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15 39回連続無失点男 備 考
平松 政次

岡山東商
(岡 山)
後にカミソリシュートを武器にして大洋のエースとして活躍した平松政次は、岡山東商時代に甲子園に出場、昭和40年春の選抜優勝投手になっている。4連続完封勝利という球史に残る輝かしい記録を作り、決勝で藤田平(のち阪神)のいた市和歌山商に初失点を奪われるが、延長13回サヨナラ勝ちで初優勝。39回連続無失点は、今でも選抜大会の最多イニング無失点記録である。

4連続完封勝利
初戦のコザ(沖縄)を完封7対0。2回戦は明治(東京)にサヨナラ勝ちで完封1対0、明治・今井恒夫投手との投げ合いは両軍無四球の好試合だった。準々決勝の静岡も完封3対0。

▼昭和40年選抜大会・1回戦 (岡山)平松政次 (コザ)玉寄幸美
岡山東商 002 000 122=7
__ザ 000 000 000=0

▼昭和40年選抜大会・2回戦 (明治)今井恒夫 (岡山)平松政次
__治 000 000 000=0
岡山東商 000 000 001X=1

▼昭和40年選抜大会・準々決勝 (岡山)平松政次 (静岡)飯田悦造、佐藤竹秀
岡 山 東 商.001 020 000=3
___.000 000 000=0

準決勝は、大会随一といわれた育英(兵庫)の本格派左腕・鈴木啓示(近鉄)を打ち崩した好打の徳島商を相手に、またも完封1対0の勝利。見事に選抜大会タイ記録の4試合連続完封勝利を達成。戦前の野口二郎(中京商)、大島信雄(岐阜商)、戦後は田所善次郎(静岡商)以来の史上4人目という大記録だ。

▼昭和40年選抜大会・準決勝 (岡山)平松政次 (徳島)利光高明
岡 山 東 商.000 100 000=1
__.000 000 000=0

40イニング目の初失点
決勝の市和歌山商戦は、3回に岡山東商が1点を先制するが、4回、市和歌山商の中尾・秋田・土津田の連打で同点とされ、平松は40イニング目に初失点を奪われ、選抜大会史上初の5試合連続完封は成らず。その後、市和歌山商・岡本嘉平との投げ合いは互いに譲らず、1対1のまま延長戦に突入。延長13回裏、岡山東商は安打の宮崎を青井の犠打で二塁に進め、続く中島が中前打。二塁走者の宮崎が生還し2対1、劇的なサヨナラ勝ちをおさめた。市和歌山商・藤田平は2回戦の中京商戦で選抜大会史上初の1試合2本塁打、さらに大会通算20塁打の新記録を残しているが、決勝では平松に抑え込まれた。

▼昭和40年選抜大会・決勝 =延長13回= (和歌)岡本嘉平 (岡山)平松政次
市和歌山商 000 100 000 000 0=1
岡 山 東 商 001 000 000 000 1X=2
※岡山東商は初優勝。

甲子園での投手成績
大 会スコア対戦相手備 考
昭和40年春1回戦07-0____完封勝利(1):3安打11奪三振
2回戦01-0____完封勝利(2):3安打8奪三振
準々決勝03-0___完封勝利(3):3安打9奪三振
準決勝01-0__完封勝利(4):5安打8奪三振
_02-1市和歌山商完投勝利:延長13回10安打5奪三振 (選抜優勝)
昭和40年夏1回戦00-4__完投:8安打3奪三振

甲子園優勝投手のその後
戦後の甲子園優勝投手のその後をみてみると、打者に転向してプロで成功している選手が実に多いことが分かる。王(早稲田実→巨人)、柴田(法政二→巨人)、中根(日大桜ヶ丘→近鉄、中日)、愛甲(横浜→ロッテ、中日)、畠山(池田→南海、横浜)、吉岡(帝京→巨人、近鉄)、金村(報徳学園→近鉄)、山口(岩倉→阪神、ヤクルト)、小川(習志野→ヤクルト、日本ハム)、西田(PL学園→広島)などである。
プロ入り後も投手で活躍し通算200勝を達成したのは、戦前の野口二郎(中京商→東京セネターズ)の237勝があるが、戦後では平松政次ただひとりだ。戦後の100勝以上は、平松(大洋)=201勝、桑田(PL学園→巨人)=173勝、松坂(横浜→西武)=国内108勝、尾崎(波商→東映)=107勝、池永(下関商→西鉄)=103勝、野村(PL学園→大洋、横浜)=101勝の6人しかいない。吉良(津久見→阪神)=2勝、永川(横浜→ヤクルト)=0勝、土屋(銚子商→中日、ロッテ)=8勝、黒田(崇徳→ヤクルト)=0勝、石井(箕島→西武)=8勝、山田(東邦→中日、広島)=6勝、正田(桐生一→日本ハム、阪神)=3勝のようにプロで苦戦するケースが少なくない。
昭和38年夏=3回戦(登板なし)
昭和40年春=優 勝
 (39回連続無失点=選抜大会記録)
 (4連続完封勝利=選抜大会記録)

昭和40年夏=1回戦

甲子園通算成績
 5勝1敗
 4完封
 選_抜5勝0敗
 選手権0勝1敗

日本石油→大洋
201勝196敗
2045奪三振

最多勝
 25勝 (昭和45年)
 17勝 (昭和46年)
最優秀防御率
 2.39 (昭和54年)
沢村賞 (昭和45年)

野球解説者
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