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25 野球王国復活 備 考
石井 毅
(木村竹志)

箕 島
(和歌山)
昭和54年、野球王国・和歌山を復活させたのは、名将・尾藤監督とその秘蔵っ子エース石井毅(現・木村竹志)である。嶋田宗彦とバッテリーを組み、小柄ながら巧みな投球術で甲子園通算14勝(1敗)、春夏連覇の偉業を達成した。

戦前の野球王国
甲子園の創世期(大正〜昭和初期)に北島好次、井口新次郎、小川正太郎に代表される名投手を輩出した和歌山中(現・桐蔭)が優勝3回、準優勝2回。嶋清一真田重蔵で夏連覇(昭和14年〜15年)を達成した海草中(現・向陽)が優勝2回、準優勝1回。野球王国・和歌山の伝説はこの2校によって作られた。しかし戦後になると、桐蔭(旧和歌山中)の準優勝2回(昭和23年、36年)、市和歌山商の準優勝1回(昭和40年)があったが、優勝から長く遠ざかっていた。

王国復活への道程
昭和45年、島本講平を擁する箕島の選抜優勝が、和歌山県勢として春43年ぶり、春夏合わせて30年ぶり、尾藤監督にとって悲願の初優勝だった。しかし同年夏に1勝しただけで、その後ぱったりと勝てなくなった。51年の夏までの6年12季で甲子園出場が春1回、夏1回で、いずれも1回戦敗退。52年春、東裕司投手を擁して2回目の選抜制覇を果たすが、同年夏予選でまた甲子園への道が閉ざされると、さっそく新チーム作りに着手、秋季大会で好成績を残して2年連続の選抜出場を決めた。いよいよ石井毅・嶋田宗彦の新2年生バッテリーの甲子園デビューである。

確かな手応え
昭和53年春、初戦の黒沢尻工(岩手)を6安打13奪三振の完封、1対0で勝利してデビュー戦を飾る。2回戦の小倉(福岡)を4対1で退けると、準々決勝では、西田真二(法大→広島)・木戸克彦(法大→阪神)バッテリーのPL学園(大阪)と接戦の末、6安打完封2対0で見事ベスト4進出。

▼昭和53年選抜大会・準々決勝 (箕島)石井毅 (PL)西田真二
__.000 101 000=2
PL学園.000 000 000=0

準決勝の対戦相手は、北信越勢で初の優勝戦進出を目指す豪打・福井商。比叡山戦で完全試合を達成した前橋・松本稔を打ち崩し14対0で圧勝した福井商のチーム代率.381は参加30校中のNo.1。2回に一塁手北野敏史がタイムリーエラーで先取点を献上すると、若い石井・嶋田バッテリーは平常心を失い3回に連打で2失点、ついに石井が降板してしまう。代わった上野敬三(のち巨人)も暴投で失点、4回には連鎖反応で内野にエラーとミスが続出して4失点、0対8となり勝負は決した。スコアは3対9、6失策の完敗だった。
しかし、選抜ベスト4の自信は、箕島に5年ぶりの夏の選手権出場をもたらした。60回記念大会で49代表制が定着した53年夏、初戦の能代(秋田)を2安打完封、1対0でまず夏初勝利。2回戦の広島工には6対1で快勝するが、チームは3回戦で栗岡英智(中日→西武)のいた強豪・中京(愛知)の打線につかまり5失点、反撃も一歩及ばず4対5で惜敗した。この試合は上野敬三が先発して8回を投げ負け投手、石井は9回から1イニングだけ登板している。

選抜制覇はイバラの道
打力と守備を鍛えて臨んだ54年春、尾藤野球が花開くときが来た。初戦(2回戦)の下関商を10対4、準々決勝の倉吉北を5対1で下す(石井は13奪三振完投)。箕島はこの倉吉北戦で大会記録となる10犠打(バント8、犠飛2)を記録し、史上初めて近畿勢が揃ったベスト4の一角に勝ち残った。あとの3校は、前年夏を制した鶴岡監督のPL学園、2年前の夏を制した梅谷監督の東洋大姫路、洲本時代に春優勝経験のある広瀬監督の浪商。準決勝、箕島の相手はPL学園、小早川毅彦(広島→ヤクルト)、阿部慶二(のち広島)、山中潔(広島→ダイエー)を中心に3割打者を8人揃えた強力打線だった。

PL学園・阿部、サヨナラ暴投
初回、石井は小早川に中前に運ばれて先制を許すが、4回、内野ゴロで北野が本塁を陥れて同点。5回、PL学園1番渡辺の左中間二塁打で勝ち越され、2番徳永の右翼線タイムリーで1対3とリードされるが、土壇場の9回に追いついてしまう。9回裏の箕島は、1番嶋田、2番宮本連打の無死一三塁で3番上野山のスクイズが内野安打となり1点差、4番北野のバントが投飛となって飛び出した一塁走者が刺されて2死二塁、万事休すと思った矢先に、5番上野がPL学園・中西の失投を見逃さず右中間を抜いて同点。延長10回裏、下位打線で1死一三塁のサヨナラ機を作ると、PL学園・鶴岡監督が公式戦で登板のない遊撃手・阿部をリリーフに指名。今大会2打席連続を含む3本塁打のラッキーボーイのツキに期待した起用だったが、初球インコースを狙ったシュートがすっぽ抜ける大暴投になり、労せずサヨナラ勝ち。決勝進出を決める。

▼昭和54年選抜大会・準決勝 =延長10回= (PL)中西康智、阿部慶二 (箕島)石井毅
PL学園.100 020 000 0=3
PL.000 100 002 1X=4

浪商との壮絶な乱打線
決勝の相手は、牛島和彦(中日→ロッテ)・ドカベン香川伸行(南海)バッテリーの浪商。投手戦が予想されたがまったく予想外の打撃戦。初回、浪商・香川の中前打で先制されると、その裏、箕島も二死から3連打で同点とし、3回に北野の三塁打で2点を勝ち越し。3点リードで迎えた6回、浪商・森川の適時打などで同点に追いつかれるが、その裏、箕島は島田の左翼線タイムリーで5対4とふたたび勝ち越す。7回、浪商・山本、香川の連打で5対6と再逆転を許すと、その裏、箕島に北野の同点本塁打が飛び出し、さらに三塁打とスクイズで7対6と再々逆転。8回、敬遠の指示が出ていた箕島・北野が右中間に二塁打を放ち2点リード。最終回、浪商・牛島の左翼線二塁打で1点差とされるが、石井が後続を断ち8対7で乱打線を制して、箕島は2年ぶり3回目の選抜優勝。両軍合わせて26安打は、47回大会の高知−東海大相模に並ぶ決勝戦・最多安打記録。なお、この決勝戦で北野敏史が大会史上初のサイクル安打を達成している。

▼昭和54年選抜大会・決勝 (浪商)牛島和彦 (箕島)石井毅
浪 商 100 003 201=7
箕 島 102 101 21X=8
※箕島は2年ぶり3回目の選抜大会V。

星稜との"奇跡"の名勝負
昭和54年夏、初戦(2回戦)の札幌商(北海道)を7対3で破り、春夏連覇に向けて好スタートを切ったが、3回戦で奇跡のドラマとして語り継がれる星稜との名勝負を迎える。好投手・堅田外司昭(松下電器)との投げ合いは、4回の表裏に1点ずつ分け合っただけで1対1の同点のまま延長戦に突入する。12回表、星稜・音(のち中日)の安打と山下の死球で1死一二塁とした後、二塁ゴロエラーで勝ち越された。その裏、2死無走者から"最初の奇跡"が起きる。最後の打者になるかと思われた箕島・嶋田が強振した打球は放物線を描いて左翼ラッキーゾーンに吸い込まれた。試合をふたたび振り出しに戻す起死回生の同点本塁打だった。14回裏、箕島が安打で出た森川が犠打と意表を突く盗塁で三塁に進むが、星稜の若狭三塁手の隠し球でサヨナラ機を逸す。16回表には、死球と内野安打で2死一三塁とし、山下の右前打で星稜に1点を勝ち越されるが、その裏、2死無走者から"2度目の奇跡"が起きる。"最後の打者"森川が隠し玉の汚名挽回とばかり、初球から打ちにいくが、力なく打ち上げた打球は平凡な一塁ファールフライ。箕島、万事休す。捕球すれば箕島の連覇はなかった。しかし、星稜・加藤直樹一塁手は捕球していなかった。照明灯が視界に入り、体勢が揺らいだところで人工芝の継ぎ目に足を取られて転倒してしまったのだ。命拾いした森川が、その3球後、公式戦で一度も打ったことのないホームランを左中間スタンドに叩き込んでダイヤモンドを一周していた。星稜の金戸左翼手は諦めきれずフェンスによじ登ったままである。3対3、再度試合を振り出しに戻した箕島は、引分寸前の延長18回裏、2四球で1死一二塁から、上野が左前タイムリーを放ち二塁走者の辻内が生還、3時間50分の壮絶な試合に終止符を打つ。この試合は甲子園史上最高のゲームとされている。

▼昭和54年選手権大会・3回戦 =延長18回= (星稜)堅田外司昭 (箕島)石井毅
星 稜 001 000 000 001 000 100=3
箕 島 001 000 000 001 000 101X=4
※この試合の詳細スコアは「 名勝負&甲子園戦法」へ

王国復活の春夏連覇
星稜との激闘を制した箕島・石井は、疲労を残しながらもコーナーワークが冴える投球を続けた。準々決勝で城西(東京)を4対1で下し、準決勝は横浜商(神奈川)のジャンボ宮城弘明からソツなく得点して3対2で勝利、ついに夏も決勝まで進出。池田(徳島)との優勝戦は、2対3とリードされて迎えた終盤8回裏に池田・橋川正人投手を打ち崩し、4対3の逆転勝利。作新学院、中京商以来の史上3校目の春夏連覇を達成、王国・和歌山を復活させた。数々の名勝負や接戦を制し続けた石井は、甲子園通算14勝1敗という輝かしい成績を残した。

▼昭和54年選手権大会・準決勝 (横浜)宮城弘明 (箕島)石井毅
横浜商 000 010 010=2
_島 101 010 00X=3

▼昭和54年選手権大会・決勝 (池田)橋川正人 (箕島)石井毅
池 田 100 110 000=3
箕 島 100 001 02X=4
※箕島は初のの選手権大会V(春夏連覇)。

甲子園での投手成績
大 会スコア対戦相手備 考
昭和53年春1回戦01-0黒 沢 尻 工_完封勝利(1):6安打13奪三振
2回戦04-1___完投勝利:4安打8奪三振
準々決勝02-0P L 学 園完封勝利(2):6安打4奪三振
準決勝03-9__石井毅-上野
昭和53年夏1回戦01-0___完封勝利(3):2安打7奪三振
2回戦06-1__完投勝利:7安打3奪三振
3回戦●04-5___上野 (8回5失点) -石井毅
昭和54年春2回戦○10-4__完投勝利:7安打4奪三振
準々決勝05-1__完投勝利:7安打13奪三振
準決勝04-3P L 学 園完投勝利:9安打7奪三振 (延長10回)
_08-7___完投勝利:13安打5奪三振 (選抜優勝)
昭和54年夏2回戦07-3__完投勝利:7安打10奪三振
3回戦04-3___完投勝利:19安打16奪三振 (延長18回)
準々決勝04-1___西完投勝利:7安打10奪三振
準決勝03-2__完投勝利:8安打7奪三振
_04-3___完投勝利:8安打5奪三振 (春夏連覇)
昭和53年春=ベスト4
昭和53年夏=3回戦
昭和54年春=優 勝
昭和54年夏=優 勝

甲子園通算成績
 14勝1敗
 選_抜7勝1敗
 選手権7勝0敗

住友金属→西武

現名・木村竹志
 (引退後に夫人の実家と養子縁組)
紀州レンジャーズ(関西独立リーグ)
球団代表・監督
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