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野球はやってみなければ分からない。優勝経験が豊富な甲子園常連の伝統校と本州最北端の文字どおりの田舎チーム。戦前からこのような試合展開を予想した人がいただろうか。松山商業といえば、全国2,500余校の野球部が目標とするには申し分のない、日本高野連も太鼓判を押す模範校である。一方の三沢高校は、高校野球不毛の地として定着していたみちのくから突然変異的に現れたポッと出の無名チーム。ハナから勝負にならないだろうと思う人がいても無理はない。ところが、三沢高校はただの田舎チームと一緒にできない裏事情がある。三沢米軍基地が住民の生活を支えるという特殊な環境の下で育まれた野球なのだ。三沢高校ナインの父親の多くは基地内で働く労働者であり、人口4万足らずの地方の街には米国人リトルリーグのチームが8つもあった。2年間だけこのリーグに参加して優勝、東京大会出場の選抜チームにも選手を複数送り込んだ日本人チームがあった。八重沢、太田、桃井、菊池らがいたチームだった。彼らは早々に硬球を握り、本場アメリカのベースボールを体験することによって、高校野球で全国に名を轟かせるチームの礎となったのである。

今、まさにこの田舎チームは伝統的な日本野球そのものみたいな松山商業に対してとんでもないことをしでかそうとしていた。昭和44年夏の全国高校野球・選手権大会決勝の延長15回。それは、みちのくの人々の誰もが見た「全国高校野球の頂点」という夢に史上最も近づいた瞬間でした。

[15回表]松山商
先頭の3番樋野が三遊間を破る左前安打が出ました。無死1塁で4番谷岡。思わず小比類巻がタイムを取りマウンドの太田に駆け寄ろうとすると、太田がグラブを小刻みに振って追い返す。どんなピンチの局面を迎えようと、マウンド上の太田のところに小比類巻が行って話し掛けたり、太田を囲んで内野陣が集まるというシーンはついに見られなかった。東北弁で言うならば「オレが抑えればいいんだべぇ」ということらしい。《この試合、4番谷岡に当たりが出てない。送らせた場面もあった。一色監督は積極策で動いてきた。4番の意地を見せてくれ。》2球目に樋野が走り谷岡が打つ。エンドランだ!谷岡の打球は三塁前のゴロ、三塁手桃井がつかんで二塁は間に合わない、一塁送球アウト。結果的に送ったのと同じになり1死二塁。続く5番大久保も三ゴロに倒れて2死、最後は井上が空振り三振で3アウト。ホームが遠い松山商業。

[15回ウラ]三沢
6番菊池からの攻撃。粘った菊池が5球目を左前に運んで出塁。《田辺監督は勿論、定石どおり送りバントのサイン。》7番高田は2球目を三塁前にバント。三塁手谷岡が猛然とダッシュしてくる、これを名手谷岡がジャックルした。一塁も二塁もオールセーフだ!両軍を通じてこの試合初めてのエラーが何と鉄壁の守りを誇る松山商業に出て、無死一二塁です。三沢高校はサヨナラの走者をスコアリングポジションに置いてなおノーアウト。《次の送りバントは、この試合の行方を左右するかも知れない大事なバントだ。三塁はフォースプレイになるため、谷川には確実に走者を進めるバントを求めたい。》7番谷川はプレッシャーの中で初球のバントを失敗して、続く2球目を投手前へバント。井上がダッシュしてくる、大森は一塁を指示。一塁に送球、アウトで見事送りバントが成功!松山商業は1死二三塁という重大なピンチに立たされました。三塁走者の菊池が本塁を踏めば三沢高校のサヨナラ勝ちとなります。8番滝上9番立花は今日ノーヒットで当たりが出ていないのでスクイズも十分考えられます。球場全体が異様なムードに包まれる中、滝上への初球、井上は外角に外してボール。松山商業の一色監督はバッテリーに敬遠策を指示したようです。滝上は敬遠の四球を選んで一塁に歩きました。これで1死満塁!9番立花が打席に入ります。

《田辺監督は両手で下に押さえつけるように「落ち着け」とでも言っているような仕草で打席の立花に指示を送る。これは三沢高校の「待て(打つな)」のサインである。》三沢高校のサインは予選から変わらずごく単純なものばかり。相手チームに見破られても仕方のないサインだったが、松山商業にとってこの「落ち着け」は三沢高校がこの試合まだ使っていない新種のサインに見えたに違いない。井上−大森バッテリーはスクイズを警戒しながら、立花への初球、さらに2球目も、外し気味に流れる外角のカーブで様子を伺ってカウントは0−2。三塁側アルプスの三沢高校応援団は大歓声だ。井上自身はまだ冷静だった。ストライクが入らなくなったのではなく、スクイズ警戒というこの局面で相手の出方を探りながらボールを先行させたのだ。マウンドを一旦外した井上が、ポケットからタオルを取り出している。眼鏡を拭きながら、辺りを見渡しているではないか。この追い詰められた局面をゆっくり楽しんでいるようにさえ見えてきた。何という強じんな精神力の持ち主なのか。ひと呼吸置いた井上がマウンドに戻り、今度はグラブに何度もボ−ルを叩きつけながら自分自身にカツを入れる仕草だ。次第に集中力を増していく井上が打者の立花を見やるその表情は再び勝負師のそれだった。正確無比なコントロールを手に入れるために繰り返した厳しい鍛練の中で自己さえもコントロールする術を身につけたのだろうか。

《この回、無死一二塁の場面から松山商業バッテリー間のサインは井上が出している。二塁走者が大森の出すサインを盗んで打者に伝えるのを防ぐためである。近年、二塁走者のこの伝達動作は禁止されている。井上が球を右手で握りグラブが上向きのときは外角へのカーブ、球を左手のグラブにおさめて下向きのときは内角直球という具合だ。グラブにボ−ルを叩きつける動作も実はサイン交換に入る前の一連の準備行動である。》立花に対してカーブを続けた0−2からの3球目、井上のサインはグラブ側に球、つまり直球。コースは決めずストライクをとにかく取りに行った球が内角高めに外れるボールだ。その瞬間、地鳴りのような歓声が上がった。1死満塁、カウントは0−3!大変なことになりました。井上が絶体絶命の危機に立たされています。3球続けてストライクを投げないと押し出し!無常にもこの試合は終了します。みちのくの地に初めて深紅の大優勝旗が渡るその瞬間が迫っています。さあ、どうする!井上!頑張れ、井上!

《後日談だが、大森も谷岡も0−3になった時点で負けを覚悟したという。しかし、ベンチの監督とマウンド上の井上だけは押し出しはないと確信していた。10球連続でコースいっぱいのストライクを取る過酷な練習を積んできた自信と必ず優勝するという信念だった。》井上は意を決したように思い切り大森のミットめがけて直球を投げ込んだ。真ん中低めのストライクで1−3。《三沢・田辺監督のサインは変わらず「待て」だ。相手内野陣の極端な前進守備、スクイズの構えをすれば猛然とダッシュしてくる一三塁手の動きに二の足を踏んでの待てだった。指揮官が押し出しを期待した時点で運命が決していたのかも知れない。》その運命の一球が次の5球目である。さすがの井上もカーブは外れる可能性があるとみて、また直球。腕が振り切れず、山なりでど真ん中低めにお辞儀するような球だった。これが両軍の運命を決める一球だった。打席の立花も、背番号10の主将で三塁コーチャーをしていた河村も低いと思った。「やった!」三沢ベンチに座っていた太田が腰を浮かせた次の瞬間、ひと呼吸おいて郷司球審が右手を上げてストライク!球場内の至るところから「アーッ!」という歓声とも悲鳴とも聞こえる声が上がった。試合中だというのに、この判定に対する抗議の電話が全国から大会本部に殺到した。

このストライクは大森捕手の洞察力と咄嗟の判断によるファインプレイだった。打者や走者、そして相手ベンチの動きからウェイティングで来ると確信していた大森は、低めいっぱいに来た球ににじり寄りながら通常より50センチも前(投手寄り)でキャッチしたのだ。立花が振りに行けば間違いなく大森のミットにバットが激突して、大森は大怪我をしていただろうし、その瞬間にインターフェア(打撃妨害)で試合は決していたに違いない。通常の位置でキャッチしていたら低すぎて完全なボール球、どっちみち押し出し四球で試合は決していた。さらに、大森が左手のミットを前に突き出したため自然に右肩が後ろに反るような姿勢になった。この姿勢を取ることで、球審郷司に対して空いた右肩越しにミットに球が入る瞬間の球の“高さ”をアピールすることができたのだ。

試合は1死満塁、カウント2−3。松山商業はまだサヨナラ負け寸前の窮地を脱したわけではない。井上が投じた6球目はこれまた真ん中低めの直球。立花はもうカーブは来ないと読んで直球にタイミングを合わせて振り切った。打ったぁー!痛烈な打球は低いライナーで井上の右足元を強襲。完全にセンターに抜けるようなヒット性の打球に井上が反応良く食らいついた。体を反転させて倒れ込みながら逆シングルで出したグラブを打球がかすめて抜けていく。「負けたか」井上は瞬間そう覚悟したという。ところが、ショートバウンドで井上のグラブに当たって勢いを失ったゴロが遊撃手樋野の前に転がっていく。拾い上げた樋野が必死にバックホーム!大森のミットめがけて投じた一球は本人もビックリするようなど真ん中ストライク。判定はアウト!今度は一塁側アルプススタンドが大騒ぎ。フォースアウトが成立したにもかかわらず大森は走者菊池に頭からダメ押しのタッチに行って菊池の眼鏡が飛ぶという激しいプレイだった。明らかに三塁走者菊池の判断ミス。立花の打球を見てすぐスタートしていれば確実にサヨナラのホームを踏んでいた。井上がライナーでキャッチすると思ってスタートが完全に遅れてしまう。大森捕手は間に合わない可能性があると判断して、右足でベースを踏みながら、左足で三塁走者のホームインを阻止しようとブロックの体勢を取っていた。思ったより菊池のホーム突入が遅かったためにフォースプレイ成立後にホームベース上でのクロスプレイのような動作になったらしい。

アウトカウントが増えて2死満塁。1番八重沢は7打席目にして初めて得点圏に走者がいる場面での打席。2死となって再びワインドアップモ−ションに戻した井上、カーブ打ちを苦手にしている八重沢の弱点を突いて外角カーブを2球続けるが外れて0−2(腕が縮こまってカーブはコントロール不能の最悪の状態だ)。続いて直球でストライク、ボールでカウント1−3として、再び押し出しの危機を迎えてスタンドがどよめく。5球目のど真ん中直球ストライクを見逃して、2死満塁2−3だ。井上の投じた6球目で満塁の全走者がスタート、ど真ん中直球に初めて八重沢のバットが反応した。打ったぁー!!快音を残した打球は大きい!右中間に飛んでいる!「とうとうやられたか!」ベンチの一色監督でさえそう思うような会心の当たりだった。ところが、右中間の真ん中の落下点で中堅手田中がランニングキャッチ!ファインプレイでグラブを突き上げた田中に大歓声が上がった。三沢高校は再三のチャンスを生かすことなく、三者残塁の3アウト。松山商業は絶体絶命のピンチを井上の決死の粘投で奇跡的に切り抜けました。

井上投手にとっては、まさに奇跡の25球でした。一塁側アルプススタンドは総立ち、松山商業ナインを大歓声で迎えます。ご覧ください。ベンチ前では笑顔の一色監督が両手を広げて選手たちを称えています。田中が、大森が、そして谷岡が泣いています。

※本文中の《青文字》ベンチの采配作戦の狙いをシミュレーションしています。
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