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31 春の4連続完封V 備 考
大島 信雄

岐 阜 商
(岐 阜)
「三尺」の異名をもつ左腕・松井栄造投手の後を継いだ岐阜商の名投手が大島信雄。昭和13年夏と14年春を準優勝、そして15年春、野口二郎(中京商)に次ぐ史上2人目の4試合連続完封で優勝している。

別当薫との投げ合い
大島は昭和12年春の選抜大会・準々決勝の東邦商戦でエース野村を救援し甲子園初登板(試合は2対7で敗退)。翌13年春、初戦(2回戦)の福岡工に6対1(先発野村を救援)。準々決勝では、別当薫(慶大→阪神→毎日)の甲陽中を相手に初先発し、3対0で初勝利を完封(2安打13奪三振)で飾った。ベスト4入りを果たすが、準決勝で東邦商(愛知)に先発野村が再びつかまり2対6で敗れている。

▼昭和13年選抜大会・準々決勝 (甲陽)別当薫 (岐阜)大島信雄
甲陽中 000 000 000=0
岐阜商 010 000 20X=3

同年の夏、初戦(2回戦)は松本商(長野)を5対0、準々決勝の下関商(山口)にも5対0。ここまで2試合は野村(明大→毎日→高橋)が連続の完封勝利。春にも対戦した別当薫の甲陽中との準決勝は1回終了後降雨ノーゲーム(岐阜商1対0)の再試合となり、先発野村の後を受けて大島が救援登板。再び3対1で勝って、決勝に進出。

▼昭和13年選手権大会・準々決勝 (甲陽)別当薫 (岐阜)野村清、大島信雄
甲陽中 010 000 000=1
岐阜商 001 000 20X=3

まさかの逆転サヨナラ負けで準優勝
決勝は、2年前の決勝と同じ顔合わせとなった。平安中(京都)の天川清三郎(南海)との息詰まる投手戦の末、互いに譲らず両軍無得点のまま、最終回へ。9回表、岐阜商が待望の先取点を奪ったが、その裏、大島を救援した野村が打たれて、まさかの逆転サヨナラ負け。手中にしかけた栄冠を惜しくも逃してしまう。

▼昭和13年選手権大会・決勝 (岐阜)大島信雄、野村清 (平安)天川清三郎
岐阜商 000 000 001=1
平安中 000 000 002X=2

4強を東海勢が独占
昭和14年春、初戦(2回戦)の下関商を14奪三振の3安打完封1対0で勝利すると、準々決勝で平安と対戦、選抜決勝の再現となったが、2安打11奪三振の完投4対1で下し雪辱を果たす。ベスト4は東邦商(愛知)、中京商(愛知)、岐阜商(岐阜)、島田商(静岡)とズラリ東海勢が占めた。準決勝は滝正男(のち中京商監督)・野口昇(阪神)らがいた中京商を相手に延長13回を完投、6対5で振り切って決勝に進出する。

▼昭和14年選抜大会・準々決勝 (岐阜)大島信雄 (平安)上村
岐阜商 000 031 000=4
平安中 010 000 000=1

▼昭和14年選抜大会・準決勝 =延長13回= (岐阜)大島信雄 (中京)牧野、杉山東洋生
岐阜商 001 110 010 000 2=6
中京商 300 000 001 000 1=5

2季連続の準優勝
決勝の相手は大島自身3度目の対決となる東邦商。この大会の東邦商は猛打炸裂、5試合で73安打(大会最多安打)、59得点(大会最多得点)、チーム打率.358の驚異的な成績を残している。中盤5回、その東邦商打線につかまり3点を取られた。必死に反撃するが、7回にも決定的な3点を追加されて勝負は決した。岐阜商は2季連続で準優勝に終わる。

▼昭和14年選抜大会・決勝 (東邦)松本貞一 (岐阜)大島信雄
東邦商 000 030 301=7
岐阜商 000 001 010=2

史上2人目の4試合連続完封
そして、3度目の正直でのぞんだ15年春、初戦(2回戦)は日新商(大阪)を12奪三振の1安打完封10対0で大勝。準々決勝で一言多十(セネタース→東急→急映→阪急)の島田商との東海勢対決を4安打完封4対0で制してベスト4に進出。準決勝は2年ぶりの再戦となった福岡工を寄せつけず2安打完封9対0で大勝。大島は3試合連続完封で決勝へ進出した。

▼昭和15年選抜大会・2回戦 (日新)田中 (岐阜)大島信雄
日新商 000 000 000=
岐阜商 002 000 08X=10

▼昭和15年選抜大会・準々決勝 (島田)一言多十 (岐阜)大島信雄
島田商 000 000 000=0
岐阜商 001 010 02X=4

▼昭和15年選抜大会・準決勝 (福岡)鳥山 (岐阜)大島信雄
福岡工 000 000 000=0
岐阜商 013 111 11X=9

決勝の対戦相手・京都商は、2回戦で中京商を撃破、準々決勝で平安中との"京都対決"を延長11回サヨナラで決着させて波に乗り、準決勝は連覇を狙う東邦商も破って、まさに候補校を次々になぎ倒した勢いに加えて力もつけてきた。
京都商の神田武夫(南海)・徳網茂(阪神)バッテリーにほぼ完璧に抑え込まれていた岐阜商打線が終盤の8回裏、待望の得点機をものにして2点をあげ、好投の大島が最終回を抑えて見事に1安打零封。野口二郎(中京商)に次ぐ選抜大会史上2人目の4試合連続完封で優勝を飾った。

▼昭和15年選抜大会・決勝 (京都)神田武夫 (岐阜)大島信雄
京都商 000 000 000=0
岐阜商 000 000 02X=2
※岐阜商は5年ぶり3回目の選抜大会V。

甲子園での投手成績
大 会スコア対戦相手備 考
昭和12年春1回戦○05-2___登板なし (野村○2失点完投)
2回戦○05-3__登板なし (野村○3失点完投)
準々決勝●02-7__野村-大島 (救援で初登板)
昭和13年春2回戦○06-1__野村-大島
準々決勝03-0__完封勝利(1):2安打13奪三振
準決勝●02-6__野村-大島
昭和13年夏2回戦◎05-0__登板なし (野村○3安打完封)
準々決勝◎05-0__登板なし (野村○3安打完封)
準決勝03-1__野村-大島 (救援勝利)
_01-2__完投:9安打5奪三振
昭和14年春2回戦01-0__完封勝利(2):3安打14奪三振
準々決勝04-1__完投勝利:2安打11奪三振
準決勝06-5__完投勝利:11安打9奪三振 (延長13回)
_02-7__完投:11安打4奪三振
昭和15年春2回戦◎10-0__完封勝利(3):1安打12奪三振
準々決勝04-0__完封勝利(4):4安打6奪三振
準決勝09-0__完封勝利(5):2安打8奪三振
_02-0__完封勝利(6):1安打4奪三振 (選抜優勝)

最後の早慶戦
65年の年月を経て平成20年に舞台化・映画化された出陣学徒壮行早慶戦 (最後の早慶戦) は、昭和18年10月16日に早大の戸塚球場で行われた。戦時中に行われたアマチュア野球最後のゲームとして知られるが、このときの慶大エースが大島信雄だった。チームメートには、13年春夏の甲子園で大島と2度投げ合い、17年春の東京六大学リーグで当時の史上最高打率5割で首位打者になった別当薫がいた。
敵国スポーツの野球は弾圧の対象となり、中等学校野球(高校野球の前身)と都市対抗野球は昭和17年に中止。東京六大学リーグも翌18年4月に文部省の命令で解散。しかし、同年10月に慶應義塾の塾長小泉信三の申し出に早大野球部顧問の飛田穂洲が応える形で早慶戦が実現する。軍国主義批判の急先鋒として早大を目の敵にし弾圧を強めていた軍部・文部省の神経を逆なでするため、早大当局はあくまで試合を許可しなかった。最後の早慶戦は大学側の反対を跳ね返しての強行突破だった。
学徒出陣直前であり、早大当局の抵抗から試合実現は難しいと見て練習を中止、選手たちを故郷に帰していた慶大野球部は選手を呼び戻したものの練習不足は明白。エース大島が登板できなかったことが響き1対10で大敗を喫してしまう。慶大の不調は決断が遅れた早大側の責任と感じた飛田は、控え選手を出すのは無礼だとして、最後までベストメンバーで闘い続けたという。この戦争が終わったら神宮で会おうと交わした試合後の挨拶や互いの応援歌・校歌の交換もむなしく、選手と応援団学生の多くが戦地で散り還らぬ人となった。

29歳でプロ入り
戦後、大島は29歳という遅咲きで昭和25年プロ入り。いきなり20勝を挙げ、松竹ロビンスを2リーグ分裂後のセ・リーグ初代王者に導いた。藤本英雄を抑えてセ・リーグ初の最優秀防御率、最高勝率の投手二冠を獲得。最年長で新人王にも輝いた。毎日オリオンズとの第1回日本シリーズの第1戦に先発して記念すべき第1球を投げている。この試合、若林忠志と延長12回を投げ合い2対3で惜敗。シリーズ最初の敗戦投手となり、チームも2勝4敗で日本一を逃した。シリーズの初代MVPに選ばれた男がこの年のパ・リーグ本塁打・打点の二冠王・別当薫(毎日)である。

昭和12年春=ベスト8
昭和13年春=ベスト4
昭和13年夏=準優勝
昭和14年春=準優勝
昭和15年春=優 勝
 (4試合連続完封=史上2人目)

甲子園通算成績
 9勝2敗
 6完封
 選_抜4勝1敗
 選手権5勝1敗

慶大→大塚産業→
松竹 (29歳でプロ入り)→名古屋

20勝4敗 (昭和25年)
最優秀防御率2.03 (昭和25年)
最高勝率 (昭和25年)
新人王(昭和25年)
4年連続2桁勝利

プロ通算成績
 64勝41敗
 防御率2.82

中日コーチ、野球解説者
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