甲子園「名投手」「名選手」百選 激闘の記憶と栄光の記録 Home
全国高校野球「都道府県別甲子園出場校」 激闘甲子園物語「名投手・名選手百選」 激闘甲子園物語「史上最強チームは?」 全国高校野球「名勝負&甲子園戦法」
全国高校野球「歴代優勝校」 世紀の逆転劇特集 甲子園出場校「通算勝星&勝率ランキング」 全国高校野球「甲子園出場校・校名の変遷」
全国高校野球「春夏決勝戦 全スコア」 激闘甲子園物語「激闘・延長戦」 甲子園出場監督「通算勝星ランキング」 高校野球クイズ[ザ・甲子園!]
都道府県「通算勝星&勝率ランキング」 激闘甲子園物語「初出場・初優勝」 全国高校野球史「第1回大会出場校は今」 高校野球博士度テスト[ザ・ルール!]
激闘甲子園物語「個人記録・チーム記録」 激闘甲子園物語「不運を絵に描いたようなチーム」 都道府県・出身校別「プロ野球選手リスト」 激闘高校野球連盟「バーチャル審判講習会」

前に戻る | 一覧を見る | 次に進む
24 中京伝説復活 備 考
加藤 英夫

中 京 商
(愛 知)
昭和41年、史上2校目の春夏連覇を達成したときの中京商のエースが加藤英夫である。戦前の吉田正男の夏連覇(3連覇)、野口二郎の夏春連覇の後を継ぐ、中京商・黄金伝説の復活だった。中京大中京と校名を変えた後の平成21年夏の復活Vで春は通算4回、夏は7回を数え、春夏通算11回の優勝は全国随一である(2位はPL学園、松山商、広島商の7回)。

PL学園との初戦 “加藤英” 対決
41年春、初戦は加藤英司(阪急→広島ほか)のPL学園(大阪)に5対2で貫禄勝ち。2回戦の高鍋(宮崎)には思わぬ苦戦を強いられるが、終盤8回に逆転して6対5で辛勝。準々決勝は米子東(鳥取)に11対2で快勝して準決勝に進んだ。

▼昭和41年選抜大会・1回戦 (PL)加藤英司 (中京)加藤英夫
P L 学 園.001 000 010=2
__.040 010 00X=5

▼昭和41年選抜大会・2回戦 (高鍋)西原幸則 (中京)加藤英夫
_鍋 000 023 000=5
中京商 400 000 02X=6

選抜大会最長の4時間35分
準決勝は、初出場の新鋭・宇部商(山口)。試合運びとソツのなさで中京商が一枚も二枚も上というのが大方の戦前予想だった。宇部商・菊永監督が「先手を取り打ち勝つ」以外に勝つ方法はないと言っていた通り、素晴らしい先制攻撃をかける。加藤は立ち上がりのスキを突かれた格好で、3番の玉国光男(のち宇部商監督)に先制タイムリーを許す。さらに足を使って揺さぶられた上に自らのワイルドピッチも絡んで、初回に3点を失う苦しい展開。しかし、矢沢正や伊熊博一らが宇部商・三原投手を打ち、5回に同点に追いつく。その後は両投手が立ち直り3対3のまま延長戦に突入。14回表、加藤が勝ち越し点を与えて宇部商に均衡を破られるが、その裏、加藤自らショートへのイレギュラー内野安打で出塁、バント安打などで作った無死満塁の好機に中京商・杉浦監督は9番芝田にスクイズのサイン。警戒される中、投手左にきっちり決めて同点、4対4の振り出しに戻した。200球を越えて限界に来ていた三原投手を15回にとらえ、伊熊が左越え二塁打、光岡の犠打野戦、加藤敬遠でふたたび無死満塁。川口の犠飛でサヨナラ勝ち、選抜大会史上最長の4時間35分というゲームを制し、あらためて「中京強し」を印象づけた。

▼昭和41年選抜大会・準決勝 =延長15回= (宇部)三原義昭 (中京)加藤英夫
宇部商 300 000 000 000 010=4
中京商 010 020 000 000 011X=5

全力疾走の土佐高
決勝の相手は、高知県屈指の進学校で部員わずか12人という「全力疾走」の土佐(高知)だった。小柄な土佐の選手たちは大型選手揃いの中京商相手に奮闘。加藤の女房役・矢沢正(巨人)をはじめ、伊熊博一(中日)、平林二郎(阪急)など、中京商ナインは豪華顔ぶれだったが、土佐・上岡誠二(慶大→日本鋼管)の好投で試合は緊迫した投手戦となる。3回、テキサス安打で中京商に1点が入った。終わってみればその1点が決勝点となり、加藤は土佐を完封1対0で春の選抜を制した。中京商としては平沼一夫投手(東京)で選抜を制して以来の7年ぶり4度目の春優勝となった。純白のユニフォームで疾走する土佐高ナインは全国の高校野球ファンを唸らせた。常勝・中京商に惜敗という構図が、より一層さわやかさを印象づけたのだろう。なお、この試合で土佐の秋田学は市和歌山商・藤田平に並ぶ大会通算20塁打という選抜大会記録を作っている。

▼昭和41年選抜大会・決勝 (土佐)上岡誠二 (中京)加藤英夫
_佐 000 000 000=0
中京商 001 000 00X=1
※中京商は7年ぶり4回目の選抜大会V。

接戦の連続
41年夏は、中京商を目標にする各代表校が立ちはだかり、試合は接戦の連続となる。まず、初戦は斎藤正人(西鉄)のいた秋田を加藤が完封2対0で退けると、2回戦は前年春優勝校で青井泉(新日鉄広畑)を擁する岡山東商に苦戦したが、5対4で辛勝。準々決勝は桐生(群馬)を4対2で下し、準決勝は荒武康博(西鉄)のいた報徳学園(兵庫)から8回に決勝点を奪い2対1で勝利し、決勝へ進出。

▼昭和41年選手権大会・準決勝 (報徳)前田正広 (中京)加藤英夫
報 徳 学 園.001 000 000=1
__.001 000 01X=2

史上2校目の春夏連覇
決勝は、松山商(愛媛)と対戦。序盤に1点ずつを取り合い、迎えた5回、松山商・西本明和投手(広島)から川口の二塁打と交野の安打で1点を勝ち越し、さらに7回にも1点を追加して、投げては中盤以降を加藤が好投して、3対1で勝利。中京商は、中山俊丈投手(中日)で戦後はじめて夏を制して以来の12年ぶり6度目の夏の選手権優勝。昭和37年の作新学院に続く史上2校目の春夏連覇を達成した。

▼昭和41年選手権大会・決勝 (中京)加藤英夫 (松山)西本明和
中京商 001 010 100=3
松山商 010 000 000=1
※中京商は12年ぶり6回目の選抜大会V。

甲子園での投手成績
大 会スコア対戦相手備 考
昭和41年春1回戦05-2P L 学 園_完投勝利:9安打2奪三振
2回戦06-5___完投勝利:8安打6奪三振
準々決勝○11-2__完投勝利:7安打6奪三振
準決勝05-4__完投勝利:14安打7奪三振 (延長15回)
_01-0___完封勝利(1):5安打4奪三振 (選抜優勝)
昭和41年夏1回戦02-0___完封勝利(2):1安打8奪三振
2回戦05-4岡 山 東 商完投勝利:11安打5奪三振
準々決勝04-2___完投勝利:4安打5奪三振
準決勝02-1報 徳 学 園完投勝利:5安打3奪三振
_03-1__完投勝利:5安打6奪三振 (春夏連覇)

平成の中京伝説復活
春夏通算11回の全国制覇は甲子園最多。加藤−矢沢のバッテリーで春夏連覇してから長いブランクを経て校名も中京、中京大中京と変遷。連覇から31年目の平成9年、大杉樹一郎投手を擁して春選抜で決勝進出を果たすが、天理(奈良)に破れて準優勝に終わった。しかし、53年目の平成21年夏、堂林翔太らを擁してついに復活。夏の決勝無敗の記録を更新し、7回目の優勝を飾った。
昭和40年春=2回戦(登板なし)
昭和41年春=優 勝
昭和41年夏=優 勝

甲子園通算成績
 10勝0敗
 選_抜5勝0敗
 選手権5勝0敗

近鉄
前に戻る | 一覧を見る | 次に進む
激闘の記憶と栄光の記録  Copyright © Y.Fujimura, All rights reserved.