亀尋常中(明治31)〜丸亀中(明治32)〜◯丸亀(昭和23)〜
四国学院大
香川西
四国学院大学香川西高等学校
(瀬戸内学院)
上戸洋裁研究所(昭和21)〜三豊家政専門学校(昭和26)〜[学法]上戸学園(昭和34)〜上戸学園(昭和35)〜◯香川西(昭和62)〜[学法]瀬戸内学園(平成19)〜四国学院大香川西(平成28)〜
徳 島 ___徳島県立池田高等学校[県]池田中(大正11)〜◯池田(昭和23)〜
___徳島県立鳴門高等学校◯[県]撫養中(明治41)〜◯鳴門(昭和23)〜
__徳島県立徳島商業高等学校◯[県]徳島商*(明治41)〜小松島実*商業科を統合(昭和19)〜[市]徳島女子商を統合、◯徳島商(昭和23)〜◯城東(昭和24)〜商業科の再編、城北(昭和25)〜城北から分離独立、◯徳島商(昭和27)〜
【注】城東の戦績(昭和24/選手権出場1回/0勝1敗)を引き継ぐ
___徳島県立海部高等学校海部郡川東村ほか三村学校[組合]海部実業女(大正12)〜海部郡川東村ほか五ヶ町村学校[組合]海部高等実業女(大正15)〜[県]海部高等女(昭和3)〜海部二(昭和23.4)〜海南(昭和23.6)〜川東(昭和24.4)〜◯海南(昭和24.7)〜日和佐・宍喰商を統合、海部(平成16)〜
鳴 門 渦 潮徳島県立鳴門渦潮高等学校板野[郡]実科高等女(大正2)〜[県]撫養高等女(大正10)、板野[郡]撫養商業補習(大正12)〜撫養商業実務(昭和8)〜撫養商*(昭和10)〜[県]撫養商*(昭和21)〜鳴門商(昭和23)〜撫養=旧撫養高等女と統合、◯[県]撫養(昭和24)〜◯[県]鳴門商(昭和46)〜◯[県]鳴門一(平成5)〜廃校(平成24)//
◯[市]鳴門工(昭和38)〜廃校(平成24)//
鳴門工を県立移管して鳴門一と統合、[県]鳴門渦潮(平成24)〜
※鳴門渦潮は鳴門一と鳴門工の両校の甲子園出場・戦績を引き継ぐ。
___徳島県立新野高等学校[県]新野中(昭和18)〜◯新野(昭和23)〜
__徳島県立小松島高等学校[県]小松島高等女(昭和6)〜小松島農#(昭和19)〜◯小松島(昭和23)〜
小 松 島 西徳島県立小松島西高等学校[県]徳島中央(昭和26)〜◯小松島西(昭和31)〜
___徳島県立城南高等学校名東[県]師範附属変則中(明治8)〜高知[県]師範分校附属変則中(明治9)〜徳島師範附属変則中(明治10)〜徳島中(明治11)〜[県]徳島尋常中<徳島県尋常中学校>(明治26)〜徳島中<徳島県徳島中学校>(明治32)〜徳島中<徳島県立徳島中学校>(明治34)〜徳島一(昭和23)〜徳島女子と生徒を入れ替えるなど新制高校を再編、城南<徳島県城南高等学校>(昭和24)〜◯城南<徳島県立城南高等学校>(昭和31)〜
__徳島県立徳島北高等学校◯[県]徳島北(平成8)〜
愛 媛 __愛媛県立松山商業高等学校[県]愛媛商*<愛媛県立商業学校>(明治34)〜◯松山商*(明治39)〜松山商(昭和23)〜松山一と統合、◯松山東(昭和24)〜商業科が松山東から分離独立、◯松山商(昭和27)〜
【注】松山東の戦績(昭和25/選手権出場1回/4勝0敗)を引き継ぎ、現松山東と共有
___済美高等学校 (済美学園)松山裁縫傳習所(明治34)〜中略〜勝山高等女と愛媛実科女が統合、済美高等女および済美女(明治44)〜済美女が廃止(大正14)〜済美(昭和23)〜[学法]済美女学会 済美(昭和26)〜[学法]済美学園 済美(昭和34)〜男女共学化、◯済美(平成14)〜
西___愛媛県立西条高等学校[県]愛媛尋常中 東予分校(明治29)〜西条中(明治32)〜西条一(昭和23)〜西条二=旧西条高等女を統合、西条北(昭和24)〜西条南の普通科を編入、◯西条(昭和30)〜
__愛媛県立松山東高等学校松山県学校(明治5)〜英学舎(明治6)〜愛媛県に移管、英学所(明治8)〜[県]変則中(明治9)〜[県]北予変則中(明治10)〜松山中(明治11)〜愛媛一中<愛媛県第一中学校>(明治17)〜廃校(明治20)// 再興、[私]伊予尋常中(明治21)〜県立移管、[県]愛媛尋常中(明治25)〜松山中<愛媛県松山中学校>(明治32)〜◯松山中<愛媛県立松山中学校>(明治34)〜松山一(昭和23)〜松山商と統合、◯松山東(昭和24)〜商業科=松山商を分離、◯松山東(昭和27)〜
【注】松山東の戦績(昭和25/選手権出場1回/4勝0敗)を引き継ぎ、現松山商と共有
宇 和 島 東愛媛県立宇和島東高等学校愛媛尋常中 南予分校(明治31)〜宇和島中(明治34)〜[県]宇和島一(昭和23)〜宇和島商を統合、◯宇和島東(昭和24)〜
新 居 浜 商愛媛県立新居浜商業高等学校◯[市]新居浜商(昭和35)〜県立移管、[県]新居浜商(平成2)〜
___新田高等学校 (新田学園)[財]新興育英会 新田中(昭和13)〜>[財]新田学園 新田(昭和23)〜[学法]新田学園 ◯新田(昭和26)〜
__西愛媛県立今治西高等学校西条中 今治分校(明治34)〜◯[県]今治中(明治38)〜今治一(昭和23)〜再編、◯今治西(昭和24)〜
__愛媛県立川之江高等学校[組合]三島女(明治41)〜[組合]宇摩実科高等女(大正元)〜[郡]宇摩高等女(大正10)〜県立移管、[県]宇摩高等女(大正11)〜川之江高等女(昭和10)〜◯川之江(昭和23)〜
__愛媛県立南宇和高等学校[郡]南宇和水産農*(明治40)〜[郡]南宇和実*(大正10)〜[県]南宇和実*(大正11)〜南宇和農*(昭和2)〜◯南宇和(昭和23)〜
高 知 ___高知高等学校 (高知学園)江陽学舎(明治32)〜城東商*(大正8)〜城東(昭和23)〜[学法]城東学園 ◯城東(昭和27)〜[学法]高知学園 ◯高知(昭和31)〜
__高知市立高知商業高等学校[市]簡易商*(明治31)〜[市]高知商*(明治32)〜◯高知商(昭和23)〜
明 徳 義 塾明徳義塾高等学校 (明徳義塾)[学法]明徳中・高等学校 ◯明徳(昭和51)〜[学法]明徳義塾 ◯明徳義塾(昭和59)〜
__高知県立伊野商業高等学校◯[県]伊野商(昭和38)〜
___土佐高等学校 (土佐高等学校)川崎、宇田[財] 土佐中(大正9)〜土佐(昭和23)〜[学法]川崎、宇田土佐高等学校土佐中学校 ◯土佐(昭和26)〜[学法]土佐高等学校 ◯土佐(昭和47)〜
___高知県立中村高等学校[県]高知二中分校(明治33)〜高知四中<高知県立第四中学校>(明治36)〜高知三中<高知県立第三中学校>(明治45)〜中村中(大正11)〜中村(昭和23)〜中村女子=旧中村高等女を統合、◯中村(昭和24)〜
高知追手前高知県立高知追手前高等学校陶冶学舎付属変則中(明治7)〜高知師範付属変則中(明治9)〜高知中(明治11)〜[県]高知尋常中<高知県尋常中学校>(明治19)〜高知一中<高知県第一中学校>(明治32)〜高知一中<高知県立第一中学校>(明治34)〜◯高知城東中(大正11)〜高知新制(昭和23)〜公立高校再編、高知追手前<高知県立追手前高等学校>(昭和24)〜高知追手前<高知県立高知追手前高等学校>(昭和25)〜定時制課程が統合し高知北として分離、高知追手前(昭和47)〜
___高知県立室戸高等学校室戸高等女(昭和21)〜県立移管、[県]室戸高等女(昭和22)〜高知室戸(昭和23)〜◯室戸(昭和24)〜
___高知県立安芸高等学校[県]高知一中分校(明治33)〜高知三中<高知県立第三中学校>(明治36)〜高知二中<高知県立第二中学校>(明治45)〜安芸中(大正11)〜安芸(昭和23)〜安芸女子=旧安芸高等女を統合、◯安芸(昭和24)〜
宿___高知県立宿毛高等学校[県]宿毛中(昭和19)〜宿毛(昭和23)〜宿毛女子を統合、◯宿毛(昭和24)〜
福 岡 ___福岡県立小倉高等学校[県]豊津中(明治12)〜小倉中(明治15)〜廃校(明治20)// 再興、◯[県]小倉中(明治41)〜◯小倉(昭和23)〜◯小倉北(昭和24)〜小倉商を統合、◯小倉(昭和25)〜小倉商を分離、◯小倉(昭和35)〜
西日本短大付西日本短期大学附属高等学校
(西日本短期大学)
[学法]西日本短期大学 ◯西日本短大付(昭和37)〜
__福岡県立三池工業高等学校[私]三井工*(明治41)〜三池工(昭和23)〜県営移管、[県]三池南(昭和25)〜◯三池工(昭和28)〜
久 留 米 商久留米市立久留米商業高等学校◯久留米商*(明治29)〜◯[市]久留米商(昭和23)〜
__福岡第一高等学校 (都築学園)[学法]都築学園 ◯福岡一(昭和31)〜
九州国際大付九州国際大学付属高等学校
(九州国際大学)
◯八幡大付(昭和33)〜[学法]九州国際大学 九州国際大付(平成元)〜
__福岡県立小倉工業高等学校福岡工*小倉分校(明治32)〜◯[県]小倉工*(明治35)〜◯小倉工(昭和23)〜
___柳川高等学校 (柳商学園)柳河商*(昭和16)〜柳河工*(昭和19)〜柳河商*(昭和21)〜柳河商(昭和23)〜◯柳川商(昭和26)〜[学法]柳商学園 ◯柳川(昭和55)〜
__福岡県立福岡工業高等学校◯[県]福岡工*<福岡県福岡工業学校>(明治29)〜福岡工*<福岡県立福岡工業学校>(明治34)〜筑紫工を統合、福岡工(昭和23)〜福陵(昭和24)〜◯福岡工(昭和28)〜
福岡大大濠福岡大学附属大濠高等学校 (福岡大学)福岡商大大濠(昭和26)〜[学法]福岡大学 ◯福岡大大濠(昭和31)〜
福岡工大城東福岡工業大学附属城東高等学校
(福岡工業大学)
福岡電波(昭和33)〜倒産(昭和42)、[学法]福岡工業大学 ◯福岡工大付(昭和49)〜◯福岡工大城東(平成14)〜
__福岡市立博多工業高等学校[市]福岡一工*・福岡二工*(昭和15)〜両校を統合、◯博多工(昭和23)〜
__東福岡高等学校 (東福岡学園)福岡米語義塾(昭和20)〜九州貿易専門(昭和24)〜[学法]東福岡学園(昭和29)〜◯東福岡(昭和30)〜
___福岡県立東筑高等学校東筑尋常中(明治31)〜[県]東筑中(明治32)〜[県]東筑(昭和23)〜[県]折尾と[市]八幡商を統合、◯東筑(昭和24)〜折尾を分離、◯東筑(昭和31)〜
___福岡県立戸畑高等学校[県]戸畑中(昭和11)〜[県]戸畑(昭和23)〜[市]戸畑女子=旧戸畑高等女を統合、◯戸畑(昭和24)〜
__福岡県立小倉東高等学校◯[県]小倉東(昭和53)〜
豊 国 学 園豊国学園高等学校 (豊国学園)◯豊国中(明治45)〜豊国学園(昭和23)〜[学法]豊国学園(昭和26)〜小倉分校(小倉豊国)を設置(昭和28)〜門司工(昭和39)〜小倉中央(旧小倉豊国)を統合、門司工(昭和41)〜豊国学園(昭和56)〜
__飯塚商業高等学校飯塚商業専修(大正15)〜◯飯塚商(昭和23)〜廃校(昭和58)//
東筑紫学園東筑紫学園高等学校 (東筑紫学園)筑紫洋裁女学院(昭和11)〜東筑紫(昭和23)〜[学法]東筑紫学園 東筑紫(昭和26)〜◯東筑紫学園(平成4)〜
九産大九州九州産業大学附属九州高等学校
(九州中村高等学園)
[学法]九州中村高等学園 ◯九産大九州<九州産業大学附属九州高等学校>(昭和38)〜
佐 賀 __佐賀県立佐賀商業高等学校[市]佐賀商*(明治40)〜◯[県]佐賀商*(大正10)〜栄城工*(昭和19)〜佐賀商*(昭和21)〜◯佐賀商(昭和23)〜
__佐賀県立佐賀北高等学校[県]佐賀(昭和23)〜佐賀が東・西・北3校に分離、◯佐賀北(昭和38)〜
【注】佐賀の戦績(昭和33/選手権出場1回/0勝1敗)を現佐賀北は共有しない
佐 賀 学 園佐賀学園高等学校 (佐賀学園)佐賀実(昭和33)〜◯佐賀学園(昭和48)〜
鹿___佐賀県立鹿島高等学校長崎[県]鹿島中(明治11)〜佐賀県に移管、[県]佐賀尋常中 鹿島分校(明治29)〜[県]第二尋常中(明治31)〜佐賀二中<佐賀県立第二中学校>(明治32)〜鹿島中(明治34)〜鹿島高等女・鹿島農商*との3校統合、◯鹿島<鹿島高等学校第一部=旧鹿島中が甲子園出場>(昭和23)〜三部制を廃止、鹿島(昭和24)〜農業科・商業科・家庭課程と塩田分校を鹿島実として分離、鹿島(昭和30)〜嬉野分校=現嬉野を分離、◯鹿島(昭和31)〜鹿島実と統合、校名未定(平成30予定)〜
__佐賀県立唐津商業高等学校[私]唐津商業補習(大正6)〜[町]唐津商業補習(大正7)〜[町]唐津商*(大正10)〜[県]唐津商*(昭和4)〜唐津工*(昭和19)〜唐津商工*(昭和21)〜◯[県]唐津実(昭和23)〜商・工・農3校に分離、◯唐津商(昭和37)〜
【注】唐津実の戦績(昭和36/選抜出場1回/0勝1敗)を引き継ぐ。唐津工と唐津農(現唐津南)は共有しない。
___龍谷高等学校 (佐賀龍谷学園)振風教校(明治11)〜西肥仏教中(明治33)〜第五仏教中(明治35)〜龍谷中(明治41)〜龍谷(昭和23)〜[学法]佐賀龍谷学園 ◯龍谷(昭和26)〜
__佐賀県立佐賀工業高等学校[県]佐賀工*<佐賀県立工業学校>(明治31)〜[県]佐賀工*(明治35)〜佐賀商船工*(明治39)〜佐賀商船工から分離独立、佐賀工*(明治43)〜◯佐賀工(昭和23)〜
__佐賀県立鳥栖商業高等学校4か町村[組合]高等女(昭和2)〜県立移管、[県]鳥栖高等女(昭和4)〜[県]鳥栖(昭和23)〜商業科が鳥栖から分離独立、◯鳥栖商(昭和46)〜
__西佐賀県立佐賀西高等学校佐賀変則中(明治9)〜◯[県]佐賀中(明治16)〜[県]佐賀一(昭和23)〜佐賀二=旧佐賀高等女と[市]成美=旧成美高等女を統合、◯佐賀(昭和24)〜東・西・北3校に分離、佐賀西(昭和38)〜
【注】佐賀の戦績(昭和33/選手権出場1回/0勝1敗)を引き継ぐ
___佐賀県立鳥栖高等学校4か町村[組合]高等女(昭和2)〜県立移管、[県]鳥栖高等女(昭和4)〜鳥栖(昭和23)〜商業科=鳥栖商を分離、◯鳥栖(昭和46)〜
長 崎 ___長崎県立清峰高等学校[県]北松南(昭和27)〜◯清峰(平成15)〜
長 崎 日 大長崎日本大学高等学校
(長崎日本大学学園)
長崎日大(昭和42)〜[学法]長崎日本大学学園 ◯長崎日大(平成3)〜
___海星高等学校 (海星学園)[私]海星学校(明治25)〜海星商*(明治36)〜海星中(明治44)〜海星(昭和23)〜[学法]海星学園 ◯海星(昭和26)〜
__長崎市立長崎商業高等学校第六大学区第一番中学(明治5)〜広運学校(明治6)〜長崎外国語学校(明治7)〜[県]長崎中(明治11)〜長崎外国語学校(明治15)〜[区]長崎商*(明治18)〜[県]長崎商*(明治19)〜長崎市へ移管、[市]長崎商*(明治34)〜長崎商*(大正8)〜◯[市]長崎商*<長崎市立商業学校>(大正14)〜◯[市]長崎商(昭和23)〜
佐 世 保 工長崎県立佐世保工業高等学校[県]佐世保工*(昭和12)〜◯佐世保工(昭和26)〜
佐 世 保 実佐世保実業高等学校 (佐世保実業学園)[学法]佐世保実業学園 ◯佐世保実(昭和41)〜
__長崎県立波佐見高等学校◯[県]波佐見(昭和52)〜
長 崎 南 山長崎南山高等学校 (長崎南山学園)東陵学園(昭和15)〜[学法]長崎南山学園 ◯長崎南山(昭和27)〜
長崎北陽台長崎県立長崎北陽台高等学校◯[県]長崎北陽台(昭和54)〜
__西長崎県立長崎西高等学校◯[県]長崎中(明治17)〜長崎(昭和23春)〜[県]瓊浦=旧瓊浦中・[県]長崎女子=旧長崎高等女・[市]長崎女子=旧[市]高等女との4校統廃合、長崎西と長崎東に再編、◯長崎西(昭和23秋)〜
【注】長崎中の戦績(選手権出場1回/0勝2敗)を引き継ぎ、現長崎東と共有
熊 本 __熊本県立済々黌高等学校同心学舎(明治12)〜濟濟黌(明治15)〜中略〜[県]熊本尋常中(明治27)〜中学済々黌(明治32)〜城南分校を[県]熊本一中に改称/分離〜本校二分、第一済々黌・第二済々黌(明治33)〜第二済々黌を[県]熊本中に改称/分離、◯[県]中学済々黌(明治34)〜◯済々黌(昭和23)〜
__熊本県立熊本工業高等学校[県]熊本工*<熊本県工業学校>(明治31)〜◯熊本工*<熊本県立工業学校>(明治34)〜◯熊本工<熊本県立工業高等学校>(昭和23)〜◯熊本工<熊本県立熊本工業高等学校>(昭和26)〜
九 州 学 院九州学院高等学校 (九州学院)[私]九州学院(明治11)〜九州中(昭和18)〜九州学院中(昭和21)〜九州学院(昭和23)〜[学法]九州学院 ◯九州学院(昭和26)〜
___西鎮西高等学校 (鎮西学園)浄土宗学鎮西支校(明治21)〜鎮西中(明治38)〜鎮西(昭和23)〜[学法]鎮西学園 ◯鎮西(昭和26)〜
__熊本県立熊本商業高等学校熊本簡易商*(明治28)〜熊本商*(明治29)〜[市]熊本商*<熊本市立商業学校>(明治34)〜県立移管、◯[県]熊本商*<熊本県立商業学校>(明治36)〜熊本二商*を統合(昭和6)〜熊本工商学校(昭和19)〜◯熊本商*<熊本県立商業学校>(昭和21)〜◯熊本商<熊本県立商業高等学校>(昭和23)〜熊本商<熊本県立熊本商業高等学校>(昭和42)〜
___城北高等学校 (松浦学園)松浦洋裁教習所(昭和25)〜松浦洋裁学院(昭和27)〜城北高等家政学校(昭和36)〜城北高等実業学校(昭和41)〜[学法]松浦学園 ◯城北(昭和43)〜
___文徳高等学校 (文徳学園)君が淵電波塾(昭和24)〜君が淵電波専門(昭和27)〜君が淵電波工(昭和36)〜君が淵工(昭和40)〜◯熊本工大高(昭和42)〜[学法]文徳学園 熊本工大高(昭和54)〜◯文徳(平成8)〜
___熊本県立熊本高等学校第二済々黌(明治33)〜第二済々黌が改称/分離、[県]熊本中(明治34)〜◯熊本(昭和23)〜
__秀岳館高等学校 (八商学園)八代[町]代陽実業補習(大正12)〜八代商業専修学校(昭和26)〜八代商業学校(昭和27)〜[学法]八商学園(昭和29)〜[私]八代商(昭和31)〜八代一(昭和38)〜◯秀岳館(平成13)〜
__西熊本県立熊本西高等学校◯[県]熊本西(昭和48)〜
大 分 __大分県立津久見高等学校[町]津久見工*(昭和14)〜県立移管、[県]津久見工(昭和19)〜◯津久見(昭和23)〜
__大分県立大分商業高等学校◯[市]大分商*(大正6)〜県立移管、◯[県]大分商*(昭和7)〜大分工と統合、◯大分二(昭和23)〜旧大分工=大分春日を分離、大分城崎(昭和26)〜◯大分商(昭和28)〜
【注】大分二の戦績(選手権出場1回/0勝1敗)を引き継ぎ、現大分工と共有
__柳ヶ浦高等学校 (吉用学園)柳ヶ浦裁縫女(明治43)〜柳ヶ浦女子高等技芸(大正13)〜柳ヶ浦高等女(昭和16)〜柳ヶ浦女子(昭和23)〜[学法]吉用学園(昭和26)〜◯柳ヶ浦(昭和41)〜
___明豊高等学校 (別府大学)豊州女(明治41)〜豊州高等女(昭和14)〜大分女子(昭和23)〜共学化、自由ヶ丘(昭和25)〜[学法]明星学園 自由ヶ丘(昭和26)〜別府大付(昭和33)〜[学法]別府大学と[学法]明星学園が合併(平成10)〜[学法]別府大学 ◯明豊(平成13)〜
日 田 林 工大分県立日田林工高等学校[県]日田農林(明治34)〜日田山林学校(大正14)〜日田林工学校(昭和5)〜日田二(昭和23)〜日田月隈(昭和26)〜◯日田林工(昭和28)〜
佐 伯 鶴 城大分県立佐伯鶴城高等学校南海部[郡]佐伯中(明治44)〜[県]佐伯中(大正5)〜佐伯高等女を統合、佐伯一(昭和23)〜◯佐伯鶴城(昭和26)〜
__楊志館高等学校 (後藤学園)後藤簿記・珠算塾(昭和22)〜大分高等経理学校(昭和23)〜[学法]大分桜丘高等学校(昭和28)〜[学法]後藤学園 大分実(昭和30)〜大分桜丘(昭和53)〜◯楊志館(平成8)〜
__大分県立鶴崎工業高等学校[私]工業徒弟養成所(明治39)〜大分[郡]工業徒弟養成所(大正4)〜[県]大分工*鶴崎分校(大正12)〜鶴崎工*(昭和6)〜[県]鶴崎(昭和23)〜東豊(昭和25)〜鶴崎(昭和28)〜工業科が鶴崎から分離独立、◯鶴崎工(昭和36)〜
別府鶴見丘大分県立別府鶴見丘高等学校[私]別府女(明治43)〜[町]別府女子実業補修(明治44)〜中略〜[市]別府高等女(大正13)〜[県]別府高等女(昭和5)、[市]別府中(昭和8)〜[県]別府中(昭和18)〜別府高等女を統合、◯別府一(昭和23)〜◯別府鶴見丘(昭和26)〜
__大分県立中津工業高等学校[県]中津工*(昭和19)〜中津二(昭和23)〜中津東(昭和26)〜◯中津工(昭和38)〜中津商と統合、中津東(平成23)〜
宮 崎 延 岡 学 園延岡学園高等学校 (延岡学園)延岡高等計理学校(昭和26)〜延岡学園高等経理学校(昭和30)〜可愛ヶ丘(昭和40)〜◯延岡学園(昭和41)〜
日 南 学 園日南学園高等学校 (日南学園)日南経済専門学院(昭和26)〜日南経済専門学校(昭和28)〜日南高等商業学校(昭和34)〜[学法]日南学園 日南商(昭和41)〜◯日南学園(昭和57)〜
___都城高等学校 (久保学園)都城高等電波学校(昭和35)〜[学法]久保学園 都城高等電子工業学校(昭和38)〜都城電子工(昭和39)〜◯都城(昭和42)〜
___宮崎県立高鍋高等学校高鍋中(大正12)〜県立移管、[県]高鍋中(昭和18)〜高鍋高等女・高鍋農*との3校統廃合、◯高鍋(昭和23)〜
__宮崎県立宮崎商業高等学校[町]宮崎商*(大正8)〜県立移管、[県]宮崎商*(昭和19)〜宮崎中・宮崎一高等女との3校統廃合、宮崎大宮(昭和23)〜商業科が宮崎大宮から分離独立、◯宮崎商(昭和32)〜
__宮崎県立延岡工業高等学校[県]延岡工*(昭和19)〜向洋(昭和25)〜◯延岡工(昭和40)〜
__宮崎県立都城商業高等学校実業補習(明治31)〜[町]都城商業補習(明治34)〜都城商*(明治37)〜北諸県[郡]都城商*(明治41)〜県立移管、[県]都城商*(大正10)〜都城中・都城農#・都城高等女との4校統合、都城泉ヶ丘(昭和23)〜商業科が都城泉ヶ丘から分離、◯都城商(昭和32)〜
___宮崎県立日南高等学校[県]飫肥中(大正10)〜旧飫肥高等女を統合、飫肥(昭和23)〜[県]吾田を統合(昭和24)〜農業科=日南農林を分離、◯日南(昭和25)〜
__西小林西高等学校 (高千穂学園)小林高等経理学校(昭和28)〜小林高等商業学校(昭和34)〜[学法]高千穂学園 ◯小林西(昭和41)〜
__宮崎県立宮崎工業高等学校宮崎[郡]職業(明治38)〜[県]宮崎工*(昭和3)〜宮崎二高等女を統合、◯宮崎大淀(昭和23)〜農業系学科=宮崎農が分離、◯宮崎大淀(昭和34)〜普通科=宮崎南が分離(昭和37)〜◯宮崎工(昭和40)〜
鹿児島 鹿 児 島 実鹿児島実業高等学校 (川島学園)[私]鹿児島実業中学館(大正5)〜鹿児島実*(大正6)〜鹿児島実(昭和23)〜[学法]川島学園 ◯鹿児島実(昭和26)〜
___樟南高等学校 (時任学園)博約義塾(明治16)〜博約鉄道(大正5)〜鹿児島鉄道(大正14)〜[学法]時任学園 鹿児島鉄道高(昭和25)〜◯鹿児島商工(昭和35)〜◯樟南(平成6)〜
神 村 学 園神村学園高等部 (神村学園)串木野経理専門学校(昭和31)〜[学法]神村学園(昭和39)〜串木野商業女子(昭和40)〜串木野女子(昭和42)〜◯神村学園高等部(平成2)〜
鹿 児 島 商鹿児島市立鹿児島商業高等学校鹿児島簡易商*(明治27)〜[市]鹿児島商*<鹿児島市立商業学校>(明治37)〜◯鹿児島商*<鹿児島市立鹿児島商業学校>(大正9)〜鹿児島市工(昭和19)〜◯鹿児島商*(昭和21)〜鹿児島市高等学校第三部(昭和23)〜◯[県]鹿児島商<鹿児島県鹿児島商業高等学校>(昭和25)〜女子商業科・家庭科=鹿児島女子を分離、鹿児島商(昭和31)〜◯[市]鹿児島商(昭和32)〜
鹿 児 島 工鹿児島県立鹿児島工業高等学校鹿児島[郡]工業徒弟学校(明治41)〜県立移管、[県]鹿児島工*<鹿児島県立工業学校>(大正8)〜[県]鹿児島工*(昭和2)〜鹿児島高等学校第一部(昭和23)〜◯鹿児島工(昭和24)〜
鹿児島玉龍鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校[市]鹿児島中(昭和15)〜[市]鹿児島中を鹿児島市高等学校第一部に改称〜[市]鹿児島高等女・鹿児島商*・[私]鹿児島中を3校統合、鹿児島市高等学校第三部(昭和21)〜第一部と第三部を統合、鹿児島玉龍<鹿児島県玉龍高等学校>(昭和25)〜◯[市]鹿児島玉龍(昭和32)〜
鹿 屋 中 央鹿屋中央高等学校 (前田学園)[学法]前田学園 鹿屋商(昭和43)〜◯鹿屋中央(昭和58)〜
__出水市立出水商業高等学校米ノ津高等専修学院(昭和23)〜◯[市]出水商(昭和29)〜
__尚志館高等学校 (川島学園)[学法]川島学園 志布志実(昭和46)〜◯尚志館(平成9)〜
鹿__鹿児島高等学校 (津曲学園)鹿児島高等女(大正12)〜鹿児島中(昭和4)〜鹿児島高等女を統合、津曲学園(昭和23)〜鹿児島(昭和25)〜[学法]津曲学園 ◯鹿児島(昭和26)〜
沖 縄 ___興南高等学校 (興南学園)興南(昭和37)〜[学法]興南学園 ◯興南(昭和42)〜
沖 縄 尚 学沖縄尚学高等学校 (尚学学園)◯沖縄(昭和32)〜沖縄尚学(昭和58)〜[学法]尚学学園 ◯沖縄尚学(平成3)〜
沖 縄 水 産沖縄県立沖縄水産高等学校糸満[村]水産補修(明治37)〜県立移管、[県]沖縄水産<沖縄県立水産学校>(明治43)〜沖縄開洋(昭和21)〜琉球政府立沖縄水産(昭和30)〜本土復帰・県立移管、◯[県]沖縄水産(昭和47)〜
__沖縄県立浦添商業高等学校琉球政府立浦添商(昭和47)〜本土復帰・県立移管、◯[県]浦添商(昭和48)〜
__沖縄県立豊見城高等学校琉球政府立豊見城(昭和40)〜本土復帰・県立移管、◯[県]豊見城(昭和47)〜
__沖縄県立宜野座高等学校宜野座(昭和21)〜琉球政府立宜野座(昭和35)〜本土復帰・県立移管、◯[県]宜野座(昭和47)〜
八重山商工沖縄県立八重山商工高等学校琉球政府立八重山商工(昭和42)〜本土復帰・県立移管、◯[県]八重山商工(昭和47)〜
___沖縄県立首里高等学校首里中(明治13)〜沖縄尋常中(明治20)〜[県]沖縄中(明治32)〜沖縄一中(明治44)〜糸満 首里分校〜◯首里(昭和21)〜◯琉球政府立首里(昭和35)〜本土復帰・県立移管、[県]首里(昭和47)〜
___沖縄県立石川高等学校石川学園(昭和20)〜石川(昭和23)〜琉球政府立石川(昭和35)〜本土復帰・県立移管、◯[県]石川(昭和47)〜
___沖縄県立那覇高等学校沖縄中分校(明治43)〜沖縄二中(明治44)〜◯那覇(昭和24)〜琉球政府立那覇(昭和35)〜本土復帰・県立移管、◯[県]那覇(昭和47)〜
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