真田 重蔵 (重男)
海 草 中 (和歌山) |
戦前の伝説の大投手・嶋清一の後を継いで、海草中(現・向陽)を夏連覇に導いた真田重蔵は、アルプスを沸かせた戦前最後の怪腕といわれた。「投げてもよし、打てばなおよし」の看板選手だった。プロ野球でも通算178勝の投手として活躍した後、明星(大阪)の監督に就任、昭和38年夏の選手権大会では和田徹捕手(阪神→南海)を擁して全国制覇を果たしている。
史上4校目、夏の選手権連覇
昭和14年夏、嶋清一投手で優勝した海草中では野手として出場しているが、翌15年春は投手として選抜大会に出場、島田商(静岡)に4対5、初戦(2回戦)で敗退している。
夏連覇を目ざす15年夏は、初戦の平壌一(朝鮮)に無安打13奪三振の1失点完投で12対1、準々決勝の京都商に4対3(延長12回)、準決勝の松本商(長野)に3対1で勝利し、決勝進出。決勝の対戦相手は、春選抜大会で惜敗した島田商という因縁の対決となった。一言多十(専大→新田建設→セネタース→東急→急映→阪急)との投手戦を剛球で制して7安打1失点の完投。2対1で島田商を下し、海草中を夏の選手権連覇に導いた。夏の連覇は和歌山中(大正10、11年)、広島商(昭和4、5年)、中京商(昭和6〜8年、3連覇)に続く史上4校目。
▼昭和15年選手権大会・準々決勝 =延長12回= (海草)真田重蔵、田中 (京都)神田
海草中 030 000 000 001=4
京都商 000 003 000 000=3
▼昭和15年選手権大会・準決勝 (海草)真田重蔵 (松本)洞沢
海草中 001 010 010=3
松本商 001 000 000=1
▼昭和15年選手権大会・決勝 (島田)一言多十 (海草)真田重蔵
島田商 000 100 000=1
海草中 001 000 10X=2 ※海草中は2年連続2回目の選手権大会V。
甲子園での投手成績
大 会 | スコア | 対戦相手 | 備 考 |
昭和15年春 | 2回戦 | ●04-5 | 島_田_商_ | 完投:5安打5奪三振 |
昭和15年夏 | 2回戦 | ○12-1 | 平 壌 一 中 | 完投勝利:無安打13奪三振 (1失点) |
| 準々決勝 | ○04-3 | 京_都_商 | 真田-田中 (延長12回) |
| 準決勝 | ○03-1 | 松_本_商 | 完投勝利:7安打5奪三振 |
| 決_勝 | ○02-1 | 島_田_商 | 完投勝利:7安打4奪三振 (選手権連覇) |
昭和16年春 | 1回戦 | ●01-2 | 東_邦_商 | 完投:2安打3奪三振 |
プロ入り後は大エース兼代打の切り札
プロ入り後は昭和21年から3年連続20勝以上。セ・パ分裂1年目の昭和25年に剛速球とドロップであげた39勝は、現在もセ・リーグ最多勝記録。同年、小鶴誠、岩本義行らの「水爆打線」と右腕・真田、左腕・大島信雄(防御率1位)の二本柱の活躍で松竹ロビンスはシーズン98勝(137試合)という圧倒的な強さだった。勝率.737は、現在でもセ・リーグ記録。真田は23年と27年にそれぞれ阪神、広島を相手にノーヒットノーランを達成している。
また真田は、別所昭(毅彦・巨人)とともに、強打の投手として有名。昭和25年は別所が打率.344、4本塁打28打点。真田は打率.314、2本塁打、36打点。以後、3年連続の打率三割を記録し、大エース兼代打の切り札という選手だった。セ・リーグの規定投球回に到達した投手でシーズン打率3割(打数100以上)をマークしたのは真田と別所の二人だけ。しかも、真田は二度も記録。まさに「投げてもよし、打てばなおよし」。大谷翔平(日本ハム)が騒がれる60年以上前に元祖・二刀流は実在していたのである。
▼規定投球回に到達した投手の打率3割(打数100以上/セ・リーグ)
年 | 選 手 | 所属 | 打撃成績 | 投手成績 | 試
合 | 打
数 | 安
打 | 本 塁 打 | 打
点 | 打
率 | 登
板 | 完
投 | 完
封 | 投 球 回 | 自 責 点 | 防 御 率 | 勝 敗 | 昭和25 | 別所毅彦 | 巨 人 | 67 | 151 | 52 | 4 | 28 | .344 | 43 | 27 | 8 | 314.0 | 089 | 2.55 | 22勝11敗 | 昭和25 | 真田重蔵 | 松 竹 | 73 | 172 | 54 | 2 | 36 | .314 | 61 | 28 | 5 | 395.2 | 134 | 3.05 | 39勝12敗 | 昭和27 | 真田重蔵 | 阪 神 | 78 | 129 | 41 | 0 | 18 | .318 | 38 | 14 | 4 | 228.0 | 050 | 1.97 | 16勝09敗 |
|
|
明星監督として全国制覇
真田はプロ野球引退後、明星高(大阪)の野球部監督に就任。堀川浩伸投手(法大)と和田徹捕手(阪神→南海)のバッテリーを擁して、昭和38年夏の選手権大会に出場。堀川が大垣商(岐阜)、甲府商(山梨)を連続完封すると、準決勝も完封5対0で横浜(神奈川)を下して決勝へ進出。春夏連覇に王手をかけた池永正明の下関商を決勝で破って優勝。選手として2度、監督として1度の全国制覇を経験した。池永後略の戦法として、先頭打者にバント奇襲を指示、左肩を脱臼していた池永から奪った内野安打をきっかけに、下関商の内野守備の乱れを突いて初回に2点を取り、下関商の反撃を1点で食い止めて逃げ切りに成功。巧みな投手交代でチャンスを与えず、下関商の連覇を阻止している。
▼昭和38年選手権大会・決勝 (明星)堀川浩伸、角田哲美 (下関)池永正明
明_星 200 000 000=2
下関商 000 001 000=1
甲子園での監督成績
大 会 | スコア | 対戦相手 | 備 考 |
昭和38年夏 | 2回戦 | ◎06-0 | 大_垣_商_ | 堀川完封勝利:2安打1奪三振 |
| 3回戦 | ◎11-0 | 甲_府_商 | 堀川完封勝利:2安打6奪三振 |
| 準々決勝 | ○04-3 | 九 州 学 院 | 堀川-角田-堀川 |
| 準決勝 | ◎05-0 | 横___浜 | 堀川完封勝利:4安打8奪三振 |
| 決_勝 | ○02-1 | 下_関_商 | 堀川-角田 (全国制覇) |
|
昭和13年夏=1回戦(投手=嶋清一) 昭和14年春=1回戦(投手=嶋清一) 昭和14年夏=優 勝(投手=嶋清一) 昭和15年春=2回戦 昭和15年夏=優 勝 昭和16年春=1回戦
昭和38年夏=優 勝(明星監督)
甲子園通算成績 投手 3勝2敗 (選手権3勝0敗) 監督 5勝2敗 (選手権5勝0敗)
朝日→パシフィック→太陽 →松竹→阪神→明星(大阪)監督
昭和21年=25勝 昭和22年=23勝 昭和23年=25勝 昭和25年=39勝(最多勝)、沢村賞 ノーヒットノーラン(2度) 昭和23年9月=対阪神 昭和27年5月=対広島
プロ通算成績 178勝128敗 防御率2.83
平成2年に野球殿堂入り |